18話目 夜空の花園
服装に気を使うのは年にそう何度もない。しかし最近、鏡の前に立って格好を確認するのが多くなった。垣村にも人と、それも身なりに意識を向けなくてはならないような友人と交遊する時間が増えたからだ。
デキる男は三十分前には待ち合わせ場所にいるものだよ、と庄司に言われた垣村だが、電車は下り方面。園村は垣村よりも上の駅から下りてくる。先に待っていようにも、そんなことはできない。前から二つ目くらいにいると連絡が来ていたので、垣村はホームの前付近で立っていた。
周りには人が多い。今は夕暮れ時だが、普段昼間だろうと全然人が乗り降りしないのに、こういう時だけは利用者が多かった。それもほとんどがカップルらしく、浴衣を着た煌びやかな女性が目に入ってくる。こんな状況の中でぽつんと立っていると、なんだか変な虚しさが湧いてきた。どうにも居心地が悪い。早く来ないものか、と待ち続ければ……ようやく電車の音が遠くから聞こえてきた。
目の前を通過していき、ちょうど二両目辺りの車両が垣村の目の前で停止して扉を開く。なだれ込む人に紛れるように中へと入り、背伸びして周りを見回した。浴衣や甚平だらけの中に、私服姿が何人か見える。後ろ側の扉付近で立っている園村を見つけることができたのは本当に幸いだった。彼女が浴衣を着ていたら見つけることは困難だっただろう。人混みを掻い潜って移動し、近くにまでいくと彼女も垣村に気づいて小さく手を振ってくる。
いつもの黒縁メガネ。一枚ガラスを隔てた向こう側にある瞳が安心したように揺れる。表情も和らいでいた。こんな大勢の人が乗る電車は、彼女にとって厳しいものだったのだろう。
「見つけられてよかった」
「これで会えなかったらどうしようかと思ってたよ。柿P、ちょっと腕貸してね」
揺れ動く電車の中で、園村は左腕の袖近くを掴む。右手はつり革を掴み、左腕は彼女のせいで動かせなくなる。何もすることができない左手は、宙でゆらゆらと揺れて彼女の服に何度か擦れるように当たった。体に触れたわけではないが、いけないことをしてしまっている気がして垣村は気が気でない。周りのカップルの密着率よりも、園村との距離の近さが気になる。変な匂いはしないか、とか。いらない心配ばかりが考えついてしまう。
「ここから、どれくらいだっけ」
「一時間くらいかなぁ」
「……長いなぁ」
「長いね」
彼女の長いは、電車が辿り着くまで長いねと言ったのだろう。対して垣村は、この状況があと一時間も続くのが長過ぎると思っていた。少し動かせば、電車が揺れた時に彼女の方に体を寄せれば、左手が彼女の体に触れることだろう。柔らかいのか、気になってしまうが……そんなことをして幻滅されたくはない。垣村はじっと堪え、つり革を掴む手に力を込める。揺れてなるものか、と。
「緊張してるの、柿P」
強ばった垣村の表情を見て、彼女は笑う。周りにはいろんな人がいた。その中には、化粧が濃かったり、薄いのに綺麗に見える人がいたり。そんな中でも、園村の笑顔が一番良いと思えたのは身内贔屓のようなものがあるせいだろうか。
「人混みは、ちょっとね」
「あはは、私もそう」
小声で話す内容はカップルのものではない。それなりに気の許せる友人程度の間柄。方や創作者で、方やそれのファン。垣村は顔が割れていないちょっとした有名人ではあるが、それでもこれは稀有なことだろう。
前に遊んだ時は彼女はスカートではなくズボンだった。けれど今の彼女は、膝丈くらいの黒いスカートと対照的な白のシャツの上に薄い茶色の上着を羽織っている。スカートをはくのはあまり好みじゃないと話していた記憶があったが、どうしたのだろうか。横目で見ていると、彼女も見上げるようにして垣村の肩を優しく叩いてくる。
「ねぇ柿P、言うこととかあるんじゃないかなー」
「なにか、あったっけ」
「柿Pってギャルゲーとかやらないの?」
「……あぁ、そういうことか」
