第21話 触れるほど遠い距離(3)


「アキームっ!!」



少し駆け足でたどり着いた場所は、ちょうど兵たちが訓練を終えて誰もいなくなっているはずの広場。

いつも通り、一人で居残って剣術の稽古をしていたアキームを見つけて、ラゼットは大きく手を振りながらその名前を呼んだ。



「どうかなさいましたか?」



一度深々と頭をさげたあとで、駆け寄ってくるラゼットを迎え入れたアキームがゆるく微笑む。

さすが、鍛え上げられた肉体と黒髪に金色の双眸が城内の女性たちから高い評価を得ているだけあって、長身のアキームに微笑まれると優越な気持ちがこみあげてきた。



「ごめんなさい、邪魔したかしら?」



幾分か気持ちが上昇したラゼットもアキームにつられて緩やかな笑みを浮かべる。



「いっいえ。大丈夫です。」


「そう。」



そこから見つめ合うこと数秒間。ラゼットは意を決したように、アキームへと一歩近づく。

さらりとラゼットのしなやかな髪が揺れ、アキームが少しだけ息をのんだのがわかった。



「ねぇ、アキーム。突然の質問で申し訳ないのだけれど、私って女としての魅力がないかしら?」


「は?」



数分前のフランの反応が懐かしい。

まったく同じ表情で固まったアキームに、ラゼットは答えてくれるまで離さないといった風に簡素な訓練着の裾を握りしめた。



「アキームは、私に欲情する?」


「なっななないきなりどうされました?」


「フランにも尋ねたのだけれど、ねぇ、どう?」



深紫の大きな瞳をうるうると彷徨わせ、密着させるように顔を覗き込んでくるラゼットに、アキームのノドがごくりと音をたてた。あきらかに混乱している。

質問の意味ではなく、意図は何かとアキームの頭の中がフル回転しているのだろう。



「ラゼット様。」



コホンと、赤面しながら息をついたアキームが、裾から手を離すようにやんわりとラゼットの手を包み込む。



「魅力であれば、十分すぎるほどだと思いますが。」


「アキームまで、もう。お世辞が上手ね。」



ラゼットは落ち込んだように肩を落としてアキームから手を離した。



「フランも同じようなことを言うのよ。でも、私が欲しいのはお世辞ではなく答えなの。」



困ったようにアキームが首を傾ける。こういう時、フランが通訳のように質問の背景や意図を説明してくれるのだが、残念ながら今ここに、頼りの相棒は存在しない。

「んー」と悩める獅子のようにアキームが小さくノドを鳴らす。



「何か悩みでもおありなのですか?」


「え?」



面と向かって率直に尋ねられると、今度はラゼットが赤面する番だった。

夫婦間の夜伽事情を親しい従者とはいえ、異性に相談してもいいものだろうか。今更、当たり前のような疑問が浮かんできて、ラゼットはおろおろと視線をさまよわせた。



「リゲイド様がっ。」



変な緊張感がラゼットを襲う。

改めて口にしようとすると、パクパクと変な空気だけが言葉の代わりにこぼれ出てきた。



「リゲイド様がどうかなさいました?」



アキームが怪訝な顔をするのは仕方がない。



「あ、あの、ね。」



変な裏声が出そうになって、ラゼットは深呼吸するように胸に手を置く。

はぁーと、鼓動を落ち着かせるために深い息を吐き出したところで、ラゼットは質問を取りやめる決意をした。



「いえ、なんでもないわ。」



やっぱり、夫婦間の問題に他人をいれるのはやめよう。

ラゼットは取り繕うような笑顔で首を振ってアキームの疑問を振り払う。

一瞬、アキームはうなるように眉をしかめたあとで、ふっと困ったように苦笑の息を吐いた。



「俺はいつでもラゼット様のお傍におりますよ。」


「…っ…アキーム。」



ポンポンと撫でられた頭にホッと肩の力が抜けていく。アキームの手の平は、戦闘で戦うためではなく、何かを慈しむために使ってほしいと心からそう思わざるを得ない。



「アキーム。」


「はい。」


「私、アキームのこと大好きよ。」



アキームの手の下からラゼットはその金色の瞳をじっと見上げる。

綺麗な瞳。真っ直ぐに見下ろしてくるアキームの目が、ゆらゆらとゆれて、まるで琥珀のように煌いていた。



「ラゼット様。」


「なに?」



ポンポンと撫でていたはずのアキームの手が、後頭部へとゆるやかに滑ったせいで、ラゼットは引き寄せられるようにアキームの胸に顔をうずめる。

ドキドキと分厚い胸板の向こう側に、早鐘に鳴るアキームの心音が聞こえてきた。



「ラゼット様。」


「なっなに?」



密着するアキームの声が耳におちてきたせいで、落ち着かせたはずの鼓動が再び暴れようとしてくる。

低い声で名前を呼ばれると、感じたことのない違和感が体の中心から疼いてくるようだった。



「あっアキーム。苦しいわ。」


「ラゼット様は子供みたいですね。」


「なっ!?」



すっぽりと抱きしめられたせいでアキームの顔が見えない。

耳にささやく低音がぞくぞくと背筋に神経を走らせてくる。



「ちょっ、ぁ、アキーム?」



ラゼットは金縛りにあったようにじっと動けないまま、しばらくアキームの腕の中で大人しくしていた。

ギュッと抱きしめられる感覚が妙に心地いい。



「リゲイド様がどうかは知りませんが、甘え方をもう少し勉強なされたほうが良いですよ。」


「ッ!?」



パンっと軽い音がアキームの頬を襲う。



「もう、アキームったら!!」

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