2-8 少し甘い。その甘さがうれしかった。

 たしかにおかしな事は起きた。これはまたあるんだろうか。こうなったら探して現場を見つけるのが、僕に課せられた役割なんだろうか。

 それから、時間が許す限り校内をくまなく回った。あちこちの教室、体育館、校庭、部活の練習現場。

 他人の発言が書き換えられる現場なんて、そうそう出くわすものじゃない。ほぼ無駄足。何やってるんだろう? そう自問することも多い。

 けれど、金曜日にもう一回、他人の発言が書き換えられる現場を見た。

《今利君って、好きな人いるのかなあ?》

《つきあえたらなあ》

《告白、してみよっかな》

 昼休みに体育館に集まっていた女子の一人が、今利君に好意を寄せる言葉を言わされかけていた。体育館に入って十メートルほど離れた場所からそれを見た僕はそれらを全て無言で塗りつぶした。身体が、頭が、とても重かった。

 途中で一人が何も話さなくなって、不思議に思った他の女子がその場から離れていく。

 守ったか? 守れなかったか?

 守れなかったんだろうな。僕に黙らせられた子が一人取り残されている。僕が、黙らせたんだ。

 なんで今利君に好意を寄せる言葉を言わせるんだろう? 今利君、そんなに女子にちやほやされたいのだろうか。

 僕は発言を取り消すことに必死で、犯人を捜すのを忘れていた。ハッと気がついてあたりを見回すと、もう他人の発言が書き換えられることはなく、犯人もどこに行ったのか分からなくなった。

 土曜日。僕は和良差さん達にStringで呼び出された。

 集合場所は、この前と同じファストフード店。昼の二時に行くと、二人はもう席に座っていた。

 和良差さんは薄い水色のシャツの上に直に灰色に紺を落としたトレンチコート。なんとなくだけど前と同じ格好の気がする。着た切りだろうか。郡山さんは白のスーツ。こちらは白か黒かの違いはあるけれどもやっぱりコントラストが強い。

《やあ、岸凪君》

《こんにちは。和良差さん、郡山さん》

「やあ、岸凪君」

「こんにちは。和良差さん、郡山さん」

 僕たちは二回挨拶をした。

 僕はStringで聞いていた通り、和良差さんからドリンク一杯のお金を受け取り、カウンターで今回はアイスティーを買って席に戻った。

《まあ、少し飲んだら》

《それではお言葉に甘えて》

 それを口で発言した後、アイスティーのストローに口をつける。

「で、どうしたんですか?」

《学校の様子はどうだったかい?》

 僕が口でいった言葉に和良差さんの発言の先取りが被さった。

 どう言ったらいいものか。

「誰かが他人の言葉を書き換えるところを、実際に見ました。疑って、すみませんでした」

 僕はテーブルに手をついて頭を下げた。

「謝るのはいいから、じゅつしゃは見つかった?」

 郡山さんが冷たく言った。「じゅつしゃ」が「術者」であることに気づくのに数秒かかった。

「すみません。見つかりませんでした」

「探すために何をしたの?」

 僕の口と頭が止まった。

 ええっと、ええっと

「何もしてないの?」

 僕は頭だけ下げた。

「現場を探そうと校内を回ったんですけど、現場を見たとき、発言を書き換えられた人を守ろうとして、上書きしているうちに、犯人を見失いました」

「あなたの仕事は何だと思ってるの?」

「何って」

 郡山さんの表情は冷ややかだった。強い視線に射すくめられて、僕は動けなかった。

 郡山さんの口が動く前に発言の先取りが聞こえてきた。

《あなたの仕事は、術者を見つけて、これ以上秘術を使わせない事よ。原状を回復するんじゃないの。将来を救うの。そのためには犠牲になった人を見捨てるぐらいじゃないとダメよ》

 見捨てる。その言葉をはっきり言われた。僕は自分がやるべき仕事を分かっていなかった。そんな冷酷な仕事だったのだ。

 郡山さんはため息もつかなかった。

「まあいいわ。君がその程度の子だと言うことも分かったしね。どこかで見切りをつけて、他の子に頼んだ方がいいかもね」

 郡山さんは紙コップを持ち上げコーヒーをすすった。もう興味がないという呈だ。

 他の人にお願いできる? 僕がダメだったから?

 これって、僕は楽できるんじゃないのか? このまま失敗を続ければいいのか?

「まあ、本人も責任感はあるみたいだし、このまま様子を見ましょうよ」

 和良差さんがフォローした。責任感って何だろう? そのフォロー、今は重いです。

 僕に対しては無関心だった郡山さんが和良差さんには叱責をあらわにする。

「だから私はこの子に任せるのは反対だったのよ。他人の言葉を書き換えるなんて、ソシオパスやナルシシストが日常的にやってる事よ。蛇の道は蛇。その手の人間に任せた方が頭が回って早くすんだわよ」

 ソシオパス? ナルシシスト? 知らない単語だけれど、発言の書き換えを日常的にやってるって、かなり危ない人たちじゃないのか?

 和良差さんも郡山さんに厳しい表情を向けた。

「郡山さん、そのような人間に秘術を渡して、乱用された結果、術を壊して言葉を奪わなければいけなかったことが何度有ったと思っているんですか? だから今回は常識ある子に任せようと決めたんです」

 郡山さんは黙った。しばらくして大人しくなった。

 郡山さんの方が怖くて偉そうだけれど、和良差さんの一言で黙るなんて、この二人の関係はどうなっているんだろう?

《それで、岸凪君、何か気がつくことはあったかい?》

 和良差さんの口が動いていなかったから、先取りで聞こえたときに気づかなかった。口が動いたときに気づいて考え始める。

「なぜか言わされた言葉の内容が共通なんです。学校に今利君という男子がいて、一年生だけどサッカー部のエースで、二枚目で、人格も温和で、みんなに人気があって、特に女子に人気があるんです。ですけど……」

「ですけど?」

「言わされた言葉は、今利君に興味がない女子が、まるで今利君に恋をしているような言葉なんです。二回現場を見たんですけど、二回ともそうでした」

「その今利君ってプレイボーイ?」

 郡山さんの指摘に思わずびくついた。

「いいや、女子に人気は高いですけど、まだ特定の彼女はいないらしくて、女の子にひどいことをしたという噂は一切ありません。見れば分かりますけど、そんな人じゃないです」

「噂や見た目は分からないわよ。女だったらいくらでも欲しい人間というのもいるのよ」

 郡山さんはすねた見方をする。それが世の中かもしれないけれども、今利君と結びつかない……

「まあ、本人が言わせたというケースもあれば、関係者が言わせている場合もあるしね。可能性は最初に絞り込まない方がいいよ」

 和良差さんが別の道を示す。この二人だとどうしても和良差さんがフォロー役らしい。取り調べの時の優しい刑事の方だろうか。

「そうですか。気をつけます」

 僕はもう一度頭を下げた。郡山さんを見るのが怖くて、和良差さんの方に。

「まあ、今日聞けるのはそのくらいか。これからも大変だろうけど、よろしく頼むよ。それと、犯人捜しは忘れるな。やるべき事はそちらなんだから」

 和良差さんの一言が重かった。

 その一言で場を閉める形になり、僕は残ったアイスティーを飲んだ。コーヒーじゃないから少し甘い。その甘さがうれしかった。       

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