納得したように小さく頷いて、顔を半分ほど彼女に向ける。真正面から見て伝えられるほど、垣村に根性はない。そんなことは彼女もわかっていることだろう。
「園村さん、その服似合ってますね」
「んー、言われてみたかったけど、いざ言われてみると……なんかちょっと恥ずかしいね」
「恥ずかしいのはこっちだよ……」
周りの視線が気になる。小声とはいえ、近くにいた人には聞かれていたことだろう。互いに少し顔を赤くして黙りこくる。そのうち園村が「良いこと思いついた」と言ってショルダーバッグから携帯とイヤホンを出す。左耳のイヤホンを垣村に。右耳のを彼女がつけると「なんでもいいよね」と聞いてきた。頷くよりも早く、イヤホンから音楽が流れ始める。ボカロやアニソン。まぁ、下手にラブソングを流されるよりも気分的に楽だ。
そのまま二人でイヤホンを共有したまま、電車は目的地へと向かっていく。何度か左腕を握り直してくる彼女の行動に、もどかしさとむず痒さを感じながら、狭苦しい中でもゆったりとした時間を過ごしていった。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
花火大会の開催される最寄り駅は、二人が着いた時には既に人で溢れかえっていた。垣村はあまり来たことはないが、その時の記憶は人をあまり見かけない風景だ。海が近く、別荘が建てられていたりする場所だが、こと花火大会に限っては砂浜は砂の代わりに人で埋め尽くされ、道路は辛うじて一人くらいなら割り込める程度の空きしかない。家族で来ることはあったが、友人となんて来たことがない垣村は、足を前に出すのが億劫に感じてきていた。駅から出たくない。けれども、園村はそうではないらしい。
「柿P、端っこの方は人少ないらしいよ!」
「なら、そこにしようか」
「あとは、何か適当に……じゃがバターとりんご飴と、カステラもいいなぁ」
「園村さんはよく食べるね」
「今はこうだけど、昔は……ね? 食べるの大好きな女の子だったからさ」
ふくよかな体型だった彼女は中学時代のイジメによって体重を激減させた。努力で得たものではないし、痩せていることを誇らしく思えるわけでもない。自分の幸福を掴み取るために努力した彼女は、食べる幸せも逃したくはないのだ。食べられる時に食べる。食べたいから食べる。一緒に歩きながら屋台を見ては「焼きそば……お好み焼き……どうしよう柿P、食べきれないよ!!」と頭を悩ませていた。微笑ましくて垣村も笑ってしまう。
「食べきれなかったら家で食べればいいんじゃない?」
「その場で食べないと、屋台っぽさとかなくなるし。それに……値段と美味しさが噛み合ってない気がしない?」
「屋台の品物ってどれも高いからね。それでも買っちゃうけど」
「だよねー。場の雰囲気っていうのかな」
とりあえず片っ端から見て周り、袋の中が溢れてしまいそうになるくらい食べ物を買っていく。片手で持つには重たそうだ。これは持ってあげるべきなのか。垣村は考えながら隣を歩き、意を決して彼女に尋ねてみる。
「袋、持った方がいい?」
「そこは、さっと自然に持っていくのが好感度上昇すると思わない? ほら、貸せよみたいに」
「園村さん。目の前にいるのはギャルゲー主人公じゃなくて根暗なボカロPだというのを忘れないで」
「いやギャルゲーとかじゃなくても……普通、男の子ってそんなもんじゃないかなって」
「男の子だからって考え方は、あまり好きじゃないかな。女の子だからってのもあれだけど……そもそも、園村さんが重たそうに持ってると周りからの視線が痛い」
「柿Pは気にし過ぎだね。わからなくもないけどさ」
園村が「はいっ」と袋を差し出してくる。受け取ってみるが、片手で長い間持っていたら疲れてしまいそうだ。彼女から「ありがとう」と言われてしまえば、面倒だとは思えなくなってしまったけれど。
