第2話 祈りの光(2)
闇の中にあっても絶対の光。月のない夜は特に、ラゼットの捧げる祈りの光だけが人々の心の平安を保ってくれている。七年間。それは変わらずに毎日続けられてきた儀式のような行為だった。
「結婚式を控えた時くらい休ませてやらんのか。」
普段は無口なアキームが今日に限ってよくしゃべる。
大方、国王に出来なかった直談判を今ここでするつもりなのだろう。けれど、それはフランも同じこと。文句を聞くつもりも、はけ口になるつもりもないといった風に、ふっと軽く口角をあげた。
「仕方ありませんよ。国王様のご命令ですから。」
フランは困った子でも見るような目でラゼットからアキームへとその視線を向ける。
アキームもまた、ラゼットからフランへとその顔をわずかに向けた。
「国王といっても、自分の娘だろうが。」
「ご自分の病弱が悪化しているので心配なのでしょう。幻獣魔族がいつこの国を襲ってくるとはわかりませんし。」
「ラゼット様の祈りが、そう簡単に破られることはない。」
「そのラゼット様の祈りだけが、この世界の希望だと思われているのですよ。」
アキームは腕を組んだまま柱にもたれて、またラゼットの方をじっと見つめている。黒い髪に金色の瞳。オルギス国のアキームといえば、戦場でその名前を知らないほどの屈強の戦士。
その彼にも悩みの種があるということは、幼いころから共にラゼットに仕えるフランしか知らないに違いない。
「ギルフレア帝国の王子は?」
「つい先刻ほど到着されましたよ。」
この際なので彼の不安を少しでも緩和してやろうと、フランはラゼットに視線を戻しながらいつも通りの声色でアキームに告げた。
「どうした?」
やはり、長年連れ添った相手。わずかな感情は見抜かれてしまったらしい。今度はアキームが、困った子でも見るような目でフランを見つめる。
「物思いにふけるのはいつものことだが、あまり考えすぎるとはげるぞ。」
せっかくの美貌が台無しになるぞと茶化したアキームに、フランはふんっと鼻を鳴らした。その鼻の鳴らし方に、何かよくないことを誤魔化したのだということはすぐにわかった。けれど、それを深く追求するアキームではない。
それがわかっているからこそ、フランも何事もなかったかのようにラゼットを見つめたままでいた。
「ギルフレア帝国の王子をどう思いますか?」
無言で過ごした数分間のあと、フランが静かに問いかけてくる。
「戦場で一度だけ刃を交えたことがある。」
アキームもラゼットに聞こえないように小さくフランへと声だけで応えた。
「最強の矛と呼ばれるに相応しい力を持っていることは確かだ。」
「見た目に関しては、城の女中たちが人垣になるくらいには申し分ないとでも言っておきます。」
無表情で淡々とした声をこぼすあたり、それは本当のことなのだろう。
思い返して小さなうなり声をあげるフランを余所目に、アキームは「はぁ」と憂いの息を吐き出す。
「あの時のヤツが、まさかギルフレア帝国の王子だったとはな。」
その小さなつぶやきは、どうやらフランには聞こえなかったらしい。けれど、それは大した内容ではなかったのか、アキームは別の話題をふるように、フランに向かって声を落とした。
「今回の婚儀には政略的な腐った臭いしか俺は感じない。」
「ええ、まあ。そうでしょうね。」
「盾と矛の伝承を利用した友好条約だろう?」
いくら馬鹿でもわかるぞと、アキームは腕を組んだままフランにその真意を問う。
「忘れられた友好を取り戻すには、これ以上の機会はありませんからね。」
「十五年前のレルムメモリアについて、まだギルフレアに憎しみをもつ者は多いしな。」
「それを思うと婿養子という形で異例の婚儀を義務づけられたギルフレアの王子にも同情を覚えますね。」
「だが、それとラゼット様の幸せはまた別物だ。」
結局、王の代わりにアキームの直談判を聞く羽目となってしまったフランは、自分も問いたい内容は同じだと肩をすかして感慨深い息を吐いた。
「ラゼット様はご自分の幸せを望まれません。」
「だから余計に腹が立つんだろう。」
「明日の婚儀を思うと、わたしも気が滅入りますよ。」
はためく白雪の長い髪が、淡い紫色の光の風と共にフランの息を消し去っていく。まるで心配しなくても大丈夫だというように、ラゼットの祈りがみせる光の温かさが二人の胸に苦しみを与えていた。
まだ十八年しか生きていない少女の姿に心が痛む。
こみ上げてくる思いに肺が締め付けられる。
その小さな背中に背負わされた負の遺産は、年を重ねるごとにラゼットを縛り付けているようにしか見えなかった。
「俺たちが守ってやる。」
アキームの強い意志が秘められたつぶやきはフランにしか聞こえない。
「ええ、誰にも傷つけさせはしません。」
フランの決意をにじませた声もアキームにしか聞こえない。
塔の眼下では、人々は夜のとばりと温かな祈りの光に包まれて静かに眠っていることだろう。誰もがその胸に、明日の婚儀を楽しみに待ちわびながら、幸せな夢を見ていることだろう。
たった一人の少女の祈りに、世界は守られている。
絶望の暗闇を照らすように、ラゼットは一晩中、祈りを世界に捧げ続けていた。
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