1-1 目立たない僕にも目立つ友達がいる

 スクールカースト、という大げさな言葉が自分の日常のことを言っている。そのことを知ったのは中学二年生の頃だった。

 言葉の定義からは、僕は小学校から中学校まで、ずっとスクールカーストの最底辺にいたことになる。そのことは知っていたけれども、分かったのは、高校進学によってタイプが違う生徒が別の学校に分かれて似たものどうしの学校に入り、一年経ったときのことだった。気づけば僕の周りから蔑みがなくなっていた。

 それは、今まで生きてきたところが実は水の中で、上から押さえつける腕がなくなったら水面上に顔を出せて、眩しい太陽の光を感じながら、初めて空気があるところで息をしたような感覚だった。

 大変に良かったこと、なのだけれど、僕にとっては中学校までが当たり前の社会であって、今生きている場所は少し現実味がなかったりする。同級生に話せば笑われそうだけれど。

 スクールカーストの上位にいる人が見たらどう思うだろう。僕のように友達が数人しかいない人間は。

 年度が替わって二年生になって一ヶ月。ゴールデンウィークも終わり、もうしばらくすると中間試験がやってくる。今はその谷間。

 窓の外を見ると青空にポツポツ雲が浮いている。梅雨はまだ遠い。

 行事がなく切羽詰まってもいない、ありそうで実はあまりない「何も無い学校生活の一日」が終わろうとしている。

 教室で終礼が終わって、僕が鞄の中を確認していると、僕の数少ない友達の一人、屋村君が寄ってきた。

「岸凪(きしなぎ)はこれから図書館に行くのか? 僕はいつも通りだけれど」

 岸凪は僕の苗字だ。名前は節(せつ)という、昔のお婆さんみたいな名前。僕の名前なんて誰も気にしないけど。

 屋村君と僕は文系男子同士、周囲とあまり接点を持たずに生活している。屋村君の「いつも通り」とはつまり、図書館に行くよ、ということだ。

「そうだね。何も無いから……」

 行くよ、と言おうとして、何かを忘れていたような気がしてくる。

 沈黙すると気まずいな。と思う間もなく、僕の頭の奥底から記憶が浮かんできた。

 もうひとりの友達、瀧君に英語の教科書を貸していたのだった。返してもらわないと今日の宿題ができない! なんで返すのを忘れてるんだよ、瀧君!

「ごめん。ちょっと用事があった。そこに寄ってから行くから、先に行ってて」

 屋村君は落ち着いている、というか、人によっては冷たいと見るかもしれない表情で聞いた。

「用事があるなら行けばいい。謝る必要はないよ」

 謝る必要はないよ、と諭すということは、つまり、言葉の選択を誤ったんだぞ、ということ。

 それぞれの場面で何を言うべきか。僕は十六歳になっても未だに距離感をつかみかねている。

 至らないところを屋村君に指摘されるのは日常の一部だ。

 仕方ない。僕は言葉の選択が下手なんだから。

 何と言って返そう。「そうだね」と受けるとか「大げさだった?」と茶化すとか、いくつか選択肢はあると思う。でも、どれも選べず、何も言えなかった。

「じゃあ、行くよ」

 ただそれだけ言って僕は教室を後にした。「後でな」という屋村君の声が聞こえたような気がしたのは、気のせいだったかもしれない。

 昇降口を出て校庭に寄る。用事がなければ僕が放課後に校庭に寄ることなんてない。

 校庭ではいくつかの体育系部活が練習している中、サッカー部は銘々がウォーミングアップしていた。まだ全体練習の前だろう。

 そこに瀧君はいた。

 瀧君はサッカー部で、二年生だから、そろそろレギュラーを取れるかどうかというところ。身長が百七十センチ台後半で、明るい華のある顔。

 本当に、どうして僕と友達になったんだろう。

 それを思い出すと、去年の出来事に行き当たる。

 あれは一年生の夏休み前だった。僕と瀧君は同じ学級で、昼休みに僕が物を書く(何を書いているのか言うのは気恥ずかしい)、その前のメモ書きをしていたところを瀧君が見たんだった。

「岸凪、それ、何?」

 僕はびっくりして手で隠したんだけど、瀧君は

「見せてよ」

 と軽く言った。そこに嫌みはなかった。

 リア充なら僕の趣味を笑うだろう。そう思ったのは偏見だった。瀧君は笑わなかった。

 僕が事情を説明すると、何の気負いもなく

「岸凪って面白い奴だったんだな」

 これが瀧君の反応。正直、思春期の子としては珍しいと思う。

 僕の趣味を馬鹿にしなかったから、そのあとで僕が気軽に話しかけられたんだった。

 僕とぼっちにしなかった瀧君の度量に感謝、多謝。

 そんな瀧君を含めたサッカー部の練習を見ている女子が、マネージャの他に数人いる。その子達は僕を見て、なんでこいつが、とヒソヒソ声。男子好きとでも見られているんだろうか。まあ、でなきゃ男子が男子の部活風景なんか見ないよね。そう思われる僕が悪い。

