第9話 レルムメモリア(3)


「実際に矛の力をもつ者が誕生していないから、そこは伝説だと言われているけど、誰も確かめたことがないからわからないわよね。」


「え?」


「だって、わたしたちオルギスの盾は、こうしてちゃんと存在しているもの。」



チョンっとつつかれた鼻先に、ラゼットはケタケタと笑い声をあげる。



「わたしたち祈りを捧げる盾の役割は、テゲルホルム連邦から侵略してこようとする幻獣魔族から世界の平和を守ってくださいと祈り続けることなのよ。」



再び腰をあげて立ち上がったフィオラの横顔をラゼットはじっと見上げるように見つめていた。

自分と同じ白髪と額に宿る紫の紋章。

自分もいつか史上最強と名高い祖母のようになるんだと、このとき深く誓ったことを覚えている。



「わぁ、おばあちゃま。あれはなぁに?」


「あら、ラゼット。あなたもそれが気に入ったの?」



フィオラの横顔が見つめる先を目で追いかけたラゼットが見たもの。

祭壇の中央で、男女の像が守られるようにしてそれは未知なる光を放っていた。



「それは希望を叶えてくれる石、希叶石(キキョウセキ)という魔石。」


「ませき?」



聞いたことがないと、ラゼットの首が少し傾く。それに少し苦笑してからフィオラはその希叶石を祭壇から取り出すように持ち上げて、そっとラゼットの手に持たせてくれた。

楕円形をした白く滑らかな石。

力があるようにも見えないが、無いようにも見えない。不思議なことに、持っているだけで不安や孤独から救ってくれるような力を与えてくれる。



「いいかい、ラゼット。」



希叶石に魅入られていたラゼットは、ハッとしてフィオラへと顔をあげる。

そこでは、いつもと違ってどこか真剣な眼差しをした盾としての祖母がいた。



「祈りは自分のためにあるものではないの。愛する人を守るために祈りを捧げるのが私たちに授かった力。」


「あいするひと?」


「そうよ。思う心、願う心、信じる心が祈りに希望と勇気を与えてくれるわ。その代わり、よく覚えておいで。祈りは心。迷いや、弱さは祈りの効果をなくしてしまうもの。」



自身の胸元に手を置きながらフィオラはラゼットの瞳をじっと見つめる。

紫色の双眼。昔はシワひとつなかったであろうその肌には、長年の苦労と思慕が刻まれていた。



「心には強さが必要だよ。」



強さ、その意味はよくわからない。けれど、なぜだか、目がそらせない。

いや、そらしてはいけないのだと、ラゼットは希叶石をぎゅっと握りしめながら、祖母の言葉に耳を傾けていた。



「ラゼット、この希叶石はね。人の心を癒す力がある魔石なの。大事なことは祈りに食われないことだ。」


「いのりにくわれる?」


「そう。祈りは願いに、願いは呪いに、呪いはやがて闇となって世界を飲み込んでしまうだろう。」



フィオラはラゼットの手に握られた希叶石に目を落とす。つられて、ラゼットも自分の手の中にある希叶石へと視線を落とした。

小さな手に握られた拳ほどの大きさの石。まだ小さなラゼットの手のひらでは包み込めないほどの大きさの石。

その希叶石を持つラゼットの手をフィオラの手がそっと優しく包み込む。



「ラゼット、忘れないで。」



希望を叶えてくれる石だといった祖母の声が、祈りの塔の中で静かに反響していく。



「希叶石を救いたいと思う誰か、幸せになってほしいと願う誰かにあげなさい。そうすればきっと、お前の心はいつまでも誰かのために祈ることができるだろう。己がしたことは己の身にまわりまわって返ってくるものなの。自分の欲望のためだけに祈りを捧げる者は、やがてその報いを受ける羽目になるだろう。」


「むくい?」


「今はまだわからなくてもいい。だけどね、ラゼット。希叶石はお前がずっと持っていてはいけないよ。」


「ねがうだれか?」


「そう。助けてあげたいと思う誰かに出会ったときに、必ずそれをあげなさい。」



よく意味が分からないといった風に、ラゼットは首をかしげていた。

「いまはまだ、わからなくてもいい」そう、ラゼットの頭をポンポンと二回ほど叩いてから、フィオラは立ち上がる。



「祈りを捧げましょう。オルギス王国とこれからの未来を背負うあなたのために。」



希叶石を見つめたまま言われたことの意味を考えていたラゼットは、差し伸べられた手に気づいて、ハッと顔をあげる。



「ラゼットはおばあちゃまのためにいのるの。」



また頭をポンポンと叩いてきた祖母は、優しい笑みを浮かべていた。

その顔がどこか悲しそうで、泣きだしそうで、つないだ手の温もりにラゼットの心がざわざわと騒ぎ出す。



「おばあちゃま、あ───」



ラゼットの声が空中で止まると同時に、フィオラは満面の笑顔で答えていた孫娘の目が大きく見開かれ、恐怖と絶望に染まっていくことに気づいた。



「ケケケケケケ、ミツケタ。見つけたぞ、女神さま。」


「───キャァァアアァァァ」



地面が崩れていくほどの大きな揺れと、頭上からバラバラと降り注いでくる瓦礫の数々。その隙間を縫うように空から向かってくる巨大な鳥の風圧に幼いラゼットの体が吹き飛ばされる。



「ラゼット!?」



断続的に繰り返される爆撃の音。視界が遮られるほどの粉塵の中、フィオラは吹き飛ばされた先で気を失ったラゼットを見つけた。



「ラゼット、ラゼット!!」



慌てて駆け寄りながら、フィオラはラゼットの名前を繰り返す。



「ラゼット、しっかり。しっかりしなさい、ラゼット!!」


「…っ…んっ」



瓦礫でかすったのだろう。命があることにフィオラの顔が安堵にゆるむ。

かすり傷だらけではあるが奇跡的に命を取り留めたラゼットの体に顔をうずめながら、フィオラは祈りの塔から一目散に外へと走り出た。

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