2-6 だけど、それは許されない、と強く思った

 日曜日が終わって月曜日になれば、当然、高校生は学校に行く。

 なんだか嫌な予感がしていたけれども、学校を休むなんて親に言えなかった。

 僕は徒歩通学で、歩いてくる途中でもいろいろ見たのだけれど、高校の敷地に入って多くの生徒と顔を合わせてから見たものは。

《おはよう》

《今日、早いね》

「おはよう」

「今日、早いね」

《宿題、見せてくれない?》

《そんなの自分でやれ》

「宿題、見せてくれない?」

「そんなの自分でやれ」

  学校に集まった生徒一人一人の頭の上に浮かぶトラック。

 その生徒が発言するときに赤く染まってスクロールする。

 みんなの口が動く十秒前に僕にはその発言が聞こえてくる。そしてエコーのように実際の発言が被さる。

 言葉が二度聞こえるのはうるさいけれども問題じゃない。

 問題は、それらの言葉をその気になったら編集できるということ。

 編集するのか? していいのか?

 いや、ダメだ!

 他人の言葉を勝手に書き換えるなんて、気づかれなくても、許されるはずがない。人には守らなければいけないものがあるんだ。

《岸凪、いつも以上にぼーっとしてんな》

 その言葉が何を意味しているのか気づかなかった。

「岸凪、いつも以上にぼーっとしてんな」

 後ろから同級生に声をかけられた。振り返ってみると、まったく僕を馬鹿にした顔。

 あれ、僕、どのくらいここに立ってたんだっけ?

 スマホを取り出して時計を見たら遅刻寸前になっていた。あまりの事態に驚いて、校舎に入る手前で立ち尽くしていたらしい。

 授業中もまわりの皆のトラックが見えている。先生のトラックも見えている。

《三十二頁の六行目の「このような事態」とは二行目の「各人が意見の正否を賛同者の数で判断し、背景とそれに基づく論理的展開を無視する」を指していて》

「三十二頁の六行目の「このような事態」とは二行目の「各人が意見の正否を賛同者の数で判断し、背景とそれに基づく論理的展開を無視する」を指していて」

 先生が生徒に授業する内容が二重に聞こえてくる。

《新村、答えろ》

「新村、答えろ」

《三十三頁十一行目の「一人で考えることの難しさ」ですか?》

「三十三頁十一行目の「一人で考えることの難しさ」ですか?」

《そうだな。三十三頁四行目に戻るが》

「そうだな。三十三頁四行目に戻るが」

 生徒が先生からの質問に答える言葉も二重に聞こえてくる。

 同じ言葉が繰り返される授業をずっと聞いていると、あらかじめ定められた茶番を演じている姿を見せられているような気がしてくる。どうしてそんなものを見せられなければいけないのか。

《岸凪、答えろ》

 あれ、今、どの段落を見てるんだっけ?

「岸凪、答えろ」

 立ち上がって、教科書を見て、

「ええっと、ええっと」

「先生の話を聞いてるか?」

 どこまで進んでたのか、ちょっと記憶がない。どう答えたらいいんだろう……

「聞いてたつもりだったんですけど……」

「つもりじゃいかんだろうが」

《ハハハハハ》

「ハハハハハ」

 みんなの嘲笑が二倍になって聞こえた。

 言葉が繰り返される珍妙な事態に気がいっていて、授業内容が全く頭に入っていなかった。茶番を見ていたつもりが、何にも分かっていないぼんくら高校生だった訳で。

 笑われてもしかたないか。他の人には理由は分からないだろうけど。

 慣れない事態はとにかく疲れる。四限目の授業が終わると、もう何もする気がない。机に突っ伏していよう。

 相変わらずまわりの皆の言葉が二重に聞こえる中、半分まどろんでいたら、鞄の中に入れていたスマホが震えた。

 待てよ。重たい身体をのっそり動かして鞄を空けてスマホを見た。


   先に弁当食べてて良いか?


