第13話葛藤する四十歳
水族館?
最初その言葉を聞いた時、俺は自分の耳を疑った。確かに、この近くには水族館は存在する。特に交通手段を使わなくても、歩いて行ける距離にある。
しかも、あそこは結構大きめの水族館だったはず。ゆっくり回れば、いい時間つぶしにはなるだろう。たしか、イルカショーもアシカショーもあって、大人から子供まで楽しめる施設だったと記憶する。そういえば、アミューズメント施設も隣接して建っていた。
そして、水族館の前は広々とした広場のようなところになっており、ストリートミュージシャンや大道芸人たちが、そこで自分たちを表現しているのも特徴の一つだろう。休日ともなれば、それを目当てに来る人達も少なくないと聞いている。
当然、近くには飲食店も多く並ぶ。その区画にいるだけで、どこかに行った感じのする場所だったと思う。
――いや、確かに選択肢としては悪くない。ただ、問題は時期と相手だ。
あの水族館は、ゴールデンウィークには子供連れの家族がたくさんやってくる。定番のデートスポットとしても有名だし、なによりもあの界隈は、他にも娯楽施設が充実していた。
しかも、あのアミューズメント施設にはアレのあるアレがある。
それは、『一緒に乗ったカップルは添い遂げる』という都市伝説。長く語り継がれている、都市伝説付きの大観覧車が存在する。
水族館に行って、大観覧車に乗る。それは、定番のデートコースとして有名だった。少なくとも、二十年前は――。
かつて、俺も妻とそのコースを歩んでいる。
「知ってます? おじ様。水族館もそうですけど、あの隣にある大観覧車からの眺めは最高らしいですよ?」
キラキラと目を輝かせて、俺を見上げる若菜ちゃん。
その口は『行きたい』とは言っていない。だが、その瞳は、そこに『行く』ことを雄弁に物語っている。
「そう、よく知ってるね。俺も乗ったことあるよ……。って言っても、それはもう二十年以上前の話だけどね。若菜ちゃんは乗ったことあるのかな?」
「いいえ、おじ様。私、初めてですよ。誰とも一緒にのっていません。おじ様が初めてです。それを知っているのは、前に友達に教えてもらったからです。なので、一度行ってみたかったんです。こんなに早く実現するなんて、まるで夢のようです」
若菜ちゃんのまわりだけ、まるで色とりどりの花畑が存在する。そんな幻想を俺はそこに見ていた。華やかな色で包まれている若菜ちゃん。
光も音も、彼女を包みこみ味方する。それはまるで、ミュージカルを見ているような感覚。
そんな幻想が俺を誘う。
――これって、行く以外の選択しないんじゃないか? ひょっとして、都市伝説は消えたのか? しかも、なぜそんな『初めて』を連呼する? 何かわけでもあるのか?
いや、その新たな可能性を、考えても意味がない。
それよりもだ……。もし、それが語り継がれているなら、おそらくその友達は知っているだろう。ネットで検索したことは無いが、女子中学生はそんな噂が好きだったと思う。
いや、そんな噂話が好きな女の子が、若菜ちゃんのまわりにも一人か二人はいるだろう。
あれば当然、耳に入るに違いない。
いや、若菜ちゃんは学校でも人気者だ。普段から、噂とか情報とか、色んなことを仕入れている。望む、望まないは別にして。そのうちのいくつかを、休日に俺に教えてくれているんだから、間違いない。
そうだ。都市伝説が生きていれば、ゴールデンウィークの話題として、きっと耳に入るだろう。噂好きの女子中学生がそれを気にしていないとするならば、それはもう存在しない都市伝説といえるだろう。
なら、無いと思っていいのか……。
いや、まて。もし、仮に、仮にそれを知っていたとする。
でも、若菜ちゃんが気にしていないだけという線もある。
――それを気にしていない若菜ちゃんだったらどうする? 気にしていない人に対して、そこにはいかないという理由ってあるのか?
その都市伝説は存在する。そしてそれを若菜ちゃんは気にしていない。
そう仮定したとする。すでに俺は、それを気にしてしまっている。
この状況……。
もし、行かない理由として、『そこにカップルで行くと結ばれるらしいよ』と言ったらどうなる?
――もし、そんな事言おうものなら……。
きっと冷たい眼が俺を見下す……。『あら、おじさま。おじ様はそんな事を考えていたんですか? 今おいくつですか? ねぇおじさま? 私、息子の貴志君と同じ、中学二年生ですよ?』と、ゴキブリか何かを見るような目で蔑まれることだろう。
それからは、そういう目で見ていると思われるに違いない。この先ずっと、永遠に……。
しかも、必ずその事はアイツにも伝わる。そうなったら、親友の縁は切れてしまうだろう。
――俺だったら速攻で絶交だ。
そして、アイツの奥さん……。若菜ちゃんのお母さんの方が、俺は恐ろしい。
彼女は海外での暮らしが長いから、交友関係がかなり広い。酔った時のアイツが話していたから知っているが、『結構危ない奴とも知りあい』という話しだ。
もし、それが本当なら、そんな事を言った俺は、おそらく四十歳で人生を終える。アイツから聞いた、彼女の逸話が俺に語りかけてくる。
話でしか聞いたことは無いが、娘の危機に対して、ヒットマンを雇うかもしれない。
――もしかすると、今も見張られている!?
アイツの話だとあり得るかも……。だが、若菜ちゃんの両親だけじゃない。若菜ちゃんの友達も警戒しないといけない。
俺も経験あるが、女子の怖さはその拡散力だ。若菜ちゃんの友達が、俺を吊し上げに来るかもしれない。
――そんな事になったら、やっぱり俺は死ぬしかない。社会的にも、生物的にも。
まして、貴志が何て言うか……。
――言えない。そんな事は絶対に言えない。
「さっ、おじ様。行きましょう」
俺の手を取って球場の門を後にする若菜ちゃん。そのとてもうれしそうな後ろ姿に、どんよりとしたものが集まって見えてきた。
それはさっき見た幻想。
華やかな色で輝く若菜ちゃんの周囲に、それはもやもやと浮かんでいた……。
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