第7話 レルムメモリア

穏やかな日差しに見守られたオルギス王国は、十五年前も今と変わらない穏やかな気候を保っていた。

水色の柔らかな空には、ふわふわとした優しい雲が浮かび、澄んだ水が川となって流れ、緑は風に揺られて美しい音色を鳥たちと共に奏でていく。その恵まれた気候に古くから人々は集まり、国としてオルギスの土地は栄えていった。



「おばあちゃま。」


「まあ、ラゼット。よく来たわね。」



自分の膝丈くらいの女の子が頼りない足元で近づいてくるなり、手入れされた庭の椅子に座っていた女性が緩やかにほほ笑む。



「お母さまは、ご一緒ではないの?」



自分の元へ呼び寄せながら、白く美しい髪を揺らして、その女性は周囲に視線を巡らせた。

太陽の光に反射して輝く宝石のような瞳。

盾として、祈りの力を宿す額の紋章がその瞳と同じ紫色の光を放っている。



「おいのりちゅうなの?」



まだ、言葉数が少ないラゼットでもこの世界の常識は幼いころから知っている。

額の紋章が光るときは、盾が祈りを捧げている証。そういうときに邪魔をしてはいけないと、物心つく前から母にきつく叱られていたことを思い出す。



「ええ、でも最近長時間の祈りをすると膝が痛くてね。少し休憩をしていたの。」


「おひざ、いたいの?」


「ラゼットの顔をみたら大丈夫になったわ。もう少しで終わるから、ラゼットは少し待っていなさい。」


「ラゼットもおいのりしゅるの。」



大好きな祖母の横で、ラゼットは祈りを捧げるように膝をついた。



「そう。」



周囲に他の人影がないことに不安を覚えながら、フィオラ・オルギスはラゼットの頭を優しく撫でる。

自分と同じ白雪の髪に、深い紫の瞳。

間違いなく、最強の盾としての素質をもって生まれてきたことは誰の目にも明らかだった。



「ねぇ、ラゼット?」



なるべく刺激しないように、柔らかな声色でフィオラはラゼットに問いかける。



「なぁに、おばあちゃま。」



祈りの姿勢で小さく手を組んでいたラゼットは、パッと嬉しそうに顔をあげて祖母の方を見つめた。

まだ何も知らない、穢れのない娘。

世界の闇も与えられた役割の意味も知らない、無垢な少女。

フィオラはラゼットに微笑みかけながら、再度同じ質問を繰り返す。



「お母さまは、ご一緒ではないの?」



どこか悲しそうに歪んで見えた瞳を覗き込みながら、ラゼットは小さく首を横に振る。



「おかあさまは、おいのりなの。」


「あら、お祈りをしているの?」


「おとうさまが、うわきだから、とくべつなおいのりなの。」


「そう、それは大変ね。」



もう何度目になるだろう。小さな孫娘がこうして護衛もつけずに、祖母の元へ尋ねてくることは。

まだ三年しか生きていない世界の中で、孤独を知り、愛を求めて彷徨っている。



「ああ、ラゼット。」



フィオラは、ラゼットを優しく抱きしめながら、温かな光の渦でその世界を包み込んだ。



「あなたが幸せであるように、わたしは祈っているわ。」


「おばあちゃま、ないているの?」



抱きしめられた紫色の光の中で、ラゼットは小さな手を伸ばして、濡れる祖母のホホに手を当てる。涙は悲しいときに瞳から零れ落ちるもの。心細いときに自然とホホを伝うもの。



「なかないで、ラゼットはおばあちゃまのそばにいるよ。」



それ以外に泣くことを知らない幼い孫娘に、フィオラの胸が熱く締め付けられていく。

自分には一体何ができるのだろうか。

何をしてあげられるのだろうか。



「優しいラゼット。可愛いラゼット。おばあちゃまは、ずっとずっとラゼットのために祈り続けていますからね。」



平和で安らぎにあふれた国の内情は、はたから見れば何もわからない。

そこで暮らす人々が、誰も苦しまず、誰も悲しまず、いつでも笑って暮らしているわけではない。

史上最強の盾として名高い力を授かろうと、祈りを捧げること以外はただの女。何の力も持たない普通の人と何の違いもなかった。



「どうか無力なおばあちゃまを許して。」



まだ幼いラゼットには、温かな光で包んでくれる言葉の意味はわからない。

いつも優しく受け入れてくれる穏やかな祖母の腕の中は、物心ついた時からラゼットの安らぎの場所だった。



「あなたのお母さまは欲に溺れてしまった。」



それは隠しようのない事実。

現に城の中と言えど、幼い王女が一人で祖母を訪ねてきたというのに、父親である王も、母親である王妃も気づいていない。使用人や民たちからどのように囁かれているか、その評価を見下しているに違いない。

彼らは互いに、自分たちの欲望が叶うことだけを望み、自分たちの飢えが満たされることだけを祈っている。



「裏切られた悲しみに耐えられず、本来の祈りを忘れてしまった。それを止められなかったのが、わたしの罪なのかもしれないわね。」



キョトンとした顔で、言葉の意味を測りかねているラゼットにフィオラは苦笑の息を投げかけた。

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