7-1 お前の趣味なんか、分かるもんか!
僕は屋村君が秘術を使っていることを誰にも言えなかった。
瀧君と有沢さんに言ってない。陥れられた今利君に言ってない。発言を捏造された秡川さんに言ってない。
そして術者を見つけるよう僕に指示した和良差さんと郡山さんに言ってない。
僕は屋村君の悪行(と言っていいだろう)に見て見ぬフリをしている。
正直に言って怖いんだ。屋村君に口を封じられるのが。
屋村君は、人の言葉を勝手に作ることも、口を封じることも、躊躇しないだろう。
自分が言葉を口にできなくなること。それがとっても怖い。
屋村君は特定の誰かを標的にすることもなく、学校の中で生徒に言い間違いをさせることを楽しんでいる。
《優一は丘に向かって歩き始めた。日は今にも落ちようとしている。優一は暗がりを恐れていなかった》
今、現代国語の授業で男子生徒が朗読している。
その頭の上のトラックが塗り替えられる。
「優一は丘に向かって歩き始めた。日は今にも落ちようとしている。優一は暗がりが好きな根暗な男だった」
朗読者が自分でなにを言ったか気づく前に周囲から笑い声が上がる。
「根暗って何だよwww」
「いるよな、暗いところが似合う根暗な奴」
先生も男子生徒の思わぬ創造性に釘を刺す。
「お前なぁ、自分の意見を持つのはいいが、まずは作者の意図を尊重しろ」
男子生徒は「そんなつもりなかったのに……」とこぼす。
学級中が笑っている中、屋村君も無邪気に笑っている。まるで自分が無関係なように。
彼がどうして他人を笑っていられるのか、僕には心の内を推し量ることができない。
それに、彼には術の副作用が全く起きていないように見える。他人の言葉を書き換えて、どうしてあんなに平気でいられるんだ? 心身に負荷をうけることなく何度も術を使えるのはどうしてだ? 和良差さん達は僕と彼の術は同じだと言っていたけれど、ちっとも同じに見えない。
そして彼は術を使った後に、ちらっと、僕を見る。
そのときの彼は笑みを浮かべているけれど、その裏に、お前は見逃すよな、という脅しがちらと見せている。
そう。僕は彼になにも言えなかった。
そうやって八日ほど過ぎた。
おかしなことに、僕の心身がきしみ始めた。
術を使う屋村君はいたって活力にあふれているのに、術が使われる度に僕の胃は痛み周囲の空気が薄くなる。その様子を見て笑みを浮かべる屋村君。
まるで術の副作用を僕が肩代わりしているようだ。
何なんだ、この理不尽は。
このままでは僕は、壊れてしまう。
数学の授業で女子生徒が答える。
《xの二乗+4x+8の答えは、x=-2あるいはx=-4です》
僕は数学が苦手だから合っているのか自信がないけれど、きっと合っているのだろう。
その女子生徒の頭の上のトラックが塗り替えられる。
「xの二乗+4x+8の答えは、分かりません。エッヘン!」
最後のエッヘンが、まるでアニメでおつむが軽い女の子が勝ち誇っているシーンのようで、実にコミカルだった。
教室に笑いが起こる。僕の胃が痛み、僕は肩で息をする。
この状況に、もう耐えられない。屋村君に止めるように言わなければ。
でも、屋村君に面と向かって言うことができない。言えない。言えない。
苦しんでいる僕の脳裏に、よからぬ考えが浮かんだ。悪魔がささやいたのだろうか。
僕は面と向かって言う必要はないのだ。他人に言わせられるのだ。
学級の中で誰を犠牲にするか、周囲を見回す。一人の男子生徒に目をつけて、心の中で「ごめん」とつぶやく。
彼のトラックを塗り替える。
「屋村君、そういうことはもう止めた方がいいよ」
僕が術を使うと副作用がある。胃に鉄アレイが入り、身体を支えるのも辛くなる。
言わされた男子生徒は訳が分からない。教師が「どうした?」と呼びかける。
するとある女子生徒のトラックが塗り替えられた。
「岸凪、お前もやってるじゃないか」
女子生徒が男言葉をしゃべったので周囲が不審に思う。
僕は別の女子生徒のトラックを塗り替える。
「僕が言うことじゃないけど、こんなことしてちゃダメだよ」
僕のみぞおちがさらに重くなる。そこに別の男子生徒の声が飛んだ。
「お前になにができるって言うんだ?」
僕の頭が止まった。
何も無い。何も無いんだよ。できることなんて。
後ろから女性生徒の声が飛ぶ。
「どうした? 息も絶え絶えじゃないか」
前の男子生徒が僕を見ないまま言う。
「力っていうのは使った者の勝ちなんだよ」
右隣の女子生徒が言う。
「なにをいい子ちゃんになってるんだ。自分だって他人に好き勝手なことを言わせたんだろ」
教室の前に立つ先生が不規則発言を繰り返す生徒達を叱る。
「お前ら、授業中だぞ。私語は慎め」
学級が静かになる。
僕も生徒の一人として黙る。
僕は負けた術者として黙る。
もう、なにも言えなかった。
僕の沈黙を屋村君は見て取った。
だから秡川さんのトラックが塗り替えられたんだ。
「岸凪は這いつくばって許しを請うことしかできないんだよ」
その声は、秡川さんが持つ、気品にあふれたものだった。
そのとき、僕の頭の中でなにかが切れた。
そこからは目に見えるもの全てがスローモーションに見えた。
僕は倒れかけた身体を机に手をついて支え、屋村君に向き直る。
その屋村君の上に、僕と同じく脆いトラックがある。
心の中の三本目の腕で握りこぶしを作り、屋村君の頭上に振り下ろす。
気づいた屋村君も僕の頭上に手を伸ばす。
僕は叫んだ。自分の口で。
「お前の趣味なんか、分かるもんか!」
心の中の腕を振り下ろした瞬間、屋村君の頭上のトラックが砕け散った。屋村君の腕は僕の頭上に届く前に消えた。
屋村君は目を白黒させる。そしてなにかを言おうとして。
「ぁ……ぁ…………ぅ……ああぁ!」
その声は言葉になっていなかった。
奇声を上げる屋村君を先生も生徒も見つめる。皆が彼を哀れむかのように見える。
勝った。僕は1/2の賭けに勝ったのだ。
よかった。そう言葉にしようとしたとき、気づいた。
口が、言葉を形作ることができない。
「ぅ…………うぅ……あー……あー……」
どうしてだ? 僕は勝ったはずなのに。
屋村君は立ち上がり、僕に向かって走ってきた。そして僕の顔を身体の腕で殴る。僕は床に倒れ込む。それでも手を止めない屋村君に僕は自分の頭を守るので精一杯になる。
奇声を上げる二人がケンカを始めて教室は騒然となった。そして僕たちは生徒達と先生に羽交い締めにされて……
病院に送られた。
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