第8話 レルムメモリア(2)

盾として教えたいことも伝えたいことも山ほどある。

世界は悲しみばかりではないこと。美しいものがたくさんあること。王と王妃ばかりが頼るべき相手ではないこと。



「ラゼット。あなたがいつでも自由に動けるように護衛をつけてもらうわ。」


「ごえい?」


「あなたを守ってくれる盾たちよ。」



それは前から考えてきたことだった。実行は早い方がいいだろう。

そう思うと、ふとフィオラの頭の中に妙案が浮かんできた。



「そうだわ、ラゼット。明日いいところへ連れて行ってあげましょう。」


「いいところ?」


「祈りを女神さまに聞いてもらえる神聖な場所よ。」



本来であれば盾の役割を代替えするときに使用する神聖な塔。

数千年前から存在し、幻獣魔族の世界と人間の世界をつなぐ場所に建造された崇高な場所。

唯一、光と闇の世界をつなぐためだけに存在しているといっても過言ではない。



「あなたの護衛も一緒に連れて、ね。」



そう言っていたずらに片目をつぶった祖母の笑顔につられて、ラゼットも笑みをこぼす。

いつもは部屋に閉じ込められるように行動を制限されているからか、この時の祖母の提案ほど嬉しいプレゼントはなかったとラゼットは後になって知ることになる。



「ふらん、あきーむ!」



自分より少し年上の彼らは、次の日さっそくラゼットを迎えにやってきた。

最初は物怖じしていたラゼットだったが、優しい彼らの温かな手に導かれて、数分経てば初めて会ったのが嘘みたいに仲良くなっていた。



「やっぱり子供は同じ年頃の子と遊ぶのが一番ね。」



馬車に揺られる室内で、フィオラは二人の男の子の中心で始終笑顔をこぼすラゼットをみて柔らかな笑みをこぼす。



「ずっと守ってやって、この世界の希望を。」



小さく口にしたフィオラの願いは、馬の足並みにかき消されるようにして染み渡っていく。

この時は誰も気に留めていなかった。

国王は女遊びにふけり、王妃は王の愛を取り戻すために祈ることばかりを考えている。祈りに守られることに慣れ切った国民は平和に溺れ、怠惰に世界はまわっていると思っていた。

そうしてしばらく和やかな雰囲気で進んだ馬車は、やがてオルギス王国の端っこでその車輪を止めた。



「ここはね、祈りの塔というの。」


「いのりのとう?」


「そうよ。ここで捧げられる祈りは特別なものなのよ。」



馬車から降りて見上げた先は、厳粛な空気が漂う古代の塔。

両脇に広がる底が見えない深い谷は、真っ黒な口をあけて何とも言えないうなり声を響かせている。闇に染まる帯のようにどこまでも続いているが、どうやらそれは世界を一周するほどに長いらしい。

お世辞にも居心地がいいとは言えない細い土地が薄暗いテゲルホルムへと繋がっているが、その中央にポツンとその塔は立っていた。



「オルギスの盾はこの向こう、テゲルホルムの幻獣魔族たちから、何千年もこの塔で祈りを捧げてその侵略を防いできたの。」



祈りの塔は、オルギス王国とテゲルホルム連邦の国境の目印にもなっている場所。



「なんだかこわい。」



怯えるラゼットの手をフランとアキームがそれぞれ強く握り返してくれたのか、ラゼットは右と左に一度ずつ顔を動かしてから嬉しそうに顔を染める。

それをみて、またふわりと優しい眼差しでフィオラは笑った。



「フラン、アキーム。ここから先は正当な血を受け継ぐ盾と矛にしか立ち入ることは許されません。あなたたちは、わたしたちが戻ってくるまで少しの間、ここで待っていてちょうだい。」



うなずく二人の笑顔に見送られるようにして、ラゼットはフィオラに手を引かれて歩き出す。

徐々に近づいていく塔は、ますます厳粛な空気をたずさえながらラゼットをじっと見下ろしていた。



「幻獣魔族から世界を守るために、この塔は存在しているの。」



その塔はフィオラとラゼットの額に現れた紋章に反応して、ギギギとさび付いた音を響かせながら開いていく。

カツン。

歩くたびに滑らかな石で整えられた足元が音を立てる。



「うわぁあぁあ。」



そのあまりの美しさに、ラゼットは恐怖を忘れてフィオラの手から駆け出して行った。



「おばあちゃま、すごいわ。」



高い天井から差し込む無数の光が足元の石板を照らし、中央の祭壇では矛と盾をイメージした男女の像が腕を取り合って微笑んでいる。まさしく平和の象徴。

この世界の伝説が語り継がれるにふさわしい聖地だと一目見て理解できるほどだった。

余計な物など一切なく、祭壇の前で膝をついて祈りを捧げることは当然だと思えるほど、初めて目にするその場所はラゼットにとって新鮮な感覚を与えてくれた。



「オルギス王国は人間の希望。幻獣魔族たちから守る盾の国。」



祭壇に刻まれた文字なのか、まだ文字の読めないラゼットの代わりにフィオラは暗唱を始める。



「ギルフレア帝国は権威の象徴。人々を導く鉾の国。」


「ほこ?」


「そうよ。盾と矛は二人でひとつ。どちらが欠けてもいけないの。」



ラゼットは暗唱しながら祭壇へと近づいていくフィオラの跡を追う。けれど、フィオラはラゼットが隣に追い付いてくるなり、祭壇から目線を下げるようにしてラゼットの元でしゃがんでみせた。

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