第2話もめ事
それまでの空気を一掃した息子の貴志。その怒りに満ちた形相で、どんどんその殺意に似た感情を高ぶらせていく。だが、それを全く意に介さない少女が貴志を見て冷静に答えていた。
「マッサージよ」
一瞬何を言われたのか、貴志は理解し損ねていたのだろう。家兎のうーたんがケージの中で遊ぶ音がやけに響く。
ただ、それが正しく状況を伝える言葉だと分かっている俺ですら、よくそう言えるものだと感心した。あんな喘ぎ声のような声を出してたのに――。
「そんなマッサージあるかよ! 親父、裸じゃないか!」
少女の説明を一蹴する我が一人息子。だが、最初の衝撃から冷静になっていくに従い、貴志もそれを受け入れる空気を見せていた。
いや、そもそも、よく見ればわかることだ。
我が家のLDKは、二十畳ほどの広さがある。そこに二畳ほどの畳を敷いた俺のくつろぎ空間。そこで馬乗りになっているものの、息子の同級生の少女はしっかりと衣服を身に着けている。
小柄ながらも女の子らしい体つきになりつつあるその少女は、そのみずみずしいまでのしなやかな足をあらわにしている以外、春らしい装いとなっている。
ただ、一方の俺は上半身を裸にしてうつぶせているのだから息子の指摘はもっともだった。
「あら、貴志君はマッサージって知らないの? 毎日貴志君のお弁当から朝ごはんの準備、その他にも家事の全てをきちんとこなしているおじ様。仕事でも営業課長として第一線で働いていらっしゃる。そんな
ゆっくりと俺の背に指を這わせたその少女は、軽やかに俺の尻にのせていたその体をどけていた。
(それ、最期のそれ、何か意味あるのか?)
それにしても、すらすらとそんな言葉が出てくるもんだ。しかも、我が家の事情をよくわかっている。
「そんなこと、若菜ちゃんがする必要ないじゃないか」
「あら? 私の両親が、私を日本に残して海外に揃って出張に行けることになったのは、おじ様が私の世話を引き受けてくださったからだわ。そのお礼に、せめて日頃の疲れを癒して差し上げるのは当然の事でしょ? 何か問題があるのかしら?」
貴志の感情論に対して、若菜ちゃんの理論的な反論。この勝負、最初から貴志の負けに決まっている。
いや、惚れた方が負けなんだ。貴志はこの子に惚れている。
だから、この子が俺に優しくするのが面白くないだけだろう。昔心理学で習った何とかコンプレックスという訳ではないけど……。
しかし、我が息子の初めての恋。それがこれほど見ていて微笑ましいと思えるものなのか。
「親父! なに笑ってんだよ!」
「いや、貴志。そろそろ矛を下ろしてくれないか。お前が心配している事は何もない。あまりにしつこいと若菜ちゃんに嫌われるぞ。せっかく買ってきてもらったアイス。そのままじゃ溶けるだろ? いや、それより早く手を洗ってうがいしなさい」
「では、おじ様。私が冷蔵庫に」
「ああ、頼んだよ」
軽やかに貴志の方に向かう少女。かなり汗をかなりかいていたのだろう。透けた下着がその背に浮かんでいる。
という事は――。
「っ!? 俺、手を洗ってくる!」
脱兎のごとく扉を閉める貴志。その姿を、小首をかしげた姿が見送っていた。
まあ、思春期真っ盛りの貴志には、透けブラというのはちょっと刺激が強すぎたのかもな。だが、俺も人の事は言えない。さっき上に乗られていた時は、不本意ながらも俺自身も固くなっていた。
もっとも、今はもう俺のムスコも鎮まっている。
しかし、今どきの十四歳は恐ろしい。安請け合いしたものの、男所帯に彼女は刺激が強すぎる気がしてきた。だが、あの娘はこの家にずっといるわけではない。家は人がいなくなるとすぐダメになるから、普段は向こうで暮らすことになっている。ただ、こうして休日は朝から生活を共にすることになっている。そして、俺が早く帰れる日は、夕食も一緒に食べることにしている。
むろん、向こうの親御さんから託された大切な一人娘だ。一応俺も、早く帰るように心がけている。
「おじ様、そのままではお風邪をひいてしまいます。お着替えをお持ちします」
そんな事を俺が考えている間に、彼女は手早く冷蔵庫にものを詰め込み、俺の方にやってきた。
「ああ、ありがとう。でも、申し訳ないけど、君の方が汗をかいているだろう。そのままでは風邪をひくよ。一度帰って着替えてきなさい」
「えっ!? 臭いですか?」
「いや、そうじゃないよ。春とはいっても、まだそれほど温かくは無いからね。汗をかいたままの姿じゃ、君の方が風邪をひく。君の体が心配なだけだよ」
もっとも、それは貴志の為でもある。幼くして母親を亡くしたアイツには、女に対して免疫がない。思春期のそれも相まって、今はそれどころではないだろう。
まあ、実際には俺の為でもあるかもしれない。
このままでは少女に欲情した中年親父の烙印を押されかねない。向こうは俺の事を父親のような者として見ているだろう。何しろ、思春期の少女はいろいろ敏感だと聞いている。少しの劣情も察知されてしまうだろう。もし、そんな事が御近所に知れたら……。
――それだけは、絶対に避けなくてはならない。社会的に俺が死ぬ。
「まあ! では、着替えてきますね。それと、さっきも言いましたが、今日の晩御飯は私が作りますので、あとでお買い物に連れて行ってくださいね」
「ああ、いいよ。荷物持ちはお安い御用さ。近所のスーパーかい?」
「いえ、そっちは貴志君に頼みます。じつは、私の家の備品も買いたいのですが、それが近所のお店には置いてないのです」
「なるほどね。いいよ。貴志は昼から部活だって言ってたから、お昼食べてからでいいかな?」
「ええ、もちろん」
両手を顔の前で軽く合わせた少女。そのはちきれんばかりの笑顔が、俺の目の前で花開く。
「では、いってきますね、おじ様」
「ああ、いってらっしゃい」
そんなやり取りが終わって出て行く彼女に入れ替わり、貴志がリビングに入ってくる。だが、何故か入口で立ち尽くす貴志。出口をふさぐ形で立っているから、正直邪魔で仕方がない。
何を考えている? 思春期特有の仏頂面か? だが、俺もいい加減汗を拭いておきたい。
俺も着替えに部屋に出ようと、貴志の肩を掴んでどかそうとしたその時――。
貴志の肩を掴む俺の腕を、貴志はおもいっきり強く握ってきた。
「親父。俺、今日部活休むから。俺も一緒に行くからな!」
痛いほど握られた俺の腕。
それを己の肩から勢いよく引きはがし、自分の部屋に行く貴志。そんな姿を、俺は呆然と見送っていた。
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