2-2 いつもの歌会に部外者が現れて

 僕は一ヶ月に一回、日曜日に向かう場所がある。

 僕が向かったのは街の公民館。入り口の案内板で使用する会議室を確認すると、階段を上って今日の部屋に向かう。

 ドアを開けると、余計な机が部屋の脇にどけられて、長机二つが向かい合う格好で配置された中、ドアの方を見る向きで男女二人が座っていた。そして女性-眼鏡で短髪、単色のシャツにパンツルックの、二十代半ばの大人の人-が笑いかけた。

「節君、早いね。きちんと時間を守ってくれるから助かるよ。他のみんなは遅刻の常習犯だからねぇ」

「三岡さん、時間にルーズなのは文芸をする人間の悪い癖ですね」

 厳しい指摘に僕は苦笑いで返した。三岡さんは、この会の主催だ。別に秘密結社ではないけれど。

 僕は会員五名の短歌の会に参加している。あ、僕を入れれば六人か。

 知り合ったのは、僕が中学三年生のときだから二年前。詩の同人誌のマーケットに初めて本を買いに行ったとき、歌集を出しているサークルを見つけて、話をしたらなんと同じ街だった。そしたら「うち来る?」と誘われて、そのとき応対したのも三岡さんだった。

 会は三岡さんが大学在学中に立ち上げて、今は五年目とのこと。近い年代の人が集まって、一人四十代の人もいるけど、未成年は僕だけ。

 大人の中に親父くさい趣味の少年が一人加わると、仲間のような仲間でないような、なんというか、かなり「いじられる」。

 特に三岡さんの、男女の仲とは全く違う、からかいの数々はちょっと堪える。  

 そして会員はほぼ男性で、女性は三岡さんだけ。

 三岡さんのからかいを、他の会員が半ばうらやましそうに見ている気がするのは思い込みだろうか……

 とはいえ、短歌に対する目はフラットだから、居心地は悪くないんだ。

 会員の一人が五分遅れで会議室に入ってきた。

「遅くなってすみません」

「すまないと思ってないでしょ(ニコ!)」

「努力はしてるんですけどねぇ(冷や汗)」

 こんなのはいつものこととお互い了解の上で漫才が進み、入ってきた人は席に座る。

 最後の一人が十五分遅れで入ってきたところで

「じゃあ始めましょうか」

 と三岡さんの一言で今日の会の始まり。

 昔の雅な歌の会はいざ知らず、現代短歌の会は、詩などと共通の日本全国で一般的な手順がある。ほとんどの人は知らないけど、知ってしまえば分かりやすい。

 まず、いったん全ての作品(ここなら短歌)を匿名で公開して論評する。その段階では作者は名乗り出ない。そして順位を決めたところで作者が明かされる。

 お互いに立場を隠しての批評と、明かされた後の驚きと気まずさがない交ぜになった感情が、生で会を開いて話し合う面白さだ。

 今日の会に出す作品は昨日までに手紙か電子メールで送ってある、最初に配られるのは無機質に印刷された作品の並びだ。

 その二番目に次の作品はあった。


  歯ブラシを見せても彼氏が怒らない安全パイと見なされた僕


 会員の一人が納得しなさそうにつぶやく。

「歯ブラシは男女が同棲したときに最初に揃えるものの定番でしょ? 男女の間に男が入り込んでいることを表現するにしても、あざといというか情感に欠けるというか」

 別の会員が興を感じたように言う。

「下の句を見るべきだと思うけどね。『見なされた』と書くということは当人にはそこですませたくない欲がある。でも欲をかけば関係はそこで終わりだ。続いているということは踏み切っていない。男の煮え切らない態度を描くのがこの歌の主眼なんじゃないかな」

 そういうものか、と思っていた。

「岸凪君はどう思う?」

 え? ここで僕?

 周囲の視線が僕に集まっている。三岡さんは……いかにも「子どもにはまだ早いよね」という雰囲気がありありだ。

 どうしよう。

 でも、思うことがないわけじゃないんだ。ちょっとカマをかけてみるか。

「女の人とつきあったことがないから、女性の歯ブラシなんて見たことありませんし、事の重大さがよく分かりません。こういうのは、男性の側だけでなく、女性から見てどうなんでしょう? 三岡さんはどう思いますか?」

