7-2 お目覚めの言葉

 そこから先の屋村君の経過は知らない。

 僕はまず内科で診察され、次に回された診察室には「精神科」と看板が掛かっていた。医師は僕に呼びかけ、僕が指さしで答えると、医師は紙とペンを差し出した。僕はペンで書いた。


   声が出ません


 それでも言葉を自分が作れたことがうれしかった。いつもなら当たり前のことなのに。

 医師は僕の意識がハッキリしていることを見て取ると、入院はさせず僕を家に帰した。「心理的なものでしょう」と当たり障りのない診断をつけて。

 家に帰された僕ははっきり言ってお荷物。

 親が話すことは分かるのだけれど、しゃべれないものだから反応を返せない。

 すると母さんが折り込みチラシを僕に渡すようになった。裏が白いものばかり。

 僕はチラシの裏に言葉を書くようになった。

 あれから二日後、有沢さんからStringのメッセージが届いた。


   あんた、いったい何があったの?

   まあ、あんたが言うことを

   私が最後まで聞くかは分からないけどね


 なにか毒があるような気がする。その訳は、直後に届いた瀧君のメッセージで分かった。


   あのあと、屋村が学校中にStringで回してるけど

   岸凪が他人に好きにしゃべらせる術を使っていて

   気づいてとがめた目障りになった屋村の口を塞いだ

   って話が広まってる


   俺と実花が別れ話をしたとき

   俺たちが思ってもいないことを言わせただろ?

   変だと思ったよ

   あのときは良かったけど

   そもそも実花に今利の応援をさせたの、岸凪だろ?

   おまえ、なにがしたかったわけ?


 温厚な瀧君が疑ってるとなると根は相当深い。Stringで説明しても信じてはくれないだろう。

 言葉が出ないのは、ほんとうに厳しいなぁ。

 よく、よ~く、よ~くよ~く、分かった。

 スマホを見て落ち込む僕を母さんが邪魔者のように見ている。


 日曜日が来た。なにもできない僕は家に閉じこもるしかない。父さん母さんも僕を独りにするわけにはいかないと家にいる。空気がとっても重い。

 昼を過ぎてドアホンが鳴った。母さんが応対する。

「どちらさまでしょう……はつかわさん?……節と同じ学校の……えぇ……いますけど、今、声が出なくなって、会っても大変ですよ……」

 秡川さん? どうして僕の家に?

 母さんは秡川さんを家に上げないよう断る理由を足し続けるのだけれど、話は全然途切れない。秡川さんが粘ったら母さんだと力不足だろう。

 ほら、困った顔をして僕の方に向かってくる。

「節、秡川さんって知ってる? 同じ学校の女の子だって言うんだけど……」

 僕はチラシの裏に書いた。


   知ってるけど、今は会えないから断って


 母さんが玄関に戻って説明を続けるけど、その会話が終わらない。また困った顔をして僕の方に向かってくる。

「節が話せなくても、どうしても言いたいことがあるって。節、なにをしたの?」

 これは怖い。秡川さん、怒ってるんじゃないのか?

 でも、母さんや、ましてや僕では秡川さんに勝てるわけもなく。


   上がってもらって


 チラシの裏に書いて母さんに見せると、母さんは玄関に行ってドアを開けた。

 当たり前だけど家に上がった秡川さんは私服だ。白いブラウスに濃紺のスカート。秡川さんが私服になると色っぽくなるんじゃないかと思っていたけど、今の姿は実に清楚だ。ただブラウスはウエストのサイズが合わず布が余っている。

 対して僕は他人に会う予定がなかったからよれよれのスウェット。情けない……

 母さんは秡川さんをリビングに案内して「こちらに」と座るように促し、僕に向かって「節、いらっしゃい」と呼びかける。僕はチラシとペンを持って秡川さんの向かいに座る。

 しかし、どうしてだろう。秡川さんが心配そうな顔を見せるのは。

「岸凪君、声が出ないって本当ですか?」

 その声にはいたわりの色があった。きょ、恐縮する。

 僕はチラシの裏に書く。


   うん。そうなんだ。


 秡川さんは深く呼吸すると語り始めた。

「岸凪君の噂が学校で広まっているのは知っています。実際に岸凪君が私に言うつもりがなかったことを言わせたことも知っています。ですけど、私のことを信じて欲しいんですけど」

 秡川さんが口で「信じて欲しい」と言ったとき、先読みの言葉がそこに被った。

《岸凪君が言わせた言葉は優しくて、変な言葉を言わせたのは岸凪君じゃないと信じています》

 信じる? 僕を?

