第10話 レルムメモリア(4)


「フィオラ様、ラゼット様!?」



外へ出たフィオラとラゼットの元へ、外で待っていたらしいフランとアキームが駆け寄ってくる。



「一体、何が起こったのです?」


「ラゼット様、どうなさったのですか?」



血だらけのラゼットを抱えたフィオラの姿に驚愕したフランとアキームの顔がこわばっていた。それはそうだろう。問いかけたフィオラの後方から、祈りの塔を超えて無数の獣が群れをなして侵略する姿が近づいてくる。

本の中でしか見たことのない。古代の生き物が鎧をまとい、武器を装備し、獰猛な瞳を宿して舌なめずりをしていた。



「ケケケケケ、ダヴィド将軍。この娘、この娘です。」


「ッ!?」



ラゼットを囲む三人の頭上を一頭と表現するにふさわしい大きさの巨大な鳥が待っていく。

風になびかられて体勢を崩した三人は、その鳥が崩れた祈りの塔の先端に止まるのを見た。



「よくやったジュニアロス。」



地を這うような低い声。その声に幻獣魔族の進行がピタリと止まる。



「よく聞け、人間ども。わしらの女神を返してもらうぞ。」



ノドの奥で笑いを噛み締めたような声が深い谷底を伝って、ザワザワと神経を這い上がってくる。

幻獣魔族たちを率いているらしいその獣が何かを口にするたびに、空気が揺れ、風がオルギス王国へと黒い空気を送り込んでいく。



「フラン、アキーム。ラゼットを頼んだよ。」


「フィオラ様。」



フィオラが眠るラゼットの体をアキームにたくす。その行為の意味を察して、フランが何かを言いたそうに口ごもった。



「いいかい。ラゼットはこの世界の希望だ。」



フィオラは心配そうに顔を曇らせる二人の少年に、ふっと力強い笑みを見せる。



「わたしなら大丈夫。史上最強と呼ばれた盾だよ。それよりもラゼットの手当の方が一刻を要する。国王様と王妃にこのことを告げ、ギルフレアの矛を探しなさい。」



そこまで言われて共に戦うことができるほど、フランもアキームも大人ではない。まだ十年も生きていない少年たちにとって、唯一の大人であるフィオラの言葉は絶対。

お互いに顔を見合わせた後、ラゼットを見下ろした二人は、フィオラへと力強く一度だけうなずいた。



「させるか、ジュニアロス。女神を奪え。」


「ッ、フラン、アキーム。いきなさい!!」



フィオラの身体から解き放たれた紫色の光が、ラゼットを襲おうとした巨大な鳥を包みこむ。



「おのれっ…フィオラぁあ…っ、女神様ぁぁ。」



羽を広げることを奪われた古代竜は、悔しそうにバタバタと地面の上を流れていった。



「ラゼット、愛しているわ。」



そうして無事に走り去っていく二人の少年とラゼットを見送った後、フィオラは一人、背後に群がる幻獣魔族へと向き直る。その目には怒りと覚悟、決意と疑惑の念が込められていた。



「なぜ、祈りの塔に幻獣魔族が?」



その声はうなり声をあげる大地の風に乗って、一族を率いて迫りくる将軍に笑みをこぼさせる。



「老いぼれの盾にわしらを食い止めることができるものか。フィオラよ、貴様が祈りの姫と呼ばれる時代は終わった。暗黒に染まったオルギスの盾がわしらをこの地へと招き入れたのだ。」


「まさか。」


「そのまさかだ、自分の娘に裏切られる悲しみに運命を呪えフィオラ。祈りは願いに、願いは呪いに、呪いはわが幻獣魔族の力を増幅させる源、呪いは闇となりてわしら幻獣魔族の糧となる。」


「ッ!?」



その咆哮に地面が揺れていくのが否定できない。

何の力も持たない人間たちが魔人だと恐れる古代生物たちを相手にして生きられるわけがなかった。



「ここから先はいかせない。」



背後にはオルギス王国がフィオラの祈りによってまだ守られている。砲撃や砲弾が紫色のベールに押し返されているのが何よりの証だが、祈りの塔がテゲルホルムに陥落した以上、何の保証もなくなってしまった。

じっと目の前の敵を見つめていたフィオラの瞳が閉じられ、大きな呼吸音が二回ほど聞こえてくる。やがて彼女の瞳が大きくカッと見開かれた。



「いくら老いぼれのわたしでも、守りたいものはいる。」



フィオラの額に描かれた紫色の紋章が強く輝き始める。



「大地に宿る精霊たちよ、われの祈りを届けたまえ。今こそ眠りから覚め、世界に平和をもたらせたまへ。」



それから十日。

フィオラの死と共に、祈りの塔はテゲルホルムより侵略してきた幻獣魔族の手に落ちた。

幸いにもフィオラの祈りによって守られたオルギス王国に負傷者は出なかったが、なぜかフィオラの死後も祈りの力は作用し続ける現象がおこっていた。そのため、幻獣魔族たちは祈りの塔を手に入れたことで一時満足し、それ以上の侵略をせずにテゲルホルムへと帰還していくことになる。



「どうして、どうして誰も助けてくれないの?」



祈りの塔が陥落するまでの十日間。フランとアキームと共にラゼットも必死に救援を求めたが、ギルフレア帝国は参戦することを口にしながら自国の問題を棚に上げて結局助けにはこなかった。

オルギス王国の民は、ギルフレア帝国を裏切りの国とし、この一件以来、両国の国交は劣悪なものと化していった。

そして、世界が悲しみに暮れたこの最悪の出来事を人々は後に「レルムメモリア」と呼ぶ。

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