第14話ゆらりと揺られ

 二人で並んで歩いていくうちに、俺はようやく冷静になっていた。今は腕も組んでいないし、手も繋いでいない。俺の隣で、鼻歌交じりに歩いている若菜ちゃん。その楽しそうな雰囲気が、とても子供らしいと思えてきた。


 ――ばかばかしい。最初から論点がずれていた。


 そもそも、あれは単なる都市伝説。仮にそれが真実であったとして、親子で乗ったらどうなるというのか?


 ――伝説を伝説にするには人がいる。そういう人が語り継ぐから、それは伝説になるのだろう。


 『カップル』として乗った人達のうち、そのまま結婚した人間は探せば確かにいるかもしれない。というか、俺達がそうだから、俺達も伝道者なのかもしれない。でも、俺達の場合は、その時すでに結婚の意志がお互いにあった。大観覧車に乗ったから、俺達は結婚できたわけじゃない。


 そうだ。一口に『カップル』と言っても様々だ。だから、どうしてもそこにはバイアスがかかってしまうだろう。


 成功例が伝えていくから、すべて真実のように語られる。結婚した『カップル』なら、デートコースにここを選んでも不思議じゃない。


 逆に言えば、別れる人間はそれで別れたという訳にはならない。希望や期待が伝説を形にして育んでいく。


 人の心の中にある、『そんなことがあればいいな』と思う気持ちが、それを増長するのだろう。


 だから、今問題にするべきことは別の事。若菜ちゃんと俺がいて、それが他人にどう見られるかが問題だった。


 そして、幸いな事にそれは解決済みの案件だ。今の俺は、炎天下の中、野球観戦するための恰好をして出てきている。


 炎天下でも大丈夫なように、しっかりとスポーツキャップをかぶっている。しかも、日差しが強いことを想定して、サングラスで目を守る対策もバッチリだ。


 これなら、知り合いにあったとしても大丈夫だろう。どこからどう見ても、俺だという事は気が付かいないに違いない。


 普段したことのない格好だから、似合ってないかもしれないが……。


 ただ、だからいいとも言える。これなら、たとえ知り合いにあったとしても、分からない。『阿亀あがめさんですか?』と聞かれても、俺は俺じゃないと言い張れる。


 もっとも、この人だかりの中で、わざわざ俺に声をかける人がいるとは思えない。


 もしいたとしたら、それはよっぽど悲しい人間――。いや、寂しい人間と言えるだろう。


 このゴールデンウイークに、こんな人ごみの中から変装した俺を見つけて、しかも声をかけてくるのだから……。


「おじ様、すごい人ですね」

「ああ、お互いはぐれないように気を付けよう」


 心の余裕が生まれると、人は他人を気遣う事が出来るようになる。


 さっきまでは俺も考えなくてもいい事まで考えていた。ひょっとすると不審な態度を取っていたのかもしれない。


 ――若菜ちゃんには不審な態度に見えていたかもしれないな……。


 けど、もう大丈夫だ。しっかり考えもまとまった。とにかく、水族館に行くには、この人ごみの中を進む必要がある。小柄な若菜ちゃんとはぐれずに、二人してそこにいかねばならない。


「おじ様?」


 少し不安そうにしている若菜ちゃん。たしかに、『はぐれないように気を付けよう』とは言った。だが、その具体的な方法は伝えてない。


 そんな俺の心を見透かすように、若菜ちゃんのキラキラした瞳が、俺を捉えて離さなかった。


 ――ええい。今の俺なら大丈夫だ。しっかりしろ、俺。こんな時、大人の男がリードしなくて誰がする。


 若菜ちゃんの手を握るために、俺はこの手を差し出した。

 俺が俺として認識されないのなら、これはこれでありだろう。


 それを見た若菜ちゃん。


 一瞬、少し戸惑った表情を見せていたが、何を考えたのか、伸ばした俺の腕にしがみついてきた。


「おじ様、すごい人です。あの満員電車みたいになるかもしれません。ですから、やっぱりこの方がいいです。こうしている方が安心です」


 右腕に飛びつく若菜ちゃん。そのまま俺の腕を両腕で包んで離さない。


「ふふっ、これで大丈夫ですね」

「歩きにくいだろうに……」

「いいえ、おじ様。おじ様は私に歩調を合わせてくださるから大丈夫です。あの時も大丈夫でした」


 見上げてくるその顔は、とても楽しそうだった。そう言えばすでにこの形で歩いていた。だが、その時とは違う印象もある。


 若菜ちゃんの笑顔に、俺はかなり魅惑的なものを感じていた。


 ――おれは、少し甘かったのかもしれない……。


 確かに、これは他人から見れば俺とは思わないかもしれない。でも、俺が俺を認識している。しかも、この笑顔をまたこの距離で見てしまっていた。


 人が多く流れていく中、俺達は二人で歩いていく。


 人をひきつける魅力がある若菜ちゃんは、こうしておっさんと歩いていても、人の目を引くのだろう。


 奇異の瞳か羨望の眼差しか。


 いつしか俺は、人の波が勝手に分かれていくような感覚に襲われていた。


「おじ様。もうすぐつきますね。楽しみです」


 若菜ちゃんのその言葉は、どこか遠くから聞こえてくるような感じで頭の中にしみこんでいく。


 ――ああ、俺は今何をしている? 俺は今どこにいる?


 蕩けるような感覚の中、背中からの音が声であることが分かった時。


 俺は強く左肩を掴まれていた。

 

「ちょっと、君。待てって言ってるだろう!」


 荒々しく、肩を掴まれ、振り向かされた目の前に、二人の警察官が立っていた。

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