第29話 さらわれた姫君(3)


『私が泣きそうになった時、今度はあなたがそれを返しに来て。』


「ああ。約束するよ。」



今ではもう手のひらにすっぽりとおさまるようになった小さな石に、リゲイドは強い意志の言葉を吹き込める。



「必ず見つけて、今度は俺がお前を守ってやる。」



白く滑らかな楕円形の石。

その石は十歳のころからリゲイドの精神の支えとなり、心の強さを保ってくれていた。



「最強の矛と言われるまでの強さになったのはお前のおかげだ。」



誰に聞かせるまでもなく、リゲイドはその小さな石に向かって話しかける。

いつしか窓の外には雨が降り始め、下町のすすけた宿の中はさらに埃っぽい匂いが充満していた。



「俺は帝国のために力をつけてきたわけじゃない。」



簡素なつくりの部屋が落ち着くのは、物心ついた時からずっと質素な暮らしを強要されてきたからだろう。オルギスで与えられた王宮の部屋は豪華な装飾品で彩られているが、息が詰まりそうな圧迫感にリゲイドは人知れず悩んでいた。

それでも毎晩、ラゼットと寝室を共にするために戻っていたのは、決して愛することなどできないのに、負の遺産に苦しめられる盾と矛としての痛みを少しでも緩和することができたらという形式上のものでしかない。



「俺はラゼットを愛してやれない。」



お互いが政略結婚だからと割り切れると思っていた。

事実、ラゼットにはフランとアキームという従者が始終傍についてリゲイドを監視している。それなのに昨日、ラゼットは女性として自分を見てほしいと言ってきた。

だからこそ決めたのだ。しばらく城には戻らない。ラゼットに愛することはできないと理解してもらうために。



「絶対探し出してやる。」



愛する女性は、自分を救ってくれたあの時からたった一人。

名前も姿も知らない記憶の中の小さな少女。

手掛かりは白色に滑る楕円形の小さな魔石だけ。



「リゲイド様っ!!」



バンッとドアをけ破るように侵入してきたのは、フランとアキームのどちらかはわからないが、いや、そのどちらにもだろう。監視という名の見張りについていた兵士が、血相を変えて部屋に押し入ってきた。



「はぁ。」



自ら護衛を名乗り出てきた下町のガラ悪い連中どもは一体何をしているのかと、リゲイドは人知れずため息を吐く。



「ったく、監視、管理ばかりで嫌になるな。」



どこもかしこも息苦しいと、うんざりした顔でリゲイドは魔石を手のひらで包む。

これだけは奪われるわけにはいかない。

自分の人生を奪った矛としての力に唯一逆らうことのできる手掛かりは、ギルフレア帝国にいたころから誰にも触らせたことはない。



「なんだ?」



リゲイドは息を切らした兵士に、早く要件を伝えるようにと冷酷な眼差しを向けた。

その深い紺碧の瞳の温度と亜麻色の髪が魅せる容貌の温度差に一瞬たじろいだのか、兵士がごくりとのどを鳴らしたのがわかった。



「さっさと要件を言え。」


「は、はい!!」



決まり切った挨拶の姿勢をした兵士は、そのままの姿勢で声高らかに現状を叫ぶ。



「祈りの防御壁が破壊され、祈りの塔上空にテゲルホルムの軍勢が現れました。」


「は?」



激しい雨に打ち付けられた窓のきしみのせいで、よく聞き取れなかった。

そう言えればよかったのだが、残念なことに事態に気づいたらしい町中の人々の悲鳴が簡素な宿場につながる道の上から聞こえてくる。



「ラゼットが祈りを捧げているんじゃなかったのか?」



悲鳴が聞こえてしまった以上、もう聞かなかったことにはできない。



「防御壁が破壊って、あいつ何やってんだよ。」



兵には聞こえないほどの小さな声で舌打ちすると、リゲイドはマントを羽織りながら簡素な部屋を飛び出した。



「なっ!?」



守るものがなくなっただけで、世界はこんなに変わるものなのかと痛感せざるを得ない。

雨に混ざって降り注いでくる砲弾。そして爆発音。逃げ惑う人々の悲鳴と幻獣魔族の咆哮が遠くから聞こえてくる。



「くそっ。」



リゲイドは、どこからでもその存在がわかるように造られた城の塔めがけて走り出す。



「何やってんだよ!!」



この国の象徴ともいえる白い塔。その頂上には毎日天使のような白い髪をした少女の姿があるはずだった。

それが今はどうだろう。



「どうなってんだよ。」



竜のような鱗をもち、鳥のような翼をもった巨大な生き物が祈りの塔の上空を飛んでいる。

この時間帯はラゼットが祈りを捧げるために、その頂上にいるはずだというのに、塔はえぐり取られたように崩壊しているようにしか見えない。



「ケケケケケケ。」


「ッ!?」



塔の方角からテゲルホルムの方角に向かって、突発的な風塵がリゲイドの上空を飛んでいく。

そのあとを慌てて視線で追ってみれば、古来のものとされてきたような巨大な鳥が、その大きなかぎ爪でラゼットの体を掴んでいた。



「ラゼット!?」



気を失っているのか、ラゼットが抵抗しているような素振りは見られない。



「あいつら、何やってんだ。」



てっきり、ラゼットのそばにはフランとアキームが付いていると思っていた。最初に手合わせをした際、彼らなら問題ない腕前だと認めていたのに、なぜラゼットは敵国の巨大鳥にさらわれているのかが理解できない。



「くそっ!!」



何にいら立ちを覚えているのか。

リゲイドは逃げ惑う人々の合間を縫うようにして破壊された祈りの塔へと向かっていく。

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