14話目 日向になった人
いつも垣村が学校へ行くのに利用する駅よりも上。あまり知り合いのいなさそうな場所に、長期休みになるとよく足を運ぶ。その日ばかりはイヤホンをつけず、季節の移り変わりだとか、流れていく人の様子だとか、そういった風景を眺めるように歩く。向かう先はこじんまりとした喫茶店。ちょっとオシャレで、古めかしい。これが所謂、アンティークっぽいというものなのだろう。垣村は窓際のテーブル席を一人で座って、甘い珈琲を啜りながらそう思う。
周りを見回してみても、客入りは少ない。夜になれば少しは客が増えるだろう。ウェイターの女性も、厨房にいる人と会話をしながら時間を潰していた。
一人きりで座る垣村のテーブルには様々なものが置かれている。置いてあるノートパソコンには素人目ではよくわからないウィンドウがいくつも開かれていた。複雑な波形を描くものなど、見ただけでは何をどうすればいいのかわからない。けれど、垣村の被っている黒色のヘッドホンや手元に開かれたメモ帳。それらを見比べてみれば、曲を作ろうとしているのだろうとなんとなくわかる。
「……っ、ふぅ」
ヘッドホンを外して、小さくため息をつく。しっくりとこない。何度も何度も繰り返している。曲を作るためには自分の経験が必要だ。技術的なことじゃない。見聞きしたこと、体験したこと。それらを得るために普段から気を配っている。けれど、曲にならない。苛立ちや不満が心の中で渦巻いて爆発してしまいそうだ。
SNSを開き、創作用のアカウントで不満を呟く。できない、作れない。何か掴めそうでも、それより先にいけない。歯がゆさだけが残る、と。数分もしないうちに知らない人からリプライが飛んでくる。待っている人がいる。そう実感できると、少しだけ気分が楽になった。少し温くなった珈琲をまた口に含んでいく。苦味、酸味。そしてほんのちょっとの甘み。まるで人生みたいだ、とロクに生きていないのに達観したような考えを抱く。
「あ、あの……すいません……」
すぐ隣から女性の声が聞こえてくる。こんな場所で話しかけられるのは珍しい。しかもパソコンを開いて作業しているように見えているにも関わらず。一体誰なのだろうか。顔を半分ほど向けるようにして見てみれば、そこにいたのは黒縁メガネをかけた女の子だった。髪の毛は短く切りそろえられていて、笹原とは違って綺麗な黒髪をしている。なるほど、清楚系だ。西園が好みそうな温和な顔立ちをしている。
ヘッドホンをつけていたから新しい客が入ってきたのにも気づかなかったのだろう。入ってきた時にはいなかった気がする。そんなことを頭の片隅で考える傍ら、女の子は手に持っている薄い桃色の携帯をこちらに見せつけてきた。
「こ、これ……」
言葉を交わすよりも先に、その画面を見つめてみる。見覚えのあるどころか、つい今しがた見ていたものだ。垣村の創作用アカウント。気がついた途端、心臓を鷲掴みにされたような気分になる。恐る恐る、顔を上げて女の子を見た。緊張と興奮とで震えそうになっているのを必死に抑えようとしているのが目に見えてわかる。
「もしかして、柿Pさんですか!?」
マズい、身バレした。背中に寒気が走り抜けていくのを感じ、どうにかしなくてはと思うものの……垣村にはこの状況を打破する算段が思いつかない。人違いですと言っても彼女は信じないだろう。ほぼ確信的だと信じている。柿P。所謂、ボカロ作家の一人。それが垣村のネット上の身分だった。公にしたくないことだというのに、もうどうしようもなくて……垣村は「はい、そうです……」としか言えなかった。
「やっぱりっ……こんな所で会えるなんて思ってなかったです!」
「あの、店の中なので……」
「あっ、ごめんなさい……」
言われて大人しくなったかと思えば、自分の席に戻って会計票を取ってくると垣村の反対側に座り込んだ。その行動に目を見開かずにはいられない。何だこの人、ちょっと怖い。とりあえずパソコン類を端に避けて、個人情報の漏洩だけは防ごうと垣村は心に決めた。
「私、前から柿Pさんのファンで……今でも曲を聴いているんです!」
「そ、それはどうも」
まさかファンがいるとは思ってもいなかった。所詮は一時だけの有名人だと思っていたのに。面を見て伝えられた言葉に、垣村も照れくさくなってしまう。視線を窓の外へと泳がせ、口元を隠すように珈琲を啜る。初めて高評価を貰った時のような嬉しさ、いやそれ以上。垣村の珈琲を持つ手がわずかに震えていた。
「現役中学生の作った曲って、本当だったんですね! 私と同い年の子が作曲して人気になるとか、凄いなーってずっと思ってたんですよ!」
「昔の話ですから……それに、今はあまり活動していませんし」
