3-1 だまり姫をしゃべらせてみた
週末が終わって月曜日。僕はいつものように高校に来て、いつもとは違って生徒の会話を聞いてまわる。
一限目と二限目の間、二限目と三限目の間の休み時間は収穫なし。空振りが続くと歩き回りたくなくなる。僕は探偵には向いていないらしい。そんなこととっくに分かっていた。だから三限目と四限目の間の休み時間は自分の机に座って机に載せた両手に頭を埋めている。
この状況でも周囲の会話は二重に聞こえている。春を思う頃の僕たちはなんとも話すことが多い。放っておいたら一日中会話できるだろう。
《秡川(はつかわ)さんは何言われても黙ってるもんね。つきあい悪いけどつきあいやすいわ》
「秡川(はつかわ)さんは何言われても黙ってるもんね。つきあい悪いけどつきあいやすいわ」
小耳に挟んだその言葉に、少し、カチンときた。
僕の席から見て右斜め後ろ、教室の廊下側に座る秡川さんを見ると、目の前に二人女子が立っていて、ある意味というかはっきりとした侮辱を受けているようにしか見えないのに涼しい顔をして黙っていた。
秡川さんのあだ名は「だまり姫」
高校に入学してから一年ちょっと、彼女が校内の他の子としゃべったところを見聞きした人は一人もいない。
話せない訳ではない。授業中に先生に質問されたり職員室に呼び出されたりしたときには答えている。高くて可愛げのある、嫌みがないどころかむしろ聞いていたい声だったと人は言う。でも生徒相手には一切話をしない。話をしないから友達もいる訳がなく、いつも一人。
ルックスが悪い訳ではない。
むしろ「すこぶる」付きの美少女だ。
大きく開いた目に細いけど高さのある鼻とほどよい大きさの口。肩のやや下まで伸ばした髪はしっかりと黒く白い肌とコントラストを作っている。「かわいい」というよりは「綺麗な」という言葉が似合うシャープな顔立ちだ。身体はウエストが細いのに胸が同級生と比べてはいけないくらいあって、寸胴になるようにデザインされているはずの高校の制服でもスリーサイズそれぞれの数字の違いは隠せなかった。
顔が美人で身体がセクシャルで、少々の性格の難点はかまわない!とばかりに恋の告白に突撃した男子もいたけれど、みんな返事を一言ももらえず玉砕した。そして女子からは、お高くとまっている、とか、お姫様のつもりかしら、とか、まあ悪く言われてきた。
それでついたあだ名が「だまり姫」というわけ。
大抵の場面では周囲から距離を置かれている訳だけれど、本当に一言もしゃべらないから、好きなだけ悪口をぶつけられる場面もある。
みんな、秡川さんを言葉のゴミ箱と思っている様子だ。
その投げつけられる言葉を聞いていて嫌な気分になるのだ。僕が。
あれ。もしかして。
いや、よくないんだ。だめなんだ。やってはいけないんだ。「それ」は。
いったい何のことだか分からないだろうけれども、今自分がもらった力を使えば、ここで何ができるのかを分かってしまった。それは間違いなく悪い方向で、他人に向かって使ってはいけない力だ。だけれども……
クラスのみんなの頭の上には発言のトラックがある。当たり前なのだが、秡川さんの頭の上にもトラックはある。ただ、それがずっと暗いままだというだけで。
そこに発言を差し込んだら……
だめだ。やっちゃだめなんだ。他人に思ってもいないことを言わせるのは許されないことなんだ。
自分が考えたことがいかに問題あることか、何度も何度も自分に言い聞かせる。けれど、言い聞かせるほど頭の隅から消えない。
あれは何だったっけ? 「これから三分間、シロクマのことを考えるな」と言われるとシロクマのことが頭から離れなくなる。それと同じように、やってはいけない、ほとんど犯罪だ、と言い聞かせるほど、秘術の使い方が頭から離れなくなる。
聞いてはいないフリをしているのに、秡川さんの周囲の発言は耳に入った。
《ほんと、秡川さんってかかしみたいだよね。ただそこにいるだけだもんね》
その侮蔑に対して、秡川さんのトラックは動かない。
だめだ。これは、もう、耐えきれない。
秡川さんの頭の上のトラックに気持ちの中で手を伸ばす。そして赤く塗り替える。
その瞬間、僕のみぞおちに鉄アレイが入ったかのごとく重圧がのしかかる。僕は肩で息をする。何が起きるか、顔を上げるのも苦しい状態で横目に見つめる。
「ほんと、秡川さんってかかしみたいだよね。ただそこにいるだけだもんね」
侮辱が皆の耳に届いた後、秡川さんの口が動いた。
「聞いてない訳じゃないよ。言い返すのもよくないと思っていただけ」
その声は高く澄んでいて品があった。ずっと聞いていたかったと人が言っていたのは嘘ではなかった。
瞬間、教室がどよめいた。
《だまり姫がしゃべった!》
《なにがあったの?》
《ついに怒らせたか?》
周囲の同級生のトラックが赤く染まる。これを十秒後には各人の口から聞くことになる。
「だまり姫がしゃべった!」
「なにがあったの?」
「ついに怒らせたか?」
ほら、ね。
秡川さんを侮辱していた女子は目を大きく見開いた。何が起きたか把握するのに時間がかかっている。
でも、一番驚いたのは秡川さんだった。
何を思ったのか、周囲を広く見回した。そのときに首を左右に振ったものだから、まるで自分の発言を自分で取り消しているようだった。
唐突な返事と奇妙な態度に、秡川さんを侮辱していた女子がいら立ちを露わにし始めた。
《何が言いたいの? 今さら何か言う気? どうせ何も言えないんでしょ!》
あらかじめ聞こえた暴言にも秡川さんのトラックは動かない。
動かないトラックを、僕が、赤く塗り替える。
僕のみぞおちに二つ目の鉄アレイが入る。もう座っているのもつらい。机にもたれかかりながら秡川さんを見る。
「何が言いたいの? 今さら何か言う気? どうせ何も言えないんでしょ!」
恫喝に対して秡川さんの口は冷静に応じた。
「他人が聞いて気持ち悪くなることは言わない方がいいでしょ。それが言いたいだけ」
口は穏やかなのに、秡川さんの綺麗な顔には困惑があふれている。そのギャップが相手の神経を逆なでした。
《偉そうなこと言わないでよ!》
これに何と答えようか。とっさに思いつかない。身体は全体が鉛のように重い。
さっきトラックに出た発言は女子の口から出た。
「偉そうなこと言わないでよ!」
それと同時に彼女は秡川さんの机を蹴飛ばした。そして秡川さんの側から立ち去った。周囲に気まずい雰囲気が残った。
僕がやったことは混乱を招いてしまった。やってはいけないと思い続けたことをやってしまった結果は苦いどころでなかった。
発言の書き換えが二回で終わったのは正直助かった。これ以上続いたら僕の身体が保たない。
やっぱり他人の発言を書き換えるのはよくない。
もう二度としない。そう誓おう。
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