第17話すれ違う声

 友田部長の無言の圧力。あれは、何をどこまで、どう考えればいいのだろう?


 だが、そんな俺を気遣うように、若菜ちゃんが覗き込むように見つめてきた。


「やっぱりおじ様はすてきです」


 そう言って、また腕にしがみつく若菜ちゃん。何か若菜ちゃんの琴線に触れることをしたのだろうか?


「いったい何の事だい?」

「ふふっ、秘密です」


 見上げるその瞳に奥にある光。それは何か、いいようのできない光をたたえているようにも見える。だが、それが何なのかはさっぱりわからない。


 そして、何を考えているのかも、俺にはさっぱりわからない。


「んー。何のことだか、さっぱりわからないけどね。それより、友田部長は怖かったかい?」

「はい。最初は怖かったです。でも、おじ様にとって大切な方なんですよね。それはよくわかりました。部長さんも、おじ様の事、信頼しているみたいでした。だから――」


 何か言いかけた後、若菜ちゃんは急に黙り込んでいた。俺の腕を掴む手は、少し力が入っている。だが、それを尋ねる前に、若菜ちゃんの様子は元に戻っていた。


「なんでもありません、おじ様。さっ、いきましょ!」


 一瞬垣間見た悲しげな様子の若菜ちゃん。何を考えているのかさっぱりわからないけど、きっとおれの知らない所で色々あるのだろう。こんな時、俺はどうすればいいのかわからない。でも、たった一つだけ言える事が俺の中には存在している。


「まあ、色々あるんだろうね。でも、俺は若菜ちゃんの味方だよ。困ったことがあれば頼りなさい。英語でいう、『I am always on your side』と表現されるように、俺は今、若菜ちゃんの傍にいるんだからね」


 ――アイツがいない間は、俺がこの子の親代わりだ。ちょっとそれ以外の感情もあるだろうけど、それは俺がしまっておくべきことだろう。


 貴志にしても、この子がいるから色々俺に絡んでくる。以前なら、俺に話しかけてショッピングモールについて来ることもなかったはず。まして、休日にウロウロリビングで熊のように歩き回ることもない。


 この子のおかげで、貴志との間も縮まっている気がする。俺達にとって、この子はかけがえのない存在だ。


 だから、俺が俺の出来る範囲で守って見せる。今も俺を見上げるこの顔を。


 「おじ様。やっぱり、おじ様は素敵です」


 笑顔の花が、いっそう華やかさを増して咲き誇る。そのまぶしい光のような笑顔に、俺はそれ以上直視できずに視線を逸らす。


「まったく、大人をからかうもんじゃないよ……」

「からかってません。素敵だから、素敵なんです」

「だから、こんなおじさんのどこに素敵要素があるんだか……」

「ふふっ、な・い・しょ・です」


 自らの口にその指を当て、片目をつぶる若菜ちゃん。その可愛らしい仕草に、俺は自分の顔が赤らむのを意識して、思わず顔を背けていた。


 若菜ちゃんは相変わらず腕を組んだままだった。だが、いつの間にか鼻歌が混じっている。


 ――やれやれ、一体何が何だか……。


 まあ、考えても分からない事を今考えても仕方がない。すでに賽は投げられている。今更じたばたしたところで、何かが変わるわけじゃない。


 そう考えてみれば、急に気分が落ち着いてきた。


 相変わらず若菜ちゃんは俺の腕にしがみついて離してくれない。


 しかも、『おじ様! あっちを見てください!』と嬉しそうに俺の視界を左右に振る。


 めまぐるしく動くそれは、水族館に入っていないにもかかわらず、周囲の情景を楽しんでいるからできるのだろう。


 今、俺達は海底を歩いている。

 正確に言えば、それはこの水族館の展示の一種。


 実はこの水族館の入り口は、野外ステージのように広がっているさっきの広場から、この通路を通らないと行けない仕組みになっている。


 それは、ちょうど水族館の真下に位置しているもので、館内に入らなくても、その一部を観賞できるようになっていた。


 言わば、広告のようなものだろう。入館前のサービスというやつかもしれない。


 だが、これを見て入る気になる人は数多くいるに違いない。短いけど、決して狭くないこの通路。だが、それだけに人とすれ違う事は往々にしてよくある話だというのを思い出す。


 だから、俺は聞いていた。若菜ちゃんの声に反応していた中学生らしきグループの声を。


「今、若菜ちゃんの声がしなかった?」

「ウソッ!? 見てないわよ?」

「いや、俺も聞いたぜ?」

「なんか、『おじ様』とか言ってなかったっけ?」


 背後でざわめく声がする。


 姿は見えず、声がした。それも、自分たちのよく知っている人間だった。


 その事実が、彼らの興味を一気に引く。もはや周囲の景色を見ることもなく、『どこだ? どこ?』と周囲をめまぐるしく探しているに違いない。

 

 もう、ずっと後になっているから見えないけど、その姿は容易に想像できていた。


 ――でも、声で反応するって……。お前らどんだけファンなんだ!?


 幸い、若菜ちゃんは俺の右腕を取っている。この通路は左右に別の海底の様子が映してある。その中学生グループは左の展示を見ていたから、俺に隠れて若菜ちゃんは見えなかったに違いない。それに想像もしなかったはずだ。


 若菜ちゃんが、こんなおっさんと腕を組んで歩いていることなど――。


 もっとも、ここにもたくさんの人がいる。だから、探しても容易に見つけることはできないはずだ。


「若菜ちゃん、同級生がいるみたいだけど? どうする?」


 一応、念のために確認する。若菜ちゃんにも若菜ちゃんの世界がある。


 俺もたまに子供を持つ親の社員や取引先の相手との雑談で知識として知っていることがある。貴志の場合はそもそも一緒に出歩くことがまれだから考慮に入れないが、思春期の子供たちは、親と一緒にいる所を見られることを毛嫌いする事があるらしい。


 もっとも、若菜ちゃんはそんなことは無いだろう。アイツと一緒にいる事を毛嫌いしている様子はなかった。


 でも、それは自分の父親だからだろう。俺と一緒の所はどうだかわからない。


「おじ様、水族館もそうですが、それよりも先に二人で行きたい所があるんです」


 俺の予想をはるかに超えた話をしてくる若菜ちゃん。


 それは、俺の質問が全く意味のない愚問という意味なのだろうか? それとも鉢合わせになるのが嫌だったのか?


 よくわからないまま、腕を取って急かされる。


「どこに行きたいの?」


 その急変ぶりは何かあるのか? その真意がわからぬまま、俺は水族館の入り口を通り抜け、アミューズメント施設の方に連れられていく。


 しかも、その場所には独特の気配があり、そこにはさらに多くの人であふれていた。

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