第15話 伝承の犠牲者たち

ザワザワと騒がしい人の声が聞こえてくるのは、時刻が昼過ぎだからだろう。

人々は活発に動き回り、今日という平和な一日を笑い合い、慰め合いながら生きている。



「ったく、本当に呑気な町だな。」



リゲイドは一人、祈りを捧げ始めたラゼットをフランとアキームに任せることにして、そっと城を抜け出してきた。今朝フランに聞いた話では、昨晩もテゲルホルムの方角からこの国は幻獣魔族の攻撃を受けたはずだ。リゲイド自身も与えられた寝室の窓から、その様子は目にして知っていた。



「まあ、これが日常ってやつか。」



他国の人間からしてみれば異常なことでも、その土地に住まう人々にとっては日常であり、当然であることは普通に転がっている。

正しい、間違っているは関係ない。

その時代に生きる人々が善か悪かを決めること。



「最強の盾伝説もいい迷惑だろうな。」



人々が囁き合い、口にするオルギス王国のうたい文句は、この世界の人間であれば誰もが知っている。

かつて幻獣魔族から人々を守るため、盾と矛は手を取り合い、世界を二分することでこの世に平和と秩序をもたらしたと言われている。その伝説発祥の地は、十五年前にテゲルホルムに奪われた祈りの塔。今では別名「忘れられた友好」ギルフレア帝国出身のリゲイドからしてみれば少々耳の痛い話だった。



「オルギス王国は祈りに守られている、か。」



そう口にしてから、リゲイドははるか後方に見えるオルギス城を振り返る。

そこでは相変わらず微弱な紫色の波動がオルギス王国を包むように優しい放物線を描いていた。



「ん?」



再び、目的地もなく歩き出そうとしたリゲイドは、町の掲示板らしきところに貼られた紙に書かれた言葉に目を止める。



「オルギス王国の姫だけに受け継がれる盾の力で、幻獣魔族たちから世界を守ろう?」



どこか呆れた声が出たのは気のせいではない。



「矛はただの伝説だが、盾は紛れもない真実なのだから。ね。」



発行元がオルギス協会となっているあたり、どうやら宗教の勧誘のようだった。

どこの国でも似たような誘い文句があるものだと、リゲイドはどこか感心したように笑みを浮かべる。そして、おもむろに鼻歌をうたいだして人でごった返すオルギスの町を歩き始めた。



「矛は伝説、その通りだよ。」



数千年前の伝説では語り継がれているが、実際のところギルフレア帝国ではオルギス王国のように不思議な力を継承した事例は存在していない。それは国外には伏せられていることだが、残酷な真実はギルフレア帝国の暗黙の了解として誰も口外しようとしてこなかった。

ギルフレア帝国は、ギルフレア帝国であることを誇りに思って生きている。

世界最大数の種族や宗教を内包し、幾つもの国を統合して成り立ってきたせいかおかげか、軍事力もさることながら政治や経済の中心にもなっているのだからなおさらのことだろう。



「くそ、つまんねぇな。」



鼻歌交じりで歩いていたリゲイドは、市場を抜けて裏道の方へと足をすべらせる。

そして、自分の手を見つめてじっと立ち止まった。



「俺だってなりたくて最強の矛になったんじゃねぇよ。」



最強の矛の称号が与えれるのは、十年に一度開催される大会で勝利した最強の戦士に与えられるもの。闘技場に集められた屈強な戦士たちがこぞって競い合うのだが、その大半はできレースだということを内部に精通する人間であれば知っている。知らないのは国民と、他国の人間だけ。

腐りきった情勢内では、どんなに非道なことでも当たり前のように行われている。



「よっ、兄ちゃん。こんなところになんの用だ。」


「は?」



裏道に入れば、これもまたどこの世界でも共通に違いない。



「どこの美人かと思ったら、裏切った帝国から婿養子にきたリゲイド王子じゃねぇか。」


「綺麗なツラ下げて、一体どこに行くんだよ?」


「さっそく浮気か。ラゼット姫じゃ満足できなかったてか?」



下品な笑い声を響かせながら、ガラの悪い数人の男がリゲイドを見下ろすように取り囲んでいた。



「聞いたぜ、アキーム様に惨敗したんだってな。」


「俺も聞いたぜ。なんだよ、やっぱり最強の矛ってのはただの伝説かよ。」


「最弱の矛の間違いじゃねぇのか。」


「弱い王子は帰ってママのお乳でも吸ってな。」


「ママー。僕、アキーム様に負けちゃったのぉ。」



ぎゃはははと、それこそ空は澄み切った青を映しているのに、裏道は闇の掃きだめのようにリゲイドをからかう声が響いていく。いつの間にか、路地裏の細い道には何事かと、数十人に膨れ上がった男たちで溢れていた。



「はぁぁ。」



リゲイドは肩から盛大なため息をはいて、嘲笑に集まっていた男たちに視線を走らせる。



「あ?やる気かコラァ。」



そのうちの一人に敵意を向けられたことが乱闘の皮切りになったのだが、きっとその場にいた誰もが、いったい何が起こったのか把握できなかったに違いない。



「ギャアァアアアアァアッ」



「噂に聞いていた話と違うじゃねぇか。」そう誰かが叫んだ気がしたが、一目散に退散しようとする男たちを追いかけて見えない刃が閃光を描く。



「やめてくれぇっぇええぇ」


「ギャアァアアアア」



アキームに惨敗したはずの優男に勝てると見越して因縁をつけ始めたのは誰だったか。路地裏の男たちが後悔する間もなく決着がついた事象をじっと見ていた雲が、今もまだ形を変えずに空に浮かんでいた。

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