19話目 イヤホン
男三人。女三人。比率的にはちょうどいいけど、祭りを回るとなると六人でぞろぞろ歩くのは少々難しい。前から来る人たちを避けようとする度に、横並びの彼女たちは離れそうになってしまう。
笹原は紗綾と彩香から離れないように固まって動く。男子も同じように固まっているが、隙あらば女子の隣に移動しようとする。横並びで歩くときは松本が笹原の隣にきた。男女と境目だから仕方がないことだ、と思いながら彼の話に適当に相槌を返していく。
空は既に暗いが、屋台の明かりのおかげでまったくそうとは思えない。買ったポテトやりんご飴などをそれぞれ食べながら海辺の近くを歩く。砂浜の上にはシートがいくつも敷かれており、男女のカップルが周りの目も気にしないで体を密着させている。なんだか目に悪い。少しうんざりしていた。
「そーいや、この前の練習試合で松本がさー」
「バッカお前、それ俺のせいじゃねぇんだって!」
「快晴がなにやらかしたの?」
「こいつゴール前で……」
「あぁあぁ言うなって!」
彩香が話を聞きにいくと、松本は慌てた様子で違うんだと否定する。格好悪い自分を知られたくないらしく、笹原の耳にも確かにその声は届いているが、反応は薄い。視線を動かしてキョロキョロと周りを見回しているその姿は、誰かを探しているのかもと思えてしまう。
「唯ちゃん、誰か探してるの?」
「えっ、いや誰も探してないよ」
「本当にー?」
若干挙動の怪しい笹原を見て紗綾は口元を緩めた。別に誰を探していたわけじゃないのに。それに、こんな場所にいるはずがない。アイツが西園と二人でここに来ることは、多分ないはず。それでも周りの人を見てしまうのは、期待だとかそんなものじゃなくて、そう……ほんのちょっとの、好奇心のようなものだ。見かけたら、あとでメッセージを送る口実にもなる。一人でなにしてんの、と送ったら慌てるのだろうか。
そんなあるはずのない妄想をしている笹原の顔を、紗綾は覗き込むように下から見上げてくる、
「西園君でも探してるの?」
「違うって。なんで西園のこと探さなきゃいけないの」
「えー、だって気になるんじゃないの?」
「そんなこと一言も言ってないって」
笹原は強く否定する。けれど、否定すればするほど彼女たちは面白い玩具を見つけたようにはしゃいだ。恥ずかしいから否定しているのだと思われているのだろう。それに、近くに彼らがいるにも関わらずそんなことを話してしまえば、色恋に盛んな男子生徒も食いついてきてしまう。案の定松本たちが食い気味に話しかけてきた。
「笹原って西園のこと好きなの!?」
「だから、違うってば」
「恥ずかしがらなくてもいいのに」
「恥ずかしがってないって! 紗綾は変なこと言わないでよ!」
紗綾に向けて怒るが、彼女はどこ吹く風と聞き流す。西園のことなんてまったく興味もないのに。なんでこんなに詰め寄って聞かれなきゃいけないの。
小さくため息をついて、否定を繰り返す。そうこうしているうちに、会場の端の方まで来てしまっていた。花火を見るには少し遠い気がするけど、その代わりに人が少ない。好機と言わんばかりに、笹原は「ここで見よう」と言い出した。他の人も否定する意見はなく、砂浜に少しだけあった草の上に腰を下ろし始める。花火が始まるまでもうしばらく時間があった。幸いにも先程の笹原が西園のことが好きだという話はなくなって、いつも通りのくだらない話に戻っていく。笹原は胸をなでおろし、安堵の息をついた。
彼らの話に合わせながら言葉を返し、目の前の海を見つめる。暗い水が流れてきては引き返され、少し上を向けば月が見えた。満月じゃない、微妙な月。それなりに楽しめているはずなのに、物足りない。
(……なんでかな)
心の中で呟いても、答えは返ってこない。どこか物憂げな表情の笹原と、対照的に笑っているその他。去年の自分なら、きっと笑っていたのかな。そう思って去年を思い返せば、紗綾と彩香の三人で回っていた記憶がある。馬鹿みたいに笑って、写真を撮って、美味しいものを食べて。それと今、何が違うのかな。
「……ごめん、ちょっと手洗いに行ってくる」
気持ちを一旦切り替えたくなり、笹原は立ち上がって公衆トイレへと向かおうとする。それにつられるように、松本も立ち上がった。
「ナンパされたりすっかもしれないし、俺もついてくわ」
「うわっ、普通女子についていく?」