 三岡さんは笑い飛ばした。

「一人暮らしを始めてから歯ブラシを二本並べたことのない女が、男を二人も家に上げる人の気持ちなんて分かるわけないじゃない」

 そう言って顔の前で左手を払って否定した。そのそっけない態度、関係ありげには見えない。

 その場はそこで終わって、いくつかの歌(現代短歌も「首」と数えるから、数首)を論評したあと、次の歌の番が回ってきた。


  悪いけど今日のノートは見せられない この落書きは門外不出


 三岡さんの目が光った。いや、アニメじゃないよ。本当に光るわけじゃないんだ。でも「キラン」という効果音付きで三岡さんの目が輝いた気がしたんだ。

「節君のノートだったらいつでも見せてもらえるんじゃないかなあ? 節君、絵が下手そうだもんね」

 含みのある笑顔が怖い……

「僕だって見せられないものを書かないわけじゃないですから。そりゃあ、絵は下手ですけど」

 他の会員も笑っている。

「俺、授業のノートを見せるなんて何年振りかに思い出した。フィクションで作ってるなら相当入念だなあ」

 ああ、みんな見てるよ。やられたなあ。

 やり返された、なあ。

 全ての短歌の論評が終わり、作者が空かされる時が来た。

 あの「歯ブラシを見せても……」の順が回ってきたところで、三岡さんがこぼした。

「節君、誰だと思った?」

 そう来るよね。ここから種明かしだ。

「たしかに男女の歌なんですけど、みなさんには悪いですけど、実生活から作ったにしては艶がありすぎるんですよね。短歌として反則技の、実生活に基づかない架空の話じゃないかと思うんです。そんな架空の歌を混ぜてくるのはどういう人か考えたとき、わざわざ男性の悶々とした気持ちを主張するのは、本人がそこから遠いからだと思ったんです。外してるかも知れませんけど、これ、三岡さんの歌だと思うんです」

 三岡さんの顔は、明るい。

「節君があそこで私に話を振ったとき、この子なにか勘づいてるな、って思ったのよね。きちんと見られてたか。これは負けたわ」

 他の人も感心したように僕を見ている。これは照れてしまう。思わず右手で頭を掻いた。

 そして「悪いけど今日のノートは……」の番が回ってきたときに

「これは悪いけどどう見ても岸凪君だよね」

 と突っ込まれた。ああ、穴があったら入りたい。さっきのうぬぼれは帳消しだ。

 一時間半ほどの会が終わって皆が帰り支度を始めたので僕も立ち上がって鞄に物を詰め始めたとき、三岡さんが僕に話しかけた。

「あ、節君はちょっとここに残って」

 残る? 僕が?

 年の差があるとは言え妙齢の女性に呼び止められることに浮ついた気持ちになって、一瞬で頭から妄想を消した。きっと事務的なことに違いない。そうでなければ三岡さんとの間に何かあるはずがない。

 僕が再び席に座ると扉の外から声がした。

「三岡さん、そろそろいいですか?」

 若い、と言っても三十に近いだろう男性の声だった。

「いいですよ。岸凪君ならここにいますから」

 三岡さんは軽く応えた。

 すると男女二人がすれ違う短歌の会の会員に頭を下げながら入ってくる。

 男性で目を引いたのは背の高さ。百八十センチを超えてるだろう。顔は頬の肉付きが薄くシャープ。レンズが小さく縁が銀色の丸眼鏡をかけている。あのレンズに視界の全部は入るまい。伊達眼鏡、だろうか。薄い水色のシャツの上に直に灰色に紺を落としたトレンチコートを羽織り、同じく灰色のスラックス。

 女性は背は普通に百六十センチぐらいでどっちかと言えば整った顔だけれど目が鋭く他人との間に一線引いている感がある。白いシャツに黒のジャケットとスカートをはいていて男性とは対照的にコントラストが強い。

 三岡さんが僕に説明する。

「右の男性がわらざしさん。珍しい苗字だから口で言っても漢字は分からないかも。左の女性が郡山さん。東北の街と同じ漢字よ。お二人は国語に対する意識を調査していて、高校生で短歌に興味を持って実作している岸凪君に聞きたいことがあって来たそうよ。お二人とも、座ったらどうですか?」

 三岡さんが僕のことを苗字で呼ぶのは、初見の人に説明する手前、馴れ馴れしい態度で誤解されるのを避けたのだろう。着座を促された二人は小さく首を横に振った。

「いいえ。聞き取りは別の場所で行いますし、すぐにおいとましますから、このままでいいです」

 男性が穏やかに断りを入れた。女性は緊張を解いていなかった。

 断られた三岡さんは公民館の会議室貸し出し案内を手に取って立ち上がる。

「じゃあ、この会議室もそろそろ返さなきゃいけないし、私たち出ましょうか」

「そうですね」

 無言だとまずいと思ったけど一言しか思いつかなかった言葉を口にして立ち上がると、入ってきた二人は静かに僕の後ろについた。会議室の照明を消し、四人で揃って部屋を出て、三岡さんが空室であることが分かるよう扉を開け放しで固定した。

「それじゃあわらざしさん、岸凪君をよろしく頼みますね」

「ご心配なく」

 三岡さんの言葉に男性は笑顔で応える。どこか営業的な笑顔で。

 三岡さんがいなくなると男性は僕に声をかけた。

「じゃあ、一緒に来てもらえないかな。そんな大層なことじゃないから、ファストフード店でいいかい? 飲み物一杯のお金は出すよ」

 そう言って笑った顔は、漫画なら「ニヤリ」という擬音がつきそうな、三岡さんに見せていたのとは違う空気をまとっていた。

 なにか、おかしい。

 端から疑うわけにもいかず二人についていく。二人は駅の方に向かって歩いている。たしかにファストフード店なら駅の近くにしかない。

 ちょっと聞いてみるか。

「わらざしさん、でしたっけ? 三岡さんとはお知り合いなんですか?」

 男性は振り返らず言葉だけ返す。

「いいや、関係はないよ。無関係なのに大事な岸凪君をお借りするわけだから、僕たちの立場を丁寧に説明したよ。理解してもらうまでに時間がかかったなあ」

「理解してもらったって本当ですか?」

「帰り際の態度を見ただろう? 理解してもらってなければ、あんな穏やかな対応はしないよ」

 この言葉、どこか含みがあるような気がする。

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