第6話むすびの事
試着室のカーテンを少しだけ開けて、顔をのぞかせた若菜ちゃん。すぐ目の前に俺がいたのを見つけて、笑顔の花を咲かせていた。
「どうですか?」
パッとカーテンを全開にして、若菜ちゃんはその姿を俺に見せつける。
清らかに咲く、白いワンピース姿の彼女。
最初、はにかんだ笑顔を見せていたものの、次の瞬間にはくるりとその身を翻す。その動きにあわせるように、ワンピースの裾が軽やかな舞で彼女を彩る。
しかも、覗き込むようにして、俺の感想を待つ若菜ちゃん。その笑顔と姿は、まるで青空の下にいるように、まぶしい輝きを放っていた。
――本当に若さというのはまぶしいものだ。見ているだけで、心の奥が熱く感じる。
年甲斐もなく、俺は顔のほてりも感じていた。おそらくこれは無くしたものに対する憧憬に似た想いから来るものだろう。そして、人の憧憬というものは、時として大いなる力を生むことがある。大空に舞い上がったイカロスは、きっとこんな気分だったに違いない。
ただ、そんな俺を冷静にたしなめる俺がいた。
――まるで、イカロスの翼だな……。
息子と同じ年の女の子に、心奪われることがあっていいはずがない。ましてこの子は、俺の親友の愛娘だ。
そう、この想いが『イカロスの翼』であるならば、その輝きは近づきすぎてはいけないものだ。太陽に似たその熱と力は、近づいた俺を確実に地に落とすだろう。
――しっかりしろよ、俺。恋の炎にその身を焦がすなんて、おっさんがする事じゃない。
今、ここで考えるのはそういう事ではないはずだ。今日ここに来た目的は、若菜ちゃんのショッピング。大人の俺がなすべきことは、『買い物を楽しむ』という彼女の行為を、全力で応援することだけだろう。
「とてもよく似合っているよ」
真っ白なワンピース姿で、ほのかに染まる朱色の頬。しかも、にっこりと俺を見上げる彼女の姿が、艶やかさをもって俺の目に飛び込んでくる。
「おじ様、ありがとうございます! じゃあ、赤い方も着てみますね!」
そう言って、試着室のカーテンを閉める若菜ちゃん。しばらくしないうちに、小さく開けたカーテンの隙間から、恥ずかしそうな若菜ちゃんの顔が覗いていた。
「おじ様……、どう……ですか?」
さっきよりもやや遅く、まるで躊躇うかのように、試着室のカーテンが開かれる。そこに立つ若菜ちゃんの赤いワンピース姿。それは、さっきとはまるで違う、強烈な印象で俺に飛び込んできた。
「………………」
「――おじ様?」
言葉を失った俺が自分を取り戻すよりも早く、不安そうな表情を見せた若菜ちゃん。カーテンを開けた時に比べて、その顔には明らかに影が落ちている。
「――ああ、ごめん。とてもよく……、似合ってると思う」
――そうだった……。女という生物は、こういう面を持っていた。
それは、普段見ている制服や私服から受けていた印象からはかけ離れた姿。十四歳の少女ではない、大人びた雰囲気の若菜ちゃんがそこにいた。
それが俺に強い衝撃を与えていた。
「…………」
ただ、俺の口先だけの褒め言葉は、かえって若菜ちゃんを傷つけたようだった。俯き、肩を落とした若菜ちゃん。その小さな姿に、俺はまたしても動揺する。
「ごめんよ。ちょっと驚いただけだよ。その……、いつもとは違う雰囲気だったから」
こんな時、俺はうまい言葉を言えた思い出は無い。見上げても、救いの糸は降りてこない。だから、思わずそのまま口に出してしまっていた。とってつけたような言葉しか、思いつかなかったにもかかわらず……。
――しまったな。動揺しすぎだぞ、俺……。いい年して、しっかりしろ。
ふと、その視線を感じて下を向く。さっきまで俯いていた若菜ちゃんが、俺をじっと見上げていた。
その深い瞳の奥に、何かを求める様な光がある。
その光に吸い込まれるように、俺はそこから目を離せなくなっていた。
「へ、変……、ですか……?」
だが、瞬きすら許されないようなその瞳の力も、若菜ちゃんの言葉と共に弱まりを見せる。
「変じゃない、変じゃないよ」
ただ、それでもその瞳は俺を吸い込んでしまうだろう。
だから、俺は顔を脇に向ける。その瞳から逃れるために。だが、それでも俺は、いつもの俺ではいられなかったのだろう。まるで何かに憑りつかれたかのように、胸の奥に秘めた言葉をさらけ出だす。
視線を逸らしたまま、「大人っぽくて、ドキッとした」と――。
「ドキッと……、した……」
ややあって、何か確かめるような言葉を繰り返した後、『おじ様』と俺を呼ぶ若菜ちゃんの声がした。その声の響きに、俺は否応なく振り向かされる。
「ありがとうございます」
とびきりの笑顔と共に、そう言ってカーテンを閉める若菜ちゃん。ただ、勢いよく閉めたそのカーテンの向こう側から、照れくさそうな声が聞こえてきた。
「おじ様と二人……。初めてのお買い物……。とても、うれしかったです」
さっきみた笑顔の残像と、カーテン越しに聞こえた声。それに続く、確かな衣擦れの音。
それに応えるかのように、胸の奥が熱くなるのを感じていた。
――まさか!? この俺が?
それは、かつて俺が感じた事のある熱い鼓動。
それと同時に聞こる確かな警鐘。
――若さにあてられたのだろうか?
そう考えてしまうと共に、俺は軽い眩暈を感じていた。
さっきから鳴りまくっている、俺の携帯の着信音。それに反応しようとすら思わない程に。
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