「うっせ、心配だろうが」
彩香に茶化されながら照れくさそうに顔を逸らす。ナンパされるとは考えてもいなかったけれど、男避けになってくれるというならありがたい。着いてこられるのに少し抵抗はあるものの、笹原は松本の提案を受け取り、二人で歩き出した。
道すがら話す内容は、先程までとそう変わりない。手を繋いでいるカップルが視界に入る度、今の自分と松本はそう見えているのだろうかと考えてしまう。二人きりで行動するというのも中々なく、時折口数が少なくなって沈黙してしまいそうになる。すると、慌てて彼は適当に話を切り出した。沈黙が気まずいのだろう。笹原も、隣を無言で歩かれるというのは少しだけ忌避感があった。無言ってこんなに辛いものだったっけ、と頭を悩ませる。
「じゃあ俺、外で待ってっから」
トイレの前まで来ると、松本は少し離れた場所に移動した。返事をして中に入る。公衆トイレのせいか、少しだけ掃除されていない匂いがした。薄汚れた鏡の前に立ち、自分の顔を見つめる。無愛想な顔つきだ。前はもう少し明るかった気がする。
携帯を取り出して、メッセージ画面を開こうとしたところで圏外になっていることに気づく。人が多過ぎて電波が混雑しているらしい。小さくため息をついて、また鏡を見る。かきあげた髪の毛を触っていると、洗面台からピチャンッと一粒水が落ちた。連想して、雨の景色が浮かんでくる。雨が降った時にも思い出してしまう、その光景。落ちていく雨を見ながら微笑む彼と、目線も合わせようとせず傘を渡そうとしてくる彼の姿。思い出したら、またいじりたくなってきた。次に会った時にでも、その時の光景について話してみよう。そしたら、どんな反応をするのかな。
そんなことを考えていたら、鏡に映る自分の口元は緩んでいた。笹原はまた小さく息を吐くと、トイレから出ていく。松本はすぐに笹原を見つけたらしく、探すよりも早く彼の方が近づいてきた。
「待たせてごめんね」
「別にいいよ。んじゃ、戻っか」
彼は笑いながらそう答え、二人して皆の元へと歩いていく。人混みを抜け、また端の方へと近づいてきた。人が少なくなってきて、もう少し歩けば皆のいる砂場につく。道行く人はいなくて、皆もうすぐ上がるはずの花火を見るために座っていた。
「なぁ笹原」
「なに?」
「いや、そのさ……さっき西園のことが好きだとか話してたじゃん」
「私は一言も好きとか言ってないし。紗綾が勝手にありもしないこと言ってただけだよ」
あの話題から抜けられたと思ったのに、また掘り返されてしまった。強く否定し、西園のことは好きでもなんでもないと答える。松本は「そっかー」と間の抜けた声を出した。どこか安心したような、そんな声のように思えて笹原は怪訝そうに眉を顰める。
「あのさ、笹原……」
松本が足を止める。あと少し歩けば、皆の場所だというのに。先程からの見え透いた態度、そわそわと落ち着きのない行動。自惚れているわけじゃないが、笹原は自分の容姿がそれなりにいい方だとは思っている。わかってしまうのだ。目の前の男が、何をしようとしているのか。
それがわかっていて、随分と覚めた気分でいる自分に気づいた。けれど彼は気づかない。笹原に向き直り、恥ずかしそうに笑ってから一呼吸置く。そして笹原の目を見ながら軽く頭を下げて頼み込んできた。
「好きです。俺と、付き合ってください」
しっかりと目をそらさずに伝えてくるあたり真剣なのだろうとは笹原もわかっている。けれど、あまりにも心が揺れなかった。自分でも不思議に思うくらい、冷めている。目の前の彼は絵に描いたようなモテ男だろう。それなりに人気があり、サッカー部の部長を務め、女子からは良いなぁという声も聞こえてくる。紗綾だって気があるのではないかと思わせる行動を見せた。それくらい、女子にとってはこの告白自体が貴重なもののはず。
付き合うのなら格好いい人の方がいい。そう思っていたはずなのに。こんなにも、嬉しいとも幸せだとも思えないなんて、私はどうかしている。
松本の真剣さと笹原の気持ちは噛み合わない。自然と笹原は目を逸らしてしまう。
(……あれ、は)
逃げた先に見えたもの。胸壁に座っている二人の後ろ姿。知らない女の子と、見た事のある男の子。くせっ毛で、背もそんなに高くない。猫背で、髪の毛はちょっと長め。そんな後ろ姿が、記憶の中にある彼と重なる。
(垣村、なの?)
