17話目 外見よりも

 居酒屋。塾の帰りに待ち伏せしていた庄司に連れられ、垣村はまたこの場にやってきた。相変わらず庄司のスーツはよれているし、やる気のない顔つきもいつものことだ。ネクタイを緩めながら「つっかれたー」と言って体をぐっと伸ばす。いつからか垣村の携帯には彼の連絡先が入っていた。『今日暇ー?』なんて、まるで学生同士のやり取りのようなメッセージが時折届いてくる。


「さぁーて、また焼き鳥とビールを……そういえば、カキッピーはあれから進展あったの?」


「進展と言われても。二回くらい、出かけた程度でしょうか」


 注文を頼みながら、垣村の身の上話を展開していく。あれから笹原と二度出かけ、タオルも返してもらった。そして園村とも数回一緒に出かけたことがある。カラオケに行ったり、本屋に行ったり。目の前で自分が作曲したものを歌われると、どうにも恥ずかしくて仕方がなかったのを思い出す。彼女との間柄は気兼ねなく遊べる友人感覚だった。


 笹原の方はどうなのかといえば、それなりに楽しんではいた。だが、時折笹原は周りの目を気にするようにキョロキョロとすることがある。垣村もわかってはいることだが、知り合いに会いたくないのだ。それ故に、気軽に遊ぶというのは中々に難しかった。


「ふーん、園村ちゃんねぇ……。カキッピーと同じオタッキーなんだっけ」


「オタッキーって……別に、そんな酷くはないですよ。園村さんは自分とは違って、ちゃんと前を向いて努力できる人です。いつまでも陰気臭い自分よりも、ずっと強い女の子ですから」


「おっとサブヒロイン登場にまさかの評価どんでん返し。サブヒロインがヒロインを追い越してしまうのか……!?」


「あの、どっちもただの友人みたいなものなんですけど」


 庄司は目の前で生きている青春動物が面白くて仕方がない。垣村は確かにコミュニケーションは得意ではないし、初対面相手に自分から話していけるような性格でもない。けれども、そんな彼のとる行動や周りの反応がとても愉快だった。予想の斜め上か斜め下。青春を過ごす彼らのやきもきした関係。それらを聞きながら、運ばれてきたビールを飲む。中々に至福の時間だった。


「……そういえば、庄司さん」


「なんだいカキッピー」


「格好悪い……見栄えが良くないのは、やっぱりダメなんでしょうか」


 夏休みに入って初めて笹原と遊んだとき。彼女は執拗に、この服を着れば格好よくなるだとか、眼鏡をかければ見栄えが変わるとか、髪型をもっと短めにしてワックスをつけてみる、とか。何かと垣村のことを変えようとしてきた。垣村自身、容姿に自信があるわけじゃない。彼女の言葉がただの善意からくるものであったのなら、それなりに聞き流せただろう。しかし、その露骨さに気がついてしまえば……どうにも正面からは受け取れない。


「笹原さんと自分が並んでいるのは、不相応だってわかってます。だからきっと、彼女は見栄えを良くしたがってる。誰かに見られても、恥ずかしくないように」


 自分で口に出してみると、心臓がずきりと痛んだ。苦々しく顔を歪める垣村を、庄司はじっと見つめている。


「自分は……外見より、心を見てもらいたい。それは、いけないことなんでしょうか」


 見栄えの悪い外見よりも、垣村の人間性を見て欲しい。外見よりも中身が大事だと、誰かは言う。その言葉通りであったらいいと、垣村は何度も思ってきた。けれど……その言葉を言う人は決まっている。容姿に優れた人が、決まってそう言うのだ。


「そりゃあ、難しいねぇー。うん、ぶっちゃけ無理だよ」


「……ぶっちゃけますね」


 いつものようにニヤニヤと笑いながら、歯に衣着せぬ彼の言葉に、やっぱりそうだよなと垣村は少しだけ落胆した。わかっていても、少しは肯定してくれるかなと期待していたから。


