3-5 そのことの後ろめたさを自分の心に問い合わせてください
授業中は身体の重さが残っていて、先生の説明は全く頭に入らなかった。六限目が終われば終礼。終礼が終わったときには身体の重さも大分抜けていた。
僕は鞄を持って帰りかけた秡川さんを追いかけ、道を塞ぐように立つ。
「秡川さん、聞いて欲しいことがあるんだ」
秡川さんは僕を無視して横から抜けようとするので、そのたびに僕がブロックする。三回ブロックしたところで秡川さんは諦めて僕の前に立ち止まった。よし、これで話せる。
「返事はしなくていいから、黙って聞いてて。今日、神谷さんと桐川さんと鞠園さんが、以前に秡川さんについてあることないこと噂していたのを、少しだけだけど、会話にしたよ。三組の瀧君も聞いてたから証人だ」
そのとき、秡川さんの頭の上のトラックが赤く染まった。
《岸凪君、そんなことしたんですか?》
そんなこと、の意味に気づくのにちょっと時間がかかった。そうだ。秡川さんは僕が他人に好きなことを言わせられることを知っている。無理矢理言わせたと思ったのだろう。
秡川さんが驚きの表情を見せた。そしてさっきの言葉は口から出る。
「岸凪君、そんなことしたんですか?」
「僕が何をしたって?」
「何をしたって、その、岸凪君はいろいろできるじゃないですか」
「ぼくがいろいろできると思っているのは秡川さんだけだよ。それに、最後は本人が言ってた」
我ながらひどい弁解だと思う。何もしていないと言いつつ、細工できることを前提の言い訳を最後につけるんだから。
その最後の言い訳が効いたのだろうか。秡川さんが落ち着いた。そして何も言わなくなった。だから僕はきちんと秡川さんに伝える。
「三人が打ち明けたことの証人を得て、何をするかは秡川さん次第だよ。何もしなくてもいいし、三人の噂を流すことも有りだと思う。ただ、秡川さんがしたいことをして欲しいんだ」
秡川さんは振り払うように首を左右に振った。そして僕を置き去りにして駆けだした。
「私、帰ります」
僕は秡川さんの後ろ姿に、離れていく秡川さんに届く大きさの声で呼びかける。
「さようなら、秡川さん」
そこに返事はなかった。
そして次の日。
僕は秡川さんに「おはよう」と挨拶したけれど、秡川さんからの返事はない。
これはダメだったんだろうか。僕は要らないことをしたのだろうか。
一限目が終わって、本来の僕の仕事である秘術の術者を探すために構内をまわろうとしたところで秡川さんが僕に近づいてきた。そして僕に向かって紙切れを差し出した。
僕が一礼して紙切れを受け取ると秡川さんは無言で席に戻っていった。
僕は椅子に座って紙切れを開く。
言うべきことは本人に言います
今日の昼休み、三人がいる五組に行くので
そのとき側にいてもらえませんか
岸凪君、ありがとうございます
もう少しだけ力を貸してください
本人に言う? いきなり? 秡川さん、何につけてもやることが大胆だなぁ。
でも、だ。
力を貸して。
その一言が出るということは、本人も心細さを感じているんだろう。僕は秡川さんの決断を潔いと思うし、僕にできることがあれば力を貸したいと思う。
四限目が終わって昼休みに入ったところで、僕は秡川さんの席に行く。秡川さんは立ち上がって僕を見た。僕たち二人は無言で首を縦に振り、これからやることの意思を確認した。
五組に向かうまで、僕たちは無言だった。教室の前に来たとき、秡川さんの足が止まった気がした。
「行っておいで」
僕が促すと秡川さんは教室の中に入っていった。違う学級の珍しい人が入ってきたことに教室の中がざわめく。
目を見開いたのはあの三人だ。しかも秡川さんがまっすぐそちらに歩いて行ったから三人で秡川さんを凝視する。
秡川さんが、口を開いた。
「神谷さん、桐川さん、鞠園さん。三人にお話ししたいことがあります」
だまり姫がしゃべったことに教室がざわめく。
神谷さんは席に座ったままいらだった声を上げる。
「なに急に言ってるんですか? 私たち、忙しいんですけど」
三人で秡川さんをにらみつける。けれども、持って生まれた空気の違いがあった。秡川さんが席に座った三人を見下ろすと、周囲が秡川さんの言葉を待つ舞台になった。
皆が待つのに応えるように秡川さんが言葉を発する。
「三人が以前に、私についてあることないこと話していたのを、昨日思わずしゃべったと、それを聞いた人から聞きました」
神谷さんが怒声を上げた。
「私たちがあんたについておかしなこと言ってたって言うの? そんなの、どこに証拠がある訳? それに、過去のことだったら、あなたの過去を知ってる人だったらあなたの言うことなんか信用しないと思うけど」
秡川さんは怒声を受け流した。その姿は厳かに見えた。
「私が信用されないのはそうかもしれません。でも、他人の口が言ってもいないことを言ったことにした、そのことの後ろめたさを自分の心に問い合わせてください。言いたいことは以上です」
秡川さんがきびすを返す。教室の出口までの間にいる人が脇によけて自然と道ができる。
「なに偉そうに言ってるわけ!」
神谷さんが怒鳴り声を上げるのは、周りから見て遠吠えに過ぎなかった。
秡川さんが教室から出たところで僕は後ろからついて行った。
廊下の角をまわって五組が見えなくなったところで秡川さんが座り込んだ。そして荒く息を続ける。
あのときの秡川さんは格好良く見えたけど、内心では一杯一杯だったんだろう。
僕は声をかける。
「頑張ったね」
すると秡川さんは
「はい」
と応えた。それは無言じゃなかった。
教室に帰るとき、秡川さんはこぼした。
「私が信用されないのは本当なんですよね。友達もいませんし」
僕に、紹介できる女の子は一人しかいなかった。
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