第3話うごきだす事
どこか微妙な空気が、この車内に漂っている。隣の市にあるショッピングモール。そこが、若菜ちゃんが行きたいと言ってきた場所だった。
隣接する市にあると言っても、そこは市の外れに位置している。俺の家から行くとなると、当然その市を横断することになってしまう。だからそこに行くには、車で片道最低四十分ほど走ることになるはずだ。もっとも、市街地なので、渋滞具合でも変化するのだが……。
ただ、貴志にとってそれは、結構長い時間となるだろう。
もともと、貴志は車に酔いやすい。だから、普段からあまり車に乗ろうとしない。どうしても乗る場合は、比較的マシになると言われている助手席に座らせていた。だが、今回は自分から席を譲って後部座席に座っている。
「おじ様の運転って、やっぱり優しいですね。私、今日は全く酔っていません」
そう笑顔を向ける隣の若菜ちゃんに比べて、ルームミラーに映る貴志は、走って十分くらいで明らかに酔っていた。すでに、貴志はルームミラーにすら映っていない。
「大丈夫か? 貴志」
呼びかけても、返事がない。おそらく、最終自己防衛手段に入りかけているのだろう。BGMで流れる『負けないで』を、そのまま貴志に贈りたくなる。
ただ、そもそもなぜついて来た?
確かに、目的地を知らされたのは、車に乗って行き先を聞いた時だった。その時にも一応確認したが、それでも行くと言って聞かなかった。
そもそも、貴志は今日、部活に行くと言っていた。だから、そこが目的地である以上、ついてくるとは思わなかった。
苦手な車に、長時間乗らなければならないのだから……。しかも食後に。
もっとも、買い物に行きたいという彼女の希望に、食後すぐの出発を提案したのはこの俺だ。それは遅くなってはいけないとの思いからだが、やはり貴志には睨まれた。
ただ、彼女も
だから、若菜ちゃんは乗りものに弱くないとばかり思っていた。
普通、貴志のように乗り物に弱い者は食後すぐの出発は避けたがる。空腹も悪いが、満腹だと酔いやすくなる。自分の体の事だ。十四歳にもなって、それを知らないとは思えない。
でも、いざ出発する時に貴志も一緒だと知ると、『おじ様、実は私、車酔いしやすいんです。できれば、助手席がいいんですが……』と言ってきた。そのすがるような目を俺に向けた後、貴志の方にも向けていた。
その困った様子に、義勇の心で応える貴志。すなわち、貴志は助手席を譲り、自ら後部座席に座っていた。
――男になった。
俺はその時そう思った。だが、そこまでしてついて来る必要などないんじゃないかとも思ってしまう。わざわざついてこなくても、学校でいつでも会えるだろうに……。
で、その結果がこれだった。
信号待ちのほんのひと時。楽しそうに色々とおしゃべりをする若菜ちゃん。女の子というのは、よくもまあそれだけ話すことがあるものだと感心する。学校での出来事とか、貴志が決して言わない事も彼女から色々と教わった。ただ、最初は話しに割り込んでいた貴志も、次第に黙り始めていた。
ちらりと後ろを振り向くと、熟睡している貴志の姿がそこにある。
――子供の頃から変わりない。本当に車に弱い奴だ……。でも、今日はよく寝ているな。そんなので、家族をもったらどうするんだ? お前が運転しないといけないんだぞ?
だが、車酔いする人でも、運転すると別だと聞く。そうであればいいと思う。ふと視線を感じて顔を戻すと、そこには顔を赤らめた彼女がいた。
――しまった。考えに夢中で何か聞き逃したか?
「おじ様、もう間もなく信号が変わりますよ。それに、大丈夫です。貴志君は熟睡してるみたいです」
だが、若菜ちゃんの言葉に、怒ったような気配はない。ただ、年頃の女の子とどう接すればいいのか、正直言ってそれがよくわからない。そもそも、仕事が忙しくて、貴志ともこれまで十分に接してきたとも言えないのだから……。
だから、これはいい機会だとも思う。若菜ちゃんがいる事で、貴志との関係もこれまでと違ったモノになるのではないだろうか?
「おじ様? どうかしましたか?」
「いや、貴志が熟睡しているのが気になってね。普通、酔い止めで寝ても交差点では起きるからね。ここまで熟睡しているのは初めて見た。君からもらった酔い止めのおかげかな?」
「はい。あれは特別にお医者さんでもらっているものです。とてもよく効くんですよ」
「そうなんだ。でも、君は大丈夫なのかい?」
「はい。大丈夫です。それに、おじ様とこうしてお話しできるんですもの。寝ている場合じゃないです。助手席を譲ってくれた、貴志君にも感謝してます」
とびっきりの笑顔を見せる若菜ちゃん。そのまぶしい笑顔に、たぶん貴志は惚れたに違いない。
「それを聞いたら、貴志も喜ぶだろう。ただ、気分が悪くなったら、無理せずに寝るといい。ついたらちゃんと起こしてあげるからね」
「ありがとうございます、おじ様。でも、おじ様とお話しているのが、本当に楽しいんです」
そうやって晴れやかな笑顔で話すこの子は、本当に車酔いしていないようだった。
「それに、あのショッピングモールって、一回行ってみたかったんですよね。今から楽しみで、寝ちゃうなんてもったいないです」
――ん?
交差点の全ての信号。そこは今、赤い光が灯っている。その信号の光を見たからではないが、俺はその言葉に軽い違和感を覚えていた。
「若菜ちゃん、君の家の備品を買いに行くって話だったけど、そこに行った事はなかったの?」
「いいえ、ありますよ? 引っ越してから、そこで買い物してましたから」
「え!? でも、今。一回行ってみたかったって言わなかったっけ?」
そう話しかけた直後、進行方向の信号が青になる。
前を向き、アクセルを踏んだ俺。動き出す車のエンジン音と共に、彼女の口から小さく言葉が告げられていた。
「はい。おじ様と二人で行ってみたかったんです」
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