第20話 触れるほど遠い距離(2)

リゲイドが望んで婿養子に来たわけではないことくらいわかっている。わかっていても、夫婦になったのだからお互いに仲良くいたいと願うのは、そんなに難しいことなのだろうか。



「リゲイド様も私といらっしゃると、お食事がのどを通らないのかもしれないわね。」


「リゲイド様、も?」



言葉の運びに引っ掛かりを覚えたフランが、目ざとくその個所を指摘したせいで、ラゼットの顔にパッと赤みが差す。

無意識に口走った発言を意識した瞬間、恥ずかしさがこみあげてきて、ラゼットは照れたように口をおさえた。もちろん、その行為をみたフランの顔が、氷点下まで下がったように見えたのは気のせいではないだろう。



「あっ、わ、私、緊張してしまって、なんだか食事がうまくノドを通らないのよ。」


「………さようでございますか。」



コホンっと恥ずかしさを誤魔化すように小さく咳をしたラゼットに、ニコリとフランの笑顔にとげが増していく。

それに気づけばよかったのだが、ラゼットはフランの顔を見ることができないまま、自分の手のひらを見つめてさらなる心中を暴露した。



「食事中もそうだけど、リゲイド様に初めてお会いした時から心臓がとても苦しいの。隣にいるだけでドキドキしてくるのよ。あれからずっと。なんだか緊張してしまって、リゲイド様の前だとうまく息が出来ないの。」



それだけではない理由をフランには告げられない。

初夜に与えられた秘密の快楽がそのドキドキを助長しているなどということは、口が裂けても言える気がしなかった。



「ねぇ、フラン。」



突然、手のひらから顔をあげたラゼットに、うまく笑顔を作れなかったらしいフランの口元がヒクヒクと踊っていたのはいうまでもない。



「あら、どうかしたの?」



ようやくフランの異変に気付いたラゼットは、頭に浮かんだ疑問符を口にする。けれど、平然とした表情にそつなく戻したフランに、ラゼットは「勘違い」という雰囲気を納得させられてしまった。



「いえ、なにも。」


「そう?」


「ええ。それよりも何か聞きたいことがあったのでは?」



そうそうとラゼットは思い出したように、再度フランを見上げるように両手を叩いた。



「私って、そんなに女としての魅力がないのかしら?」


「は?」



給仕に取り掛かろうとしたフランは、いつまでたっても進まない昼食の準備の手をまたしても止める羽目となる。

質問の意図が理解できない。

ついには表情を作ることを忘れたフランのいぶかしげな瞳がラゼットを見つめていた。



「ねぇ、フランは私に欲情する?」


「は?」



まるで不思議なものを見るような目で見つめてくるのはやめてほしい。

真剣な悩みを相談しているのだからと、ラゼットは不自然な体制のまま微動だにしないフランの瞳を見つめ返す。



「だって、リゲイド様はあの晩依頼、私に触れようともなさらないの。」



今度こそ確実に、ここ二か月間の悩みを暴露したラゼットの告白に、フランの口元はわなわなと震えていた。



「ラゼット様に欲情しない男などおりませんよ。」



どこでどう不機嫌のスイッチが入ったのかはわからないが、フランの声が低く変わる。



「ラゼット様に触れたくても触れられない男たちがいるのですから、そのような心配は必要ありません。」


「フラン、私はお世辞が聞きたいんじゃないのよ?」



いつもであればフランの機嫌を取り戻そうと奮闘するはずのラゼットも今回ばかりは譲るわけにはいかなかった。

夫婦としての問題がかかっている。



「どうすれば、リゲイド様に女としてみてもらえるのかしら。」


「私の方が逆に聞きたいくらいですよ。」


「フラン、どうして怒るのよ。一緒に考えてくれ───」


「それは直接、本人にお聞きになってください。」


「───ッ?!」



この言葉を最後に、なぜかそこからフランは一度も声を交わしてはくれなかった。



「フランの意地悪っ。」



昼食後、喧嘩別れのようにフランと別行動をとったラゼットの声が誰もいない廊下の中をすすんでいく。



「リゲイド様は私に幻滅してしまわれたのかしら。」



さすがに初夜以来、手出しをされないとなると、女としての自信をなくしてしまう。

毎晩きまって寝室を共にはしてくれるが、興味をなくしたように背を向けて寝られると、泣きたくなるほど悲しい気持ちがこみあげてくる。

もう七十七回の何もない夜が終わってしまった。今夜で七十八回目の夜。

また眠れない夜を一人で悩みながら過ごしたくはない。



「フランのほかに誰に相談しろって言うのよ。」



最強の盾として半ば監禁状態で育てられてきた身だけに、心の悩みを打ち解けられるほど仲のいい友人はいない。

女中に相談してもいいのだが、夫婦の問題は国の問題ともいえるだけに、軽率に打ち明けられる話でもなかった。世継ぎ問題は遅かれ早かれ浮上してくることだろう。そうならない前に、何か解決の糸口を見つけておきたかった。



「あ、そうだわ。」



ラゼットは廊下を歩きながら、もう一人の従者の存在を思い出す。

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