 うれしいことに、僕はその言葉を二度聞くことができる。

「岸凪君が言わせた言葉は優しくて、変な言葉を言わせたのは岸凪君じゃないと信じています」


   どうして?


 チラシの裏に書いた言葉を見た秡川さんが答える。

「最初に私に言わせた言葉は人との間を取り持つものでしたし、落ち込んだ私の側にいたり、嘘に気づいたときに人に謝りに行ったり。そんな人が、おかしなことを言わせるとは思いません」

 そこに一言付け加わった。

「信じてなかったら、私の書いたものを見せてません」

 信じてもらえることが、こんなにうれしいとは。この暖かさへの感謝の気持ちを口に出せたらいいのに。

「ありがとう……」

 僕の口が言葉を作った。きちんと言葉になった。

「あれ……しゃべれる……どうしてだろ……じゃなくて、秡川さん、ありがとう、ありがとう、ありがとう」

 僕はひたすらに謝り続ける。それを聞いた秡川さんは無邪気な笑みを見せる。

「事が終わったらきちんと訳を話してくれるって言いましたよね。今、教えてくれませんか」

 ああ、そうだ。約束したんだった。

「ええっとね……」

 そのとき、その場には親がいるのに気づいた。

「ごめん、今は親がいるから、後でね」

 母さんが「言えないことがあるわけ?」と釘を刺すけれど、今はかまっている場合じゃない。秡川さんだって親子の軽口を穏やかに見てくれている。


 精神科を受診するには医師が診察室を担当する決まった曜日に行かなければいけない。その曜日まで待って、僕は普通に話して、医師はまあ大丈夫でしょうと言いつつ経過観察となった。

 そして次の日曜日に和良差さんと郡山さんと会えるように連絡した。当日が来てみたら、郡山さんはおらず和良差さん一人がいつものファストフード店にいた。

「お姫様からお目覚めの言葉をいただいて魔法が解けるなんて、岸凪君は少女趣味だなぁ」

 僕が事情を説明して、一時的にしゃべれなくなったことを聞いた和良差さんはかんらかんらと笑った。

 冗談じゃない。こっちはいろいろ聞かされてないことがあるんだ。

「和良差さん、説明していないことが多すぎませんか? 他人にしゃべらせたときの副作用とか、術者のトラックを破壊したときに自分もしゃべれなくなるとか」

 和良差さんはそれを聞くと黙ったまま身を乗り出して、リーチの長い左手で僕の頭の後ろを押さえる。そして右の手のひらを僕の額に当てる。

「汝が御霊を世の風から隠し流るる中に垣を設けん。因りて理の上下を戻す」

 そして僕の視界はブラックアウトした。

 こうして術を授けられたんだっけ? と思って目を覚ますと、あたりは静かになっていた。周囲の会話の量が半分になっていた。あれ? 術が解けた?

 言いたいことは一杯あるんだ。

 そうして言葉を作ろうとしたとき、口が塞がった。しゃべろうとしても言葉が出ない。術で黙らせられるって、こういうことだったのか!

 和良差さんは僕を黙らせて一人淡々と話す。

「岸凪君が術を使ったときに感じた副作用や、術者のトラックを破壊した後にしゃべれなくなったのは、術ではなく君の罪悪感がなしたことだったんだよ。他人の言葉を書き換えたり、他人の口を塞いだことに、岸凪君の心が耐えられなかったんだ。僕たちはね、そんな岸凪君だから術を授ける相手に選んだんだ。心優しい岸凪君、僕たちのことは忘れて、君の日常にお帰り」

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