一番人の多い中央付近を歩いていると、向かい側からやってくる人のせいで垣村と園村が分断されてしまいそうになる。慌てて園村が垣村の袖口を掴むことではぐれずに済んだ。掴まれた時はまたヒヤッとしたものだが、電車の中で腕を掴まれていた時に比べたら優しいものだった。それでも恥ずかしさが拭えないけれど、彼女もきっと恥ずかしがっていることだろう。これは離れないようにする処置であり、決してやましい意味などはない。そう心の中で決めつけ、二人は前へ前へと進んでいく。
「ねぇ柿P、後で写真撮らない?」
「SNSに載せる気?」
「柿Pなうって呟いたらバズりそう」
「顔出しNGなんだからやめてよ。それに、顔が写った写真を載せるのは好きじゃないんだ」
「柿Pってそこら辺しっかりしてるよね」
「ネットを使うのならルールを守る。ネットリテラシーがない人はちょっと危険だよ」
使うものに振り回されたら元も子もない。園村は「しょうがないかー」と言って、適当に携帯をいじり始める。おおかた「友だちと花火なう」とでも呟いているのだろう。女子高生とはそういうものだ。近頃は男子高校生もやっているのを見かけるが。
男子高校生で、ふと思い出す。この花火大会は他県でやるわけじゃない。当然垣村の高校に通う生徒も足を運ぶ確率はかなり高いのだ。周りに知人がいたらどうしよう。彼女と一緒に歩いているというだけで話のネタにされてしまいかねない。周辺を目線だけ動かして探ってみるが、それらしい人物は見つけられなかった。
「園村さんは、自分なんかと一緒に花火大会来て良かったの? 学校の人に見られたりしたら迷惑じゃない?」
「柿Pと一緒にいることの何がダメなの?」
「いやだってほら……」
顔は良くない。髪の毛も整っていない。服も彼なりに気を使ったが街中で見かける格好いい服ではない。高校生にしては地味な印象を与えがちだ。そんな人と一緒にいれば、園村の評価も下がってしまうのではないか。そんな心配事が浮かんでくる。けれども、それを聞いた彼女は笑わずに問い返してきた。
「それの何がダメなの?」
「園村さんは、ほら。それなりに学校でも人気がある方なはずだし。そんな人と俺が一緒ってのは……」
「あのね、柿P」
隣を歩く彼女は歩くスピードを落とさないまま、一瞬だけ黙りこくる。真正面から彼女を見ているわけではないので、どれほど真剣な顔をしているのかはわからない。でも、垣村の服の袖を掴む手には力が込められている。
「どうでもいいよ、そんな人」
突き放すような言葉。けれども刺々しさはなく、芯のある言葉だった。垣村が庄司と話している時にも時折感じる、言葉の重さ。しっかりと考えた上で、自分の意思を伝えてくるからこそ感じられるものだ。思わず垣村は息を飲んでしまう。
「私は周りからの評価が悪くて、イジメられてきた。だから私は、そうなりたくない。人を見た目とかで評価したくない。もし仮に柿Pと一緒にいることで私の評価を下げる人がいるなら、そんな人どうでもいいよ。私は私のしたいように生きたいから」
彼女の言葉が垣村の心に突き刺さる。その言葉が嘘偽りではないというのがわかってしまう。真剣っぽいからとか、場の雰囲気でとか、そんなものではない。ただただ重たいのだ。その言葉が、ふくまれる意味が。
彼女と同じように考える人を知っている。少し前まで垣村にとって唯一の友人だった男、西園だ。彼は自分のしたいようにできないのは嫌だと言っていた。だから垣村の隣にいるのだと。見た目で評価せず、その行動を見て隣にいようとした。彼女と西園は似ているのだ。
「……強いね、園村さんは」
「そうでしょ? でも、強くなれるきっかけをくれたのは、柿Pだよ」
笑ってくる彼女に対して、照れくさそうに顔をそむける。垣村は周りの目を気にしてしまう男の子だ。それでいて自分に自信もない。今だってクラスの誰かに見られていないか不安に駆られてしまう。だから目の前の女の子が羨ましくて仕方がなかった。