 庄司は焼き鳥を頬張り、ビールを飲んで一息つく。そして垣村に焼き鳥の串を向けながら、いつにも増して真剣な顔で話し始めた。


「人は見た目が何割だのって、よく言われるね。けど実際そんなもんよ。目に見えるものと、見えないもの。どっちを信じるのかって言ったら、そりゃ見える方に決まってるよねー。だって事実だもの。人の心なんて、簡単にうつろって変わるし、騙すことさえ簡単さ」


 向けた串をゆらゆらと揺らしながら、垣村の心を抉るように言葉を吐いていく。頼んだコーラをちびちびと飲みながら、垣村は自嘲するように笑った。彼の言葉は正しい。目に見えるものこそ信じるべきで、透明なものほど掴み難い。容姿に優れた人が有利に生きることができ、そうでない者は茨の道を歩くことになる。


「人は心よりも見た目。論より証拠と同じさ。いくら僕の心は素晴らしいんだーって叫んだところで……じゃあ証拠はって言われちゃおしまいよね。例え人に見えない場所で良いことをしても、自慢げに話した途端その価値は暴落する。どう足掻いても、容姿が優れた人が有利なのは変わりないことだよ。容姿の優れた彼らは、見た目で判断されない。だから心や行動を見てくれる。対して、優れない人。見た目でマイナスされたら、その後ずーっと引きずられるのさ」


 いつも細い目つきは更に細くなる。言葉は軽くとも、その質が重く感じた。その言葉ひとつひとつが、確かに垣村の脳内を刺激していく。容姿がいいからプラスなのではなく、ダメだからマイナス。スタート地点で前に出ているのではなく、むしろ自分はスタート地点に立ってすらいないのだと言われてしまった。


 容姿が良ければ人が寄ってくる。そうすれば性格も、心も見ることができる。人に寄られない、寄せつけようともしない垣村にはそれはできない事だった。


「でもねカキッピー。そんな容姿に優れない人でも、心を見せることはできる」


「……どのように、ですか」


「そりゃもちろん、関わるのさ。人という字が支え合ってできてるって金パッチが言ったように、人ってのは関わりあわなきゃいけない動物なのさ。そうすれば、誰かに見てもらえる。大切なのは、コミュニケーション能力ということだね」


「それは、無理難題ですね……」


 人と接するのが苦手な垣村には、それは酷なことだった。けれども、そうしなきゃいけないんだろうなと納得はしている。関わることがなければ、庄司はただのだらしないオジさんだったことだろう。笹原は、嫌なトップカーストでしかなかっただろう。園村は容姿に優れた女の子だとしか思えなかっただろう。西園が実は周りの態度をかなり気にするタイプだとは気づかなかっただろう。


 そう、結局は関わらなきゃいけない。とても難しいことだけれど。容姿に優れない段階で、自分に自信が持てなくなってしまう。だから、話しかけることすら難しい。煙たがられるのではないかと思えてしまう。だとしたら、そんな人はどうすればいいのか。


「どうしても、自信が持てなくて話せない人は……どうすればいいですか?」


「うーん、これは最近聞いた話なんだけどねぇ……」


 先程までとは打って変わって、ニヤニヤと笑い始める。真剣モードは途切れたらしい。それでも、何か伝えてくれることがある。もしかしたらそれが、自分の在り方を変えてくれるかもしれない。微かな期待を込めながら、垣村は彼の言葉の続きを待つ。中々勿体ぶるように、庄司は残っていたビールを呷ってから答えた。


「モテない男は自家発電して死ね、だってさー。あははははー」


「笑い事じゃないんですけれど、それ……」


 期待していた自分を殴りたくなる。彼の真剣な雰囲気が途切れた段階で、まともな答えを期待するべきじゃなかった。小さくため息をついて、垣村もコップに残ったコーラを飲み干す。酒でも飲んで酔っ払ってみたい。垣村は目の前で顔をほんのりと赤くしている庄司を見て、そう思ってしまった。


「まぁまぁ、そんなに落ち込んじゃダメだよー。まだ時間はあるんだから。変わりたいと思った時に、変わればいい。少なくともオジさんはカキッピーのこと知ってるし? 何かあったら叫んであげよう。カキッピーは女の子相手におどおどするけど根は優しい男の子なんですよーって」