 瀧君からのメッセージアプリStringの着信だった。

 昼休みはだいたい瀧君と有沢さんと揃ってお弁当を食べていた。僕が来ないから気になってメッセージをくれたのだろう。待っててもらったのは有り難かったし好意を無駄にしちゃいけない。

 一人でいると気が滅入りそう。そんな思惑と打算もある。

 お弁当を持って瀧君の学級の教室に行こう。

《岸凪、やっと来たか》

 瀧君の学級の教室に入ろうとしたとき、最初に聞こえてきたのは瀧君の呼びかけ。

「岸凪、やっと来たか」

 瀧君が椅子に座って手を振っていた。

 あれ、瀧君の言葉も二回聞こえたよね。

 そうか。そうか。そうなんだ。友達との会話も先に盗み聞きできるのか。

 ひとまず謝ろう。深く考えるのはその後だ。

「ごめん。今日、調子が上がらなくて。ぼーっとしてるってみんなに言われる」

《ぼーっとしてるって平常運転じゃない?》

 有沢さん、その言い方はないよ。でも答えるのは有沢さんが「口にして」からだ。

「ぼーっとしてるって平常運転じゃない?」

 冷めた様子で僕を見る有沢さんに、僕は強く、強く……やっぱりダメだ、言い返せない。

「そんなもんかな。しっかりしてるつもりなんだけど」

「しっかりしてたらもうちょっと友達多いと思うけど」

 この言葉も事前に聞こえてたんだ。きつい一言が二倍に響く。

 僕は頭を下げながら二人の隣に座る。瀧君と有沢さんは気づいていない様子だけれど……

 これはちょっと面倒になりそうだ。

 僕たちの昼食は話をしながらだから長い。まあ、ずっとしゃべっているのは有沢さんで、主に瀧君が応対して、僕はたまに相槌を打つ程度なのだけれど。

《それで爽平が既読スルーするのね。彼女のことなんだと思ってるのよ》

「それで爽平が既読スルーするのね。彼女のことなんだと思ってるのよ」

《実花ってそんなに重い女の子だったっけ? もっとドライと思ったけど》

「実花ってそんなに重い女の子だったっけ? もっとドライと思ったけど」

《あたしだって女の子だから男の子の反応ぐらい気にするもん》

「あたしだって女の子だから男の子の反応ぐらい気にするもん」

 まあ両思いの二人だから話は惚気も入っているし大仰に心配する必要はないのだけれど。横から見ていればいいか。

《それなのに爽平は岸凪君からの通知はスルーしないっていうのよ。どっちが彼女?》

 え?

 その重たい発言は有沢さんのトラック。そのあと瀧君のトラックは静かなままだ。つまり発言が止まる。きっと瀧君が驚いたのだろう。

 どうやってフォローする?

 一瞬、書き換えようか? と思った。

 だけど、それは許されない、と強く思った。

 それに意表を突かれて動けないというのが事実で。

「それなのに爽平は岸凪君からの通知はスルーしないっていうのよ。どっちが彼女?」

 有沢さんのメガトン級の発言と同時に、力を失った僕の箸からウインナーが落ちた。

 そして瀧君が吹き出した。ハンバーグを食べていたから、周囲にソースつきのミンチをまき散らして。ハンバーグの切れ端がどこか変なところに入ったのかもしれない。瀧君はしばらくしゃべれなかった。

《そんなに驚くことないでしょ。爽平がしたことを素直に言っただけだし》

 いやいや、驚くでしょ。

 でも、書き換えるのは止めた。

「そんなに驚くことないでしょ。爽平がしたことを素直に言っただけだし」

 ようやく瀧君の咳き込みが止まった。

「実花、それは表現が悪い」

「女の子にとってはそれくらい大事なんだよ」

 二人がちょっと突っ込んだ会話をしている最中に次の言葉が飛び込んできた。

《岸凪だって困ってるだろ》

 え? 瀧君、そこで僕に振る?

 どうする? どう答える?

 瀧君は助けてもらおうと僕を頼ったんだし、有沢さんは本気で怒ってるかもしれないし…… はい、そこで時間切れです。

「岸凪だって困ってるだろ」

 瀧君が僕に話を振り、有沢さんの視線が僕に向いた。

 いや、あの、その、

「そんな急に言われても」

「岸凪君、どっちの味方? というか、爽平の肩を持ったら関係を怪しむけど」

「そんなのないよ」

「岸凪、俺がいじめられてるの、見てるだろ」

「あの……二人は仲が良いから、そんなこと言ってても心の底で許してるんじゃないの?」

「最近、結構腹に据えかねてるけどね」

「実花だっていろいろあるじゃん」

 カップル二人、相当こじれた会話になってしまった。

 痴話げんかを十秒早く聞き取れてもなにもできない。というか自分一人であたふたしているだけで終わっている気がする。

「二人とも、食べないと昼休み終わるよ」

 ヒートアップした二人に水を差すのが精一杯だった。

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