垣村がまだ中学生だった頃、他の人とは違う存在になりたいと願っていた。なんだっていい、自分だけのものが欲しい。存在価値が欲しい。時間の有り余っていた垣村は様々なものに手を出し始めた。小説、作曲、動画作成。その中で彼の作り上げた作品がヒットしたのが、作曲だ。
「……正直、あなたのような人が聞いているとは思っていませんでした」
目の前の女の子。彼女の容姿や服装からして、トップカースト付近の生徒だろう。ファッション雑誌に載っているような、水色の半袖のシャツにジーパンという格好。活発そうな印象を与え、それでいて立ち振る舞いに大人しさが滲み出ている。男子女子、両方から好かれそうな人だ。そんな人に、自分の曲が聞かれるわけがない。なにせ、あの曲は人の表と裏を皮肉るような内容だったから。
「えっと、私も本当は昔はこんな感じじゃなくて……あっ、私は
今更な自己紹介をしつつ、彼女はまた携帯を見せてきた。人に見せることに抵抗はないのかと思いつつ、垣村はその画面を見る。中学校の入学式の写真のようだ。学校を背にして撮られている女の子は、髪の毛が長くてちょっとふくよかな体型をしている。差し出す写真を間違えたんじゃないのか、と垣村が顔を上げて園村のことを見た。
けれども園村は恥ずかしそうにそっぽを向く。その反応が、写真の人物が彼女本人であることを示している。随分と変わったものだ。今の彼女と写真の中の彼女が同一人物だとは中々考えられない。
「私、中学の時はこんな感じだったんです。オタクっぽくて、根暗で、虐められてて……そんな時に、柿Pさんの曲に出会ったんです。『陰日向』が有名になり始めた頃だったかな」
垣村の作り上げた、柿Pが有名になった代表曲。それが陰日向。人の見ているところと見ていないところで言動が変わること、と辞書にはある。曲の内容もそのままだ。クラスの人気者たちの、表と裏の顔。人当たりのいい言動をするくせに、自分のような日陰者にはまるで汚れたものを触るように接してくる。それが嫌で、どうしようもなくて……書き殴った、垣村の叫びだった。
「そう、だったんですね……」
「高校に入る前、変わりたいって思って、必死に頑張って……。雑誌もたくさん読んで、メイクも頑張ったんです。体型は……その、虐められてる時に減っていったといいますか……」
あはは、と自嘲するように園村は笑う。その笑みが痛々しくて、垣村は直視できなかった。逃げるように飲み続けていた珈琲も、もう既に中身がない。なんとか場を切り替えたくて、ウェイターに注文を頼んだ。垣村の分と、園村の分の二つ。会計票を見る限り、カフェオレの方がいいだろうと判断して、垣村の会計票に二つとも加えてもらう。
奢ってもらう訳にはいかないと園村は反対したが、垣村も彼女の境遇を聞かされたとはいえ、単純に嬉しかったのだ。辛さを乗り越えられる曲を提供できたこと。そしてなにより、恥をかくかもしれないのに自分に話しかけてくれたこと。ファンである彼女に対しての、自分なりのファンサービスだと、垣村は伝えた。
「園村さんがあの曲で何かしら力を貰えたというのなら、それはとっても嬉しいです。けれど……決して綺麗なものじゃないんです。誰かを楽しませたいだとか、共感してもらいたいとかじゃなくて、ただ自分の境遇を嘆くように、自分以外の何者かになりたかったから作ったんです。自己否定と他人への蔑みの塊なんですよ、柿Pは」
陰日向以降の作品はそれなりに聞いてくれる人が増えた。それでも陰日向に比べると再生数も落ちるし、コメントも減る。逃げるために作ったはずなのに、いつしか首を絞めているような感覚を垣村は覚え始めた。当時のことを話してくれた彼女に、自分の過去を少しずつ話す。それは紛れもなく、同族であったから。園村と垣村は、同じ立場にいたのだ。ただ、園村は日陰者から頑張って日向者になって、垣村は日陰者のままというだけ。
「でも、それでも柿Pさんの叫びが私を奮い立たせてくれたんです。イヤホンで閉じこもった自分の世界で、あなたの作った曲だけが私を救ってくれた。それからずっと追い続けています」
園村の真っ直ぐな瞳が垣村の瞳を射抜いた。逸らしたくても逸らせない。彼女の真摯な想い、態度。それらが垣村を逃がさない。互いに初対面で、でも共感できる部分がある。同い年というのも気分的に楽な理由だった。やがて運ばれてくる二つのカップが来るまで、互いに沈黙を保ったまま睨み合うように過ごす。垣村が気まずさを感じるよりも先に、この人はなんて強いんだろうという考えが浮かび上がった。過去を乗り越えて、未来を変えようとしたその姿。それは垣村にはないものだ。カップからのぼりつめる湯気が垣村を曇らせていく。
「……園村さんは、凄いですね」
「い、いや……私よりも、柿Pさんの方が凄いですって。誰にでもできることじゃないんですよ」
「誰にでもできるんです。こんなの、やる気と機材があれば、誰にだって」