手を動かして、何かを食べているようだ。一瞬だけ、彼の顔が女の子の方にほんの少し向けられる。見えた横顔は、間違いなく垣村だ。隣の女の子の顔は見えない。けれど、その後ろ姿は落ち着きがあるように見えて、多分自分とは正反対な子なんだろうと笹原は思った。
(……なんで)
時間がゆっくりと流れている気がしていた。笹原の胸あたりがきゅぅっと苦しくなる。締めつけられているような、棘を刺されているような。今自分は何の感情を抱いているのだろうか。垣村の隣に女の子がいることに対する嫌悪感。女子の中では自分だけが垣村という男の子のことを知っていたはずなのにという、独占欲のようなもの。一番近いのは、それなのかもしれない。
(垣村……ちゃんと、女の子の友だちいるんだ。それも、彼女みたいな関係の……)
普段は地味な服のくせに、今日だけは彼なりに頑張ったんだろうと思える少し明るめの服。本当は、彼は優しい男の子だということを知ってる。傘を貸してくれたり、自分よりも強そうな男の子に立ち向かったり、約束の時間を大幅に過ぎていても待っていてくれたり。その優しさが自分にだけ向けられていたのだと、きっと心の中で思っていた。それは自分にだけでなく、周りにいてくれる人全員に向けられていたんだ。
「笹原……?」
「っ……」
松本が心配そうな声で名前を呼ぶ。中々答えずに、しまいには目を背けたのだ。ダメなのかと思ってしまうものだろう。
どう答えるべきか。松本と一緒にいるのはそれなりに楽しいはず。見てくれもいい。気遣いはそれなりにできるはずだ。率先して、何かしようと提案してくれるだろう。学年の付き合ってみたいランキングを作れば、きっと上位にいるはずだ。そんな男の子に告白されて……どうして、答えられないのか。
格好いい人と付き合いたい。ずっとそう思っていた。その条件を、彼は満たしている。付き合ったとしたら、きっとそれなりに楽しい時間を過ごせるはずだ。手を繋ごうと提案されることだろう。家の前まで送っていってくれることだろう。遅くまでデートして、良い雰囲気に持っていかれ、なし崩し的にいろいろなことをしてしまうのだろう。楽しいはず。幸せな時間を過ごせるはず。そんな予想ができる。
けれども、きっとあの時間だけは手に入らない。無言のあの空間が。手を伸ばせば届く距離なのに、ただ一緒にいるだけで何もしない、あの瞬間が。それでもいい、この時間を長く過ごしていたいと思えてしまったあの状況を、きっと彼とは手に入れることはできない。
(……ここで振ったら、いつものメンバーも気まずくなる。付き合ったら、あの時間はなくなってしまう。単純に考えたら、メリットよりもデメリットが目立つのに。なのに、私は……)
この心の痛みを、無視することができなかった。
「ごめん……付き合えないよ」
また目を逸らす。視界の隅で、彼はまるで振られるとは思っていなかったような顔つきになっている。口がほんの少し開いたまま、笹原を見ていた。唖然と、呆然と。その抜け殻のような状態が動き出したのは、まるで分単位の時間が過ぎたのではないかと思えてしまう程後のことだった。彼の口から漏れ出たのは、いつもの軽快な声ではなく、覇気のない低音だ。
「……なぁ、俺の何が悪いの?」
「悪い、とかじゃなくて……」
「悪くないなら、なんで……っ」
松本が一気に詰め寄ってくる。両手で肩を掴まれ、笹原は目を見開いて彼の顔を見た。今にも泣いてしまいそうな表情だというのに、どこか怒りの感情が垣間見える。
