2-5 やっぱり僕は騙されていた

 和良差さんに聞きたいことは一杯ある。でも切り出し方が大事だ。

「どうしてそんな大切なものを僕に授けたのですか?」

 和良差さんは笑みを見せた。話さないわけではない、らしい。

《話は長くなるから、先にコーヒーを飲んだら? 冷めちゃうよ》

 促されるままにコーヒーを飲んだ。冷え切っていて、ファストフード店の薄いコーヒーが、極めつけに苦く感じた。前の二人も紙コップを持ってコーヒーをすすった。僕が紙コップを置くと和良差さんは話し始めた。

「この秘技を使える人物は、いくつかの派閥に分かれている。野放図に使う派閥もあれば、自制的な派閥もね。僕たちは抑制している方なんだよ。

 そのうちの自由勝手にやっている連中が、岸凪君が通う高校の生徒の一人に秘技を授けたらしい。流儀が流儀だからね。混乱が起きるのは必至だ。

 そこで、自制すべきとの立場の僕たちとしては見逃せず、その子の暴走を止めるというか、子どものいけないことにはお仕置きをしようと思ったわけだ。しかし、一応は社会人の僕たちには学校の中で探偵ごっこはできない。そこで校内に味方が欲しくて、岸凪君に目をつけたわけだ」

 隣の郡山さんは納得いかない様子だ。

「言葉に興味があるって、下手な短歌をひねってるだけで、口喧嘩とかディベートには全然向かなさそうじゃない。そんな子に任せて良い訳?」

「口げんかすることが主目的じゃないから、いいでしょ。あの子怪しいな、って気づけば良いんだから。最終的に決めるのは言葉じゃないんだし」

 和良差さんは笑っているけれども、最後の一言が気になる。

「最終的に決めるのって、何ですか?」

 和良差さんは少し貯めを作った。それは十秒早く声が聞こえる僕には意味がなかったけれど。

《トラックを壊すんだ》

 僕がきょとんとしているうちに和良差さんが説明を始める。

「岸凪君は誰が怪しいか僕たちに教えてくれれば、後は僕たちがなんとかするから、自分で手を出す必要はない。しかし万が一の時があるから、身を守るためにも知っておく必要があるだろう。

 この秘技を授けられた人間は、代償として、トラックがもろくなっていて、同じ秘技を有する人間にトラックを破壊される恐れがあるんだ。

 岸凪君も、相手に気づかれたら、トラックを破壊されるかもしれないよ。

 トラックを破壊されたら、それから一年、何もしゃべれなくなる。言葉で考えることはできるし物を書くことはできるから、筆談するしかなくなるね。そして他人のトラックを書き換えることもできなくなる。これがどれだけ危険か、岸凪君には分かるだろ?」

 そんな危ないことを僕に打ち明けるのが信じられなかった。

「和良差さんと郡山さんのトラックも、壊せるんですか?」

「そのときは全力で君のトラックを壊すけどね」

 郡山さんの声は女性の澄んだ声だけれど、底冷えがした。

「まあ要領は西部劇のガンマンの早撃ち勝負かな。先に打った方が勝ち。なるべくそういう事態にならないように穏便に行動してね」

 和良差さんは事も無げに言う。

 一年しゃべれない。これがどれだけ苦しい事態か。別に短歌を詠んでなくても分かる。

 そして、他人にその傷を負わせることができる。事によっては、僕が。

 みぞおちと背中にずしりと重たいものが乗った。

 和良差さんは話を続ける。

「壊し方は簡単。相手のトラックを物理的に、と言っても心理的世界の上でなんだけど、ぶち壊せばいい。要はぶん殴ればいい。今の君なら腕の伸ばし方が分かるはずだ。一つ言い忘れたことがあった。岸凪君の頭の上にもトラックが他人に見える形で存在する。僕は今、岸凪君のトラックを壊すこともできる。ちょっと、つもり、だけど、腕を伸ばすよ。岸凪君も、つもり、で僕の頭上に腕を伸ばして」

 和良差さんの肩の上から、三本目の裸の腕が伸びる。そして僕の頭上で止まる。

 僕の心臓がガタガタ震える。

 僕は言われたとおりに、心の中にある三本目の腕を和良差さんの頭上に伸ばす。

 お互いの腕が相手の頭上で止まる。

 和良差さんは納得したようだ。

「そう。後は腕を振り下ろせば相手のトラックを破壊できる。きちんとできたね。今日はこのあたりにしておこう」

 和良差さんが腕を引っ込める。僕の心臓が少し落ち着きを取り戻す。失礼になってはいけない。僕は慌てて腕を引いた。

 和良差さんは「あ」と一言声を上げた後で言葉を続けた。

「実はね、岸凪君の頭の上のトラック、自分では書き換えたつもりでなくても、まるで書き換えたようにフェイクで見せることができる。何のためにあるかと言うと、一般人を装うためだ。『私は他人の言葉を言わされた被害者です』って振りをするために、トラックが塗り替えられた風に見せるんだよ。覚えておかないと、ばれるかも知れないから気をつけてね」

 和良差さんは人の会話をまるでゲームみたいに語る。その感覚には絶対に同意できない。

 あの人なら、こんな人たちを許さないはずだ。それを聞かないでは終われない。

「このこと、三岡さんには伝えているんですか?」

 和良差さんは穏やかに笑う。

「あの人はこんな魔術を許さない人だと、一番分かっているのは岸凪君じゃないか。僕たちが打ち明けたら、岸凪君を任せてくれなかったろうね」

「三岡さんを騙したな!」

 僕は凄んだ。つもりだった。目の前の二人は全く意に介さず、郡山さんは黙って紙コップを手に取りコーヒーを口に含んだ。

「岸凪君、ちょっと世間話をしよう。僕の苗字『和良差』は珍しいだろう。あんまり珍しくて、日本の会社がパソコン向けに独自に販売している仮名漢字変換ソフトでも一発変換できないんだ。そういうことだよ」

 たしかに和良差という苗字は珍しい。あの、同人作家なら是非持つべきと言われている変換ソフトでも出てこないのか……

 ……待て。あの、変換ソフトだぞ。実在する苗字が変換できないことがあるのか?

 もしかして偽名?

 僕はスマホを取り出して検索窓に一文字ずつ「和」「良」「差」と打ち込んだ。

 その手を和良差さんの右手が押さえた。

「この場で検索するのはなしだよ」

 笑みが毒を含んでいた。スマホを机の上に置かざるを得なかった。

 この人たちは信用できない。しちゃいけない。

「僕を騙してどうするんです?」

「岸凪君を騙す気なら、岸凪君の大切な人を騙したと打ち明けないよ。岸凪君とは仲間になりたいと思っているよ」

 そんな物言い、認められるもんか。

「こちらが願い下げです」

「まあいい。僕たちが再び協力しないと、君のその状態は解けないしね。ここはいったん別れようか。コーヒー、すっかり冷めてるけど、飲むかい?」

 和良差さんに促されて、最後の一口をすすった。吐きそうなくらい苦かった。

 家に帰って、両親が帰ってきたら、両親の言葉がエコーになって聞こえてきた。二人の頭の上にもトラックがあった。両親の一番危ないところ、もしかしたら性器よりも大切なものを見ている気分になって、滅入った。

 そして「和良差」はネット検索に出てこなかった。やっぱり僕は騙されていた。

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