周りの目を気にしない西園と園村。気にしてしまう垣村。ならば、笹原はどうなのだろうか。今までの行動からしてかなり気にするほうだろう。トップカーストでも園村と笹原には違いがある。前に庄司に言われたように、関わったからこそわかったことだ。ロクに知りもしないで一方的な決めつけで悪だと断じてしまうのは、良くないことなのだろう。垣村はここ数日でそれを学ぶことができた。
「人少なくなってきたね。あの辺とかどうかな?」
端の方までやってこれたらしい。園村の指さす場所は砂浜と道路とを隔てる胸壁。何人か座っているが、間隔を開けて座れるくらいにはスペースがある。それでいいだろうと、二人は並んで座り、買った食べ物を口に入れていく。垣村が焼きそばを食べながら、横目で彼女を見てみる。お好み焼きを切り分けて口に運んでいく彼女の顔は、幸せそうに笑っていた。口端についたソースを、舌でチロッと舐めとっていく。可愛らしいと思ってしまえば、そんな女の子と一緒にいる事実も相まって体温が上がってしまう。買ったお茶を飲んで落ち着こうとしたが、どうにも効果はない。
「柿P、いつ花火上がるかな?」
「もうそろそろだと思うよ……あっ、ほら」
海の遠くで船が何隻か移動していた。そしてそこから、花火が上がっていく。白のような黄色の玉がゆらゆらと動きながら上昇していき、やがて身を震えさせる程の音を出しながら花火を開花させる。次々と打ち上がる、花火たち。赤、青、緑、黄色。花の火で花火と呼ばれるように、まさしく空は開花した花畑のようだった。
「うわぁー、綺麗。このどーんって音いいよね!」
「わかる。煩いだけの音のはずなのに、不思議と嫌だとは思えない。この音は……心地いいよね」
「あははっ、曲でも作ってみる?」
「……なんだか、できそうな気がする」
「本当っ!? じゃあ約束ね。ちゃんと作って、聞かせてよ柿P!」
小指を差し出され、垣村もそれに合わせる。彼女が明るい声で「指切りげんまん」と言うが、その声も花火の音でかき消されていく。それでも交わされた小指は確かに約束を結んでいった。
耳を揺らし、心を揺さぶる。どーんっ、どーんっという花火の音。大の大人が太鼓を叩くよりも、気持ちがいい音だ。
夜空に咲いた花園を、二人一緒に見に耽ける。僕と君の鼓動を、音が一律に揃えていく。交わされた約束を果たすために、何度でもこの景色を思い出すんだ。
「……柿P、いいフレーズでも思いついたの? 笑ってるよ」
「ん……悪くはない、かな。照れくさいけど」
少しずつ前に進めている感覚はあった。不安なことはまだまだ沢山ある。もし仮に、あの雨の日に笹原に傘を渡していなかったら。きっとこうはならなかったんじゃないかとすら思えていた。自分が前に進めているのは、人との関わりがあったからだ。きっと、そうだ。人と関わるのは怖いし、苦手。それでも、少しずつ頑張らなきゃいけない。
成長できたといえば、隣にいる園村の功績も大きいのだろう。垣村にとってはもう既に気の許せる友人だ。けれど、二人でこうして花火を見ていると、なんだか特別な関係じゃないのかと錯覚してしまいそうになる。手が重なり合いそうな距離。花火が終わるまで不思議と会話はなく、終わったあと二人で顔を見合わせてはぎこちなく笑いあった。多分考えていたことは二人とも同じなのだろう。
「花火が終わるとさ、夏も終わりなんだなって思えちゃうよね」
「……あぁ、そうだね。夏休みも、あと少しだ」
「憂鬱?」
「学生だし、皆そうでしょ」
「それもそうだね」
他愛ない話をしながら帰路につく。駅は来た時よりも込み合っていて、自然と二人の距離が縮まってしまう。電車の中で座ることもできず、立ちっぱなしになってしまうが……園村は彼の腕を両手で掴んで揺れないようにしていた。昼間よりも接触面積が広い。女子って柔らかいんだなと思いながらまた二人でイヤホンをつけ、曲を聴きながら帰る。流れてくる最近話題のラブソングのサビが、嫌なくらい垣村の耳に残り続けていた。
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