「本気でやめてください」


「校庭の中心で愛を叫ぶ! 本命はギャル子、それとも真面目ちゃん? 二ヶ月後に、乞うご期待!」


「やりませんから、絶対に」


 庄司は酔いが回ってきているらしい。やかましいと思いながらも、これほど自分について相談できる相手はそういない。両親でさえ、ロクに話をしないのだから。


 欲しいものは買ってもらえるし、学校にだって行かせてくれる。けれども、垣村の両親は日々忙しなく働いていた。家族で出かけるというのは、本当に少ない。だからこそ、自分が働くことで少しでも楽にしてやりたい。そのために、自分は何になればいいのか。未だに将来のことは決まらない。


 それでも……最近、また音楽を作ることに対して意欲が湧いてきていた。それはきっと園村と出会えたからだろう。彼女の真摯な言葉のおかげで、垣村の作曲することからの逃避はなくなった。前よりも良いものを。それは創作者として当然のこと。けれど、とても難しいことでもある。挫折して、作れなくなって。けれどもまた、諦めずに手を伸ばそうとしている自分がいた。まだ続けてみよう。垣村はボカロPとしての自分を捨てずに、また歩き出していた。


「……見た目で判断されない世の中に、ならないものでしょうか。大手を振って、ボカロPであることを宣言できるような、そんな世界に」


「まぁ難しいだろうねー。少数派は、疎まれる運命さ。日本人だからね」


 多数派でいることを好む。多数派であることに安心する。日本人とはそういうものだ、と庄司は言う。その言葉には頷くしかない。垣村もそうだから。少数派であるから、高らかに宣言することもできない。誰かに伝えることもできない。ハンドルネームの柿Pでなくては、顔も年齢も名前も知らない誰かでなくては、発信することができないのだ。チヤホヤされたいわけではない。すげーって言われたいわけでもない。ただ、そうなのかと認めて欲しいだけ。


 承認欲求。自己肯定。誰でもない、紛れもなく自分自身で、ただ一人の代わりがいない存在になりたい。自分の存在意味を、存在意義を持ちたい。だからこそ、また今日も家に帰れば垣村はパソコンを触る。音を奏で、言葉を綴り。世界に二つと無い、垣村にしか作れないものを作る。


(……音楽、か。それも、いいのかもなぁ)


 趣味を仕事にするのは良くない、と言われる。けれど、楽しくないことなんて続かない。苦しいことなんて続けたくもない。だとしたら、今自分が続けようとしているコレは……一体どうなのだろうか。日がな一日、ただその事だけを考えて生きていたら。それはそれで、いいのかもしれない。少しだけ、薄暗い未来に光明が見えた気がした。


「そういやぁカキッピー。そろそろ花火大会があるじゃない。笹原ッチと行くの?」


「いいえ、笹原とは行きませんよ。っていうか、花火大会で女子と回るだなんて難易度が高い……」


 そこまで言うと、突然垣村のポケットから短い音楽が流れ始めた。メッセージの着信音。西園か、それともスパムの類か。いざ取り出して確認してみると……最近メッセージを送り合うことが多くなった人物から、意外な内容が送られてきていた。瞬きの回数が増えた垣村を見て、庄司は「ははーん、女の子かー?」と彼の隣にまでわざわざ移動してきて携帯を覗き込んでくる。


 イヤホンをつけた、デフォルメされた猫の画像。それは園村 詩織の連絡先。彼女から送られてきたメッセージは、たった一言。


『花火大会に一緒に行きませんか?』


 タイムリーな話で、思わず声を上げそうになる。女子からのお誘い。しかも花火大会。まったく思ってもいなかった事態だ。垣村がぎこちなく庄司を見上げると、彼はいつもよりニヤニヤと笑いながら見ていた。


「ひゅー。いいねぇ、女の子と花火。夜空に咲く花、カップルだらけの現地。思わず恥ずかしくなって手と手を取り合う二人……」


「ぁっ……ぇ……」


「あらら、カキッピーったら予想外すぎて思考が追いついてないや」


 肩を軽く叩いてから庄司は元の位置に戻って「まぁ楽しみたまえよー少年ー」と楽しそうに笑っていた。一方垣村は女子に花火大会に誘われたという事実に戸惑ったまま、手を動かすことができずにいる。女子と二人きりで花火はかなりレベルが高い。相手が