第30話 さらわれた姫君(4)


「はぁ…はぁ…っ」



なぜかはわからない。とにかく現状を知らなければならないという衝動にかられていた。

息が切れるなんて自分でも意外だったことは誰にも言わない。

悟られないように取り繕うことよりも、リゲイドは全力疾走で駆け付けた場所で見た光景に目を奪われていた。



「はぁ…っはぁ…っお前ら。」



そこは、どこよりも悲惨な場所だった。

えぐり取られるように破壊された塔の残骸と、べったりとした血で濡れた赤い石の数々。もとが白い石でつくられた城なだけに、その赤い色は見る者の胸を痛めつける。



「リゲイド…さま?」



腕に重傷を負ったらしいフランが、肩から流れる血をおさえるようにして体を向けてくる。

一瞬、驚いたように目を見開いていたのは言うまでもないが、その次の瞬間、リゲイドはフランに胸倉をつかまれていた。



「こんなときに、どこへ行っていたのですか!!」


「ッ!?」



普段見せる温厚な人物だとは思えない剣幕に、リゲイドは言葉を失ってフランを見つめ返す。

雨でぬれたフランの顔は、絶望と悲しみに支配されたように色を失っていた。

応えられるわけがない。

自分たちが愛する女性を裏切って、記憶の中で愛する少女を探していることなど、この二人の従者にだけは知られるわけにはいかない。

そうして答えられないリゲイドの様子にますます腹が立ったのか、行き場がない怒りをぶつけるように、フランはつかんだ胸倉を乱暴に振り切ると、そのままリゲイドを地面へと押し倒した。



「痛ってぇな。てめぇ、何す──」


「最強の矛であるあなたが、ラゼット様がさらわれるというときにどこをほっつき歩いていたんですか!?」


「────だから、それがなんだってんだよ!!」



失意に濡れる手負いのフランを投げ飛ばすように、リゲイドは体をおこす。

立ち上がる際、背中についた泥がマントを汚していたが、リゲイドは頭に来ていた熱を吐き出すようにそれを翻した。



「最強の矛だから盾を守らなきゃならねぇ?迷信や伝承に決められた運命かなんだか知らねぇけど、そんなものにとらわれて生きるのはイヤなんだよ。」



その場に集まった兵士たちが、十五年前の悲劇「レルムメモリア」を想起させるリゲイドの発言に顔をしかめる。けれどリゲイドにとってそんなことはどうでもよかった。

ギルフレア帝国出身なことに肩身の狭い思いをするのもうんざりだ。

裏切り者だとが、嘘つきだとか言われてもそれは勝手にオルギスの民が作り出した幻像に過ぎない。

誰が自分がわかってくれるのか。この気持ちを理解してくれる人は誰もいない。



「ラゼットを救いたきゃ、救いに行けよ。守りたきゃ、お前らで勝手に守ればイッ!?」



グシャ。それは血と雨で出来た水たまりに、リゲイドの体がたたきつけられた音。



「痛ってぇ。何、殴ってんだよ。」



地面に倒れたままのフランの代わりに、アキームの拳が立ち上がったばかりのリゲイドを後方へ吹き飛ばしたらしい。その事実に気が付いたリゲイドは、怒りに任せてまた立ち上がる。

出来るものならやってみろ。

一言でいえばそういう気持ちだったが、切れた口の中に広がる血の味はリゲイドの神経をとがらせていくと同時に、冷静さを与えてくれていた。

アキームがなぜ「殴った」のか。幸いにもそれ以上の打撃は与えられなかったが、リゲイドは痛む左頬に与えられた衝撃の強さにアキームの怒りを感じ取っていた。



「いい加減にしろ。」



足の自由がきかないのか、アキームの体が引きずるようにリゲイドの胸倉をつかむ。

先ほどはフラン、今度はアキーム。

一体何なんだと、リゲイドは顔を歪めてアキームをにらみ返した。



「偉そうにお前に言われる筋合いはねぇ!」


「ラゼット様の加護を受けた恩を忘れたとは言わさん!!」


「………は?」



何を言っているんだと、リゲイドの顔が奇妙に歪む。

勢いをそぐための弁論としては成功したかもしれないが、アキームの真意は理解できない。



「持っているだろう希叶石(キキョウセキ)を。」


「希叶石なんて知らねぇよ!」


「白く滑らかな楕円の石のことだ。十年前、ラゼット様が渡されたその魔石をきさまは大事に持っているんだろうが。」


「なっ!?」



その存在に心当たりがあったのか、リゲイドの顔が驚いたように固まっていた。

なぜ、自分だけが大切に持っている石の名前を、ただの従者である一兵士が知っているのかと疑えてならない。

希望を叶える石。

十年前に記憶の中の少女にもらったリゲイドの宝物。

希叶石と名前がつくらしいその魔石は、白く滑らかで、楕円の形をしていた。



「ラゼット様は昔よりああいうお方。石を渡した相手がきさまだとは知らなかったのだろう。覚えてはいるだろうが、ラゼット様はきさま一人に限らず、誰よりも自分を犠牲にしてこの世界を守ってきた。逃げてばかりのきさまに、その重みが理解できるのか!?」


「ちょっと待てよ。ラゼットが、なんだって?」



突然の告白に、頭の中が混乱して整理が追い付いてくれない。

リゲイドは胸倉をつかむアキームの顔を蒼白な面持ちで見つめていたが、その焦燥にかられた心中はそのまま彼らに伝わっていただろう。

泥の中から腕を守るようにして立ち上がったフランが、アキームに掴まれたままのリゲイドの隣に歩み寄ってくる。



「あなたが大事になさっているその石は、十年前、ラゼット様がフィオラ様より授かったオルギスの命です。」



サーと軽い雨の音が、妙な重さを連れてリゲイドの肩を濡らしていた。

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