小説を書くことも、曲を作ることも、動画を作ることも、絵を描くことも、全て、全て垣村の持っているノートパソコンでできる。知識がないなら本を読めばいい。それら全て、特別な才能だとか知識が必要なわけじゃない。手を伸ばせば、誰にだってできることだ。
「それでも、自分にはあの曲しかなかったから……また、曲を作ろうって思って。それでも思ったように伸びなくて、いつしか再生数に惑わされるようになった。それに捕われた途端……終わったんですよ。何も、作れなくなったんです」
鬱憤を晴らすように作った作品でも、作ってる時は楽しかった。それは事実で、その作品を見てくれた人が賞賛してくれたことが嬉しかった。己の暗い想いをぶちまけた牢獄のような作品が、垣村にとっての最高傑作だった。それ以降、彼に良い作品は作れない。作っていても、楽しくない。作らなきゃいけない。でないと褒めてくれた人がいなくなってしまう。そうなると、自分は何でもないただの人だ。作らなきゃいけないという強迫観念に怯え、数に惑わされ、休みを取り、いつしか他のものへ逃げた。
「過去に縋ることしかできない自分と……過去を乗り越えて今を生きる園村さんとじゃ、圧倒的に違うんです」
「……誰にでも、作れるわけないじゃないですか」
園村は端に置かれたパソコンを見ながら呟くように言う。けれど垣村は頑なにそれを否定した。誰にだってできる。自分でさえできたのだから。
昔の話ばかりしていると、その時の感情まで蘇ってくる。組み合わされた両手が細かく震えた。目尻に涙が溜まってきそうになり、奥歯を噛み締める。それでも垣村の心には虚しさや怒りなどの負の感情ばかりが立ち込めていった。
「……私にはわかりません。どんな音を出せばいいのか、どんな台詞を言えばいいのか。それでも、柿Pさんはわかる。例えば窓から見える景色だって、あなたは難なく文章にできるんじゃないですか」
「そんなこと、やろうと思えば誰にだって」
「やろうとすら思わないんですよ、そんなことを」
震える両手を、園村の手が強く包み込む。手の温かさ、窮屈さ、柔らかさ。それら全てを通して伝わってくるのは、彼女の必死さだった。笑みすら浮かべていない、真剣な表情が垣村を見つめている。
「でも、あなたはやったんです。それは、絶対に凄いことなんですよ」
「い、や……俺は……」
逃げたくても、逃げられない。対面にいる園村の顔が動いて、垣村のパソコンを見た。そしてまた、垣村の心を締め付けるような言葉を伝えてくる。
「まだ、曲を作っているんですよね」
「だって、俺には……それに縋るしか、ないから」
「まだ諦めてないってことですよね。あの曲に近づくために、頑張ってる。誰にでもできることじゃない。あなたは、柿Pさん以外の何者でもない。誰かがあなたの代わりになんてなれない。あなたが紛れもなくあなたであることを……私は、知ってます」
垣村のことを、一般人というカテゴリではなく一人の人物として認めてくれる。そう園村は言った。誰でもない、唯一の誰かになりたい。そんな願いが、希望が、ずっと垣村の心を苦しめていた。将来への不安も、そこからきている。
(……あぁ、強いなぁ……)
だからこそ、その言葉にどれほど救われたのか。いつしか垣村の手の震えは止まり、そこには暑いほどの熱が籠る。それでも、その熱が彼女の心の熱だと思えば……なんて、心地良いものなのか。
「……ありがとう、ございます。ちょっとだけ、気が楽になりました」
とうとう我慢の限界も近づいて、目尻に溜まった涙が溢れてしまいそうになる。それでも彼は目を細めて、彼女に向けて微笑んだ。これで自分の気持ちが伝わってくれたらいいなぁ、と思いながら。
それに応えるように、園村も笑い返してきた。包まれていた手が離れていき、残留する熱が人肌の恋しさを感じさせる。それを紛らわせるために、垣村は両手でカップを持って珈琲を飲んだ。珈琲の熱さと、彼女の手の温かさは別物だ。それがハッキリとわかってしまい、垣村は気恥ずかしくなってしまう。
「柿Pさんにズケズケと立ち入った話をしてしまったのもあれなんですけど……もし、良かったら……私と、友だちになってくれませんか?」
恥ずかしそうに尋ねてくる彼女に対して、垣村は快く承諾した。互いに交換し合う連絡先。垣村にとって、初めてのちゃんとした女の子の連絡先だ。それがまたどうにも嬉しくて、ニヤけてしまうのを必死に抑える。壁が取り払われた二人の間には、オタクならではの話だとか、中学時代の話で持ち切りになり、気づけば夕暮れになるまで話し込んでしまっていた。喫茶店を出て、互いに言い合う。「またね」と。その約束はきっと果たされることになるのだろうと、お互い思っていた。
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