第26話 ニルティギスの惨劇(4)
当時十五歳のフランと十三歳のアキームの言葉を借りるのであれば「見せられたものじゃない」状態だったらしく、ラゼットは「見せられる状態になるまで、ここで待っていてください」と、近くに設けられていた兵の駐屯所へ預けられた。
「すぐに迎えに来ますから。」
フランになだめられ、ラゼットはふてくされながらも小さくうなずく。せっかく外に出られたのだ。
わがままを言って国に一人送り返されるわけにはいかないのだから、大人しく待つことにした。とはいっても、さすがに五分もすれば飽きてくる。
周りは臨時で手を組むことを了承したのか、オルギス王国とギルフレア帝国の兵士たちばかりで、面白くもなんともない。ラゼットは何か退屈しのぎになるものはないかと首を動かして初めて、そこに一人の少年がいることに気が付いた。
「どうして悲しそうな顔をしているの?」
忙しそうに動き回る大人たちの中で一人、傷だらけの全身を赤黒い液体で染め、目に白い包帯を巻かれた少年がジッとうつむいて座っている。
「目が見えないから悲しいの?」
ラゼットは目の前に立ちながらその少年の顔を覗き込んだ。
そして泣きなくなってくる。なんて悲しい雰囲気をまとっているのだろう。孤独と不安と恐怖だけではない、この世に生きていることへの絶望と怒りさえ伝わってくるようだった。
「俺は悲しくなんてない。」
口さえ聞けないんじゃないかとラゼットが思い始めたころ、少年の口からポツリと苛立ちの声が吐き捨てられた。
「自分に嘘なんかつかなくていいんだよ。」
ラゼットは目の見えない少年を刺激しないように静かな声で語りかける。
「心が泣いてるときは、泣いたっていいんだよ。」
それはかつて、レルムメモリアで大好きな祖母が亡くなったときにフランとアキームが言ってくれた言葉だった。
泣くことで心が軽くなることをラゼットは知っている。
知っているからこそ、泣きたくても泣けないような雰囲気をもつ少年をラゼットは見捨てることが出来なかった。
「私が祈っていてあげる。あなたが幸せになるように。」
ラゼットはポケットの中から手のひらに収まるか収まらないかほどの石を取り出す。
そして、少年の手にそれをもたせるようにそっとその手を握った。
「これは私の大事なお守りなの。」
一瞬、ビクッと大げさに体を揺らしたが、少年はその石を手にするなり、初めてラゼットの方へ視線をあげる。
その目は包帯にまかれて見えていないはずなのに、ラゼットはまるで見つめられているかのような錯覚を覚えて、少しだけ固まってしまった。けれど、すぐに気を取り直して少年に笑顔をむける。
「今はあなたに貸してあげる。だから、もしね。」
『希叶石を救いたいと思う誰か、幸せになってほしいと願う誰かにあげなさい。』祖母の声がラゼットの耳に聞こえて気がした。今がその時だとラゼットは思う。
だから、名前も知らない少年に大事にしていた石をあげることにためらいはない。
「私が泣きそうになった時、今度はあなたがそれを返しに来て。」
ニコリとラゼットは少年に向かって優しい笑顔で祈りの言葉をつぶやいた。
そのとき、バタバタと焦燥の足音が聞こえてくる。
「こんな場所におられましたか、心配しましたよ。」
「あ、ごめんなさい。」
「用意が整いました、急ぎましょう。」
「え、ええ。」
どうやら見せられる状態にしたらしいフランとアキームに連れ去られるように、ラゼットはその場から立ち去ることを義務付けられた。ようやく感情が見え隠れしはじめた少年は気がかりだったが、今日はそのためにここに着ているわけではない。
祈りで呪われた大地を浄化するため。
盾として初めて異国の地を訪問した身としては、その力をきちんと見せておく必要があった。
「それじゃ、またね。」
ラゼットの身体が二人の少年に連行されて遠ざかっていく。
「………温かい。」
その様子を目で追うことは叶わなかったが、リゲイドは自分の手のひらに持たされた物体に、気持ちが安らいでいくのを感じていた。
今まで周囲の言葉もざわつきも苛立たせるものでしかなかったのに、リゲイドは不思議と今まで生きてきた中で一番平穏な気持ちになっていくのをじっと感じていた。
「~~~~っ」
人に優しくされたのも、人から何かをもらったのも、そして人にお願いをされたのも生まれて初めてだった。
世界を映さなくなった瞳に光が差し込むように、それはリゲイドの孤独を拭い去ってくれるほどの感情だった。
温かい。
世界にはたった一度で胸を溶かしてくれる優しさが存在している。
「あっ、あのっ。」
リゲイドが石をくれた少女のことを訪ねようとしたそのとき、周囲がこれまで以上にザワザワとうるさく騒ぎ始める。
「ごっゴルジョバトフ陛下!?」
「陛下だ、へっ陛下が参られたぞ。」
どうやら昨日会ったばかりの諸悪の根源が現れたらしい。
「リゲイド。」
目の前に立たれるだけでその威圧感がリゲイドの神経を逆なでした。
「リゲイド。」
もう一度呼ばれて、リゲイドはゆっくりと立ち上がる。
しんとした凍てつくような静寂の中、次に発せられる言葉は再び死の宣告かと思うと、湧いたばかりの温かな感情も音をたててしぼんでいくようだった。
「今これより、お前の名前はリゲイド・ギルフレアとする。」
目が見えなくてもさすがに分かる。
周囲の兵たちが顔を見合わせ、そして地面に膝をつく。
「わが帝国の王子としてわが城へ住むことを許そう。」
反転するほどの人生を静かに口にしたギルフレア帝国の皇帝陛下に、このとき湧いた感情をリゲイドは生涯忘れはしないだろう。
そしてそこから十年の年月を経て、新たに「最強の矛」の称号を得たリゲイドは二十歳の誕生日に、隣国、オルギス王国との友好条約復活の切り札として婿養子となることが決まった。
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