第3話 裏切りの初夜

ところどころに綿菓子のような白い雲が青空の中に浮かんでいる。

風は穏やかで、時折鼻腔をくすぐる甘い花の香りにオルギス王国は包まれていた。



「きゃーーー。リゲイド様ぁぁぁああ」



前言撤回。甘い花の香りだけではなく、どうやら甘く黄色い声援もこの気怠さを助長させているらしい。



「リゲイド様ぁあ、こっち向いてぇぇぇ」



街の広場に設けられた特設会場に向かうまでの道すがら、その亜麻色の髪をなびかせ、海のように深い紺碧の瞳にその町娘たちをうつしながら、リゲイド・ギルフレアは笑顔で手を振っていた。対して、ラゼットはその彼の横に腰かけながら、青ざめた死人のような顔で馬車に揺られて座っていた。しかしリゲイドに負けず劣らず、ラゼットに向けられた民の声は熱い。



「ラゼット様ぁ、おめどうございます!!」


「おめでとうございます、ラゼット姫ぇぇ」



リゲイドに向けられた声が若い女性で大半を占めるのであれば、ラゼットに向けられる声は中高年のおじさん、おばさん、子供たちと若い男性で大半が占められていた。

もちろん無視することも出来ずに、その群衆に向かってラゼットは力なく手を振りながらニコリと笑う。



「きゃぁあああラゼット姫ぇ!」



この国の女性は元気だと思わなくもない。明日には今、身に着けているラゼットの衣装が流行となっていることだろう。



「はぁ。」



顔に笑顔を張り付けたまま、ラゼットは重苦しい息を吐き出した。

国をあげての吉報を全身で喜びたいところだが、残念なことに、当事者であるラゼットは極度の緊張と昨夜の祈りの影響で息をするのもやっとだった。



「ラゼット様、大丈夫ですか?」


「フラン、アキーム。心配ないわ。」



特設会場についた馬車から降りる手前で、ラゼットはフランにそっと手を差し伸べられる。近衛兵として傍にたっていたアキームも心配そうに表情をしかめていた。

心配性の二人にこれ以上迷惑はかけたくない。

そうは思ってみても、情けないことにその手は震えていた。それでもラゼットは、気合をいれるようにフランとアキームに笑顔を作って見せた。



「キャッ!?」


「さっさとしろ。」



キャーキャーと黄色い声援に包まれた男が、小声でラゼットの背中をおす。



「きさまッ!?」



アキームが眉間にしわを寄せたが、ラゼットは片手で制してその行動に歯止めをきかせた。



「大丈夫よ、アキーム。騒がないで。」



ラゼットは婚儀の儀式に集まった民衆に疑問を抱かれないように、小声で現場をなだめる。フランもアキームも人目につかないように握りしめた剣から手を離し、リゲイドをにらみつけることでラゼットの申し出を受け入れる姿勢を見せた。

ここは、リゲイドとラゼットが結婚式を執り行う神聖な場所。

いくら相手が横暴な男であろうと、ラゼットの婚約者である以上、これから先は忠誠を誓うべく主になる存在。



「ふん。」



リゲイドは、そんな二人の視線をあざ笑うかのように、ラゼットの腰を強引に引き寄せる。その様子にまた、キャーっと甲高い声援が広間にこだました。



「そんな奴らにかまってないで、さっさと行くぞ。」


「え、あ、あの。」


「こんな面倒な儀式、とっとと済ませて休もうぜ。」



ラゼットはリゲイドに連行されるように深紅の道を進んでいく。雪のように頭上から降ってくる色とりどりの花弁は目を見張るほど美しかったが、腰をつかまれたままのラゼットにそれを楽しんでいる余裕はなかった。

バクバクと心臓が口から出そうなほど緊張していて、手足の感覚がほとんどない。

そんなリゲイドと対面したのは、つい三十分ほど前のこと。



「はっはは初めまして。ラゼット・オルギスと申します。」



結婚式のためにあつらえた紳士の衣に、亜麻色の髪と紺碧の瞳がよく映える。

一目見て、女中たちがザワザワと落ち着かない理由はこれかと、ラゼットは納得せざるを得なかった。



「リゲイド・ギルフレア。まあ、今日からはリゲイド・オルギスになるな。」



ちょうど心地よく響く声がラゼットの体を硬直させる。

この人が今日から自分の夫となるのかと思うと、用意していた言葉も仕草も全部吹き飛んでしまったのが記憶に新しい。そこから始終、どこかしら不機嫌なリゲイドの逆鱗に触れないように、乗せられた馬車の上でラゼットは大人しくしていた。



「重い。」


「えっ!?」



ドキドキと押し寄せてくる緊張と戦い続けていたラゼットは、突然立ち止まったリゲイドの声に現実に引き戻される。

目の前には神父。

馬車を降りてからずっと腰を支えられていたことを今、思い出した。思い出すと恥ずかしい体制のまま、神に誓う祭壇前にたどり着いたことを知ったラゼットは、真っ赤な顔を隠すようにリゲイドからそっと離れた。



「ごっごめんなさい。」



支えられていた腰の部分がじんわりと熱い。

この日のために特注に作られた薄紫のドレスと白いヴェール。顔を隠してくれるものがあってよかったとラゼットはその深紫の瞳を閉じて、そっと小さく息を吐いた。

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