第5話ぐるぐるぐるとまわる事

 更に嬉しそうな笑みを浮かべて、若菜ちゃんは店の奥にある更衣室へと駆けていく。その姿を見送った時、俺は急に妙な視線を感じていた。


 振り返ってみたものの、それらしい人はそこにはいない。というよりも、店の前はショッピングモールの大通り。当然、行き交う人であふれている。特に休日の今日は、数多くの人が往来を重ねていた。そんな中で、特にこちらをじっと見ている人の姿など、見つける事などできないだろう。


 ――気のせいか? いや、それよりも今はこっちの件だ。これは本気で困った。どうする? どうすればいい?


 そんな考えに浸っていると、この場に取り残されている感覚がやってきた。客観的に見て、今の俺は場違いな場所に一人でいる。

 なるほど、そうか。そういう事か。これでは奇異の視線を感じても仕方がないだろう。


 ――ともかく、移動だ。そして、冷静になって、一つずつわかることから解決していくべきだろう。


 店の奥にある試着室の前まで移動し考える。


 ――まず、男と女の買い物は全く違うものだというのは分かっている。


 男の買い物は、言ってみれば目的とゴールだけがあるだけだ。買いたいと思う物を買うだけの話で、そこにそれ以上の意味は無い。値段の差、性能の差で迷う事はあったとしても、本当に必要なら買うだけだ。買う事に意味がある。


 だが、それに対して女の買い物は全く違う。いや、別世界の物だと言える。


 女の買い物は、それが持つイメージと買うまでのプロセスが重要になる。極端に言えば、そうしている時間に意味があり、最終的に買わなくても意味がある。まだ中学生とはいえ、若菜ちゃんもそうだろう。


 色々失敗してきたからこそ、俺はあの時その直感を信じた。あの場面では、選ばないというのが最適解のはずだった。そもそも、若菜ちゃんが手に取った以上、どちらも嫌いではないのは明らかだ。


 いや、きっと答えはすでにある。若菜ちゃんはこの買い物という時間を楽しんでいるに違いない。


 そして、俺がそれを正しく選ぶことを待っている……。妻は結局、若干上にしている方に決めていた。俺がそこに至るまでの道のりは長かったが……。


 だが、若菜ちゃんにそれを当てはめることはできない。噂では、利き手とか色々あるみたいだけど、どれも決め手に欠けている。そもそも、それは個人個人で違うだろう。だから、妻のそれを若菜ちゃんに当てはめるのは止めていた。


 そうだ、俺はまだ若菜ちゃんの事を十分理解していない。若菜ちゃんの事をよくわかっていないうちに、そんな博打を打つ必要はない。買い物で、間違った方を選んだ時の怖さを、俺は十分よく知っている……。


 ――っていうか、ほぼ同じ高さで持っていたし……。あれ? 最初、どっちの手にどっちを持ってたっけ?


 そして、事態は思わぬ方向に向かってしまった。


 ――だいたい、試着した状態だぞ? 何を根拠に、一体何を選べばいい? 


 似合うか似合わないかは、好みの問題。若菜ちゃんの思考を読んで、それに的確な答えを示さなくてはならない。


 ――可愛いがいいのか? いや、思春期の少女だから大人っぽいとかが褒め言葉か?


 これでは、どっちも選ばないという選択肢で、さらに選ぶことが困難な状況に押し上げてしまっている。


 ――どうする? どうすればいい? 誰か、何か、ヒントは無しか?


「おじ様? いますか?」


 そして天の岩戸は開かれる。


 自分で自分の首を絞めた道化の前で。

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