 それでも、一人だけ嫌悪感を示さなかった女子が近づいてくる。手を振って。

「お~い。見えてる~?」

 見えてるよ~。とは声にしなかったけど、手を振り返すと、その子は手を振る速度を速くする。普通の話し声が届く距離に来たところで、その子は手を下ろした。

「岸凪君、応援に来たんだ?」

「有沢(ありさわ)さん、応援じゃないんだ。瀧君に英語の教科書貸してて、返してもらいに来たんだ」

「休み時間に爽平(そうへい)のところまで返してもらいに行くのを忘れたんだ? 岸凪君、抜けてるよね~」

 有沢さんは瀧君のことを下の名前で呼ぶ。そして歯に衣を着せない。僕は笑ってごまかすしかない。

 有沢さんは瀧君の彼女、ということでいいんだと思う。

 女子だけど身長が百七十センチ近くあって僕と目線が近い。身長の高さを生かして髪はショート。顔の作りも線がシャープ。でも男っぽいわけじゃない。顔は整っていてきちんと女の子らしさが出ているし、体のラインは少々だけど女性らしいメリハリがある。

 瀧君と有沢さんが二人並ぶと、平凡な文系男子の僕は引き立て役にしかならない。僕はそこに引け目があるのだけれど、二人にその遠慮はなく、気軽に話しかけてくる……

 悲しくなってくるから、この話題はここでカット!

 有沢さんはサッカー部のマネージャではなく、帰宅部。

 それでも練習を見に来ているのは、瀧君が気になるから。それだけだよなあ……

「有沢さんこそ、練習を見に来るなんて、そんなに瀧君が気になるんだ?」

「そうだね。爽平はレベルが高いから、他の子が良さに気づいてモーションかけるかもしれないんだよね。だから、甘い物が苦手で女子のスイーツ好きにつきあってくれないよ、とか、練習終わって汗臭くなってるところで気にせず私に触ってくるよ、とか、爽平の駄目なところをきちんと他の子に知らせて、近づく気をなくしておかないとね」

 そう言う有沢さんの目は笑っていた。何の屈託もなく。

 別に有沢さんに裏表はない。その悪意の自覚の無さが有沢さんの全てだ。

 隠し立てしないことを瀧君は気に入っている、と思う。でも、よく耐えてると思うよ、瀧君……

 ここはフォローを入れるべきところ、なのだろうか。

「でも有沢さん。他の子が見てるのは今利(いまり)君じゃないの?」

 瀧君から視線を逸らして少し斜めの方向に今利君が見える。

「そうだね。ルックスに目を奪われてるうちは、それでいいんじゃないの? あんだけ綺麗なところしか見せてないと、逆に怪しく思うんだけどね」

 ハハハハハ。有沢さんの言葉には笑うしかない。

 たしかに今利は印象が最高だ。瀧君と、ましてや僕と同じ高校二年生とは思えない。

 まずルックスがいい。瀧君が学校で格好いい男子のレベルなら、今利君は女子向けアニメの攻略キャラレベル。

 それでいて運動もできる。一年生の頃からサッカー部のレギュラー確定で、ポジションはフォワード。僕たちの高校は公立の普通校でスポーツ推薦はないのだけれども、春の大会で県ベスト4に入ったのは今利君の得点能力に因るところが大きい。

 そして女子に対して紳士的。思春期男子にありがちなエロ妄想ダダ漏れなところが、今利君には一切ない。

 去年、あるエピソードを聞いた。

 秋の選手権で二回戦の前に、ある女子が今利君の元に近づいて、こう言ったらしい。

「あの、今利君、次の試合でゴールを決めたら、私が持ってる今利君が好きなもの、なんでもあげます!」

 それ、「もらって!」ってことだよね。恋する女の子は体当たりもする。

 でも今利君は落ち着いて答えたそうだ。

「試合はチームでやるものだから、僕だけご褒美をもらうわけにいかないよ。全員を応援して」

 その場はそれで終わったのだけれど、次の試合では今利君がハットトリック。そしてし合いの次の日に今利君はわざわざその子の元に行って声をかけたんだ。

「応援ありがとう。だから勝てたよ」

 その言葉を聞いた女子は、その場でポウッと立ち尽くしてたんだって。

 その対応って、つきあうのを断ってるの? それとも誘ってるの? それを天然でやるんだ。

 そりゃあ人気も出るよ。

 スクールカーストでいえば上位、というか、校内トップの一人だろう。もしかしたらワントップか。

 ああ。僕とは大違いだ。

 ウォーミングアップを終えた今利君がギャラリーに気づいて、ただ、微笑んだ。

 すると女子の顔が喜色に染まる。手を振っている子もいる。

 今、僕の目の前に、想像上の等身大の鏡が立ち上がった。そこに写った僕の姿はなんとも貧相だ。

 今利君や瀧君と争わなければいけないのだから、僕が女子からの好意を受け取ることは絶望的だ。僕は争いから降りている。

 今利君同様にウォーミングアップを終えた瀧君が有沢さんと僕に気づいた。近づくのがめんどくさいのか、大きな声を上げた。

「岸凪、お前が見ててもつまらんぞ」

「爽平~、英語の教科書~、岸凪君に返してないでしょ~」

 僕が答えるより早く有沢さんが手でメガホンを作って瀧君に呼びかけた。瀧君は、アッ、ともらして、顔に慌てた表情が浮かぶ。

 それを見ていた顧問の先生が叱責する。

「瀧、何やってる?」

 瀧君は先生に頭を下げる。

「すみません。友達に借りてた英語の教科書を返さなきゃいけないので、少し抜けさせてもらえませんか」

 顧問の先生の語調は厳しい。

「なにやっとるんだ。早く済ませろ。きちんと礼を言っとけ」

 どうにか許可をもらえた瀧君は更衣室に走る。

 僕のところまで教科書を持ってきてもらうのは、まずいよね?

 先生の視線が痛いので、僕も更衣室に走った。有沢さんが笑った、気がした。

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