怖い。それだけが笹原の心を染め上げた。肩を掴む手には力が込められていて、痛い。こんなに近くに詰め寄られたのは、二度目だ。一度目は、打ち上げの帰り。あの日、笹原は垣村に助けられた。その光景が思い返される。
(垣村っ……)
心の中で叫んでも、届くはずもない。彼は助けに来ない。仮にここで叫んだら、来てくれるだろうか。いいや、来てくれる。けれども……笹原は声すらあげられなかった。あの日の恐怖まで蘇り、体は強ばって言うことを聞かない。瞳が揺れ、潤う。目じりに涙がたまって一筋右頬を垂れていった。
「あっ……」
涙が流れて、ようやく松本が我に返る。自分が何をしたのか。それを理解した途端手を離して一歩後ずさった。驚愕と後悔で歪んだ顔のまま、頭を下げる。
「ご、ごめんっ。そんなつもりじゃ……」
「もう、いいから……一人にして……」
「っ……ごめん、笹原……」
松本はその場から遠ざかっていく。数回振り向いたが、そのまま皆の元へと向かっていった。濡れた頬を手の甲で拭い、その場から少し移動する。胸壁に座ったままの二人の後ろ側。道路を挟んだ向かい側の縁石に座り込んだ。周りが騒がしくて、この距離では彼らの会話は聞こえない。
いつか垣村に、なんでいつもイヤホンをつけているのかと尋ねたら、『聞きたくもない音を聞かないために、かな』という言葉が返ってきたのを思い出した。周りの喧騒が煩わしくて、聞きたい声が聞こえない。彼の場合は聞きたいものは音楽で、今の自分は……彼の声だ。
(……花火だ)
身を震わせるような振動と音。そして光。綺麗なはずの花火。いや、汚く見えているわけじゃない。ただ、その花火と二人の座っている場所の角度が、偶然いい感じに並んでしまっていて、まるで祝福するように花が咲いていたように思えてしまった。
(なんで、こんなに苦しいの……)
垣村に恋をしていたのか。垣村を好きになってしまっていたのか。それともまだ別の理由があるのか。好きでもないのに、彼を取られたくなかったのか。
心の中はぐちゃぐちゃで、整理がつかない。この気持ちを何と呼べばいいのか、笹原にはわからなかった。
(見てるのも、つらい)
知らぬ間に歯を食いしばっていた。立ち上がって、前へと歩いていく。道路を超え、歩道に立つ。目の前で二人とも空を見上げていた。すぐ後ろにいる笹原に気づく様子もない。
(何やってるの、私)
伸びそうになる手を我慢し、その場を離れる。少し歩けば、砂浜に座っている皆が見えた。松本は男女の間ではなく、端で居心地が悪そうに座っている。紗綾の隣に向かって歩いていくと、途中で気がついて笑いかけてきた。
「遅かったね。トイレ混んでたんだって?」
「あ、うん……人多くてさ」
笹原は無理やり笑う。松本がそう言ったのだろう。なら、無理に真実を伝える必要もない。きっともう、そんなに軽々しく近寄っては来れないだろう。
(……音、すごいなぁ)
耳に響き、心を揺らす。花火が開花した時の音は、笹原を包み込んで全ての音を遮断してくれている気がした。
(……イヤホンをつける理由、私にもわかったかもしれない)
誰だって、一人の世界にこもりたくなるんだ。ただ、ぼーっと花火を眺めていると、上がる度に沸き起こる歓声も聞こえなくなる。どーんっという音だけの世界。何も考えず、音だけを聞く世界。彼の考えが、今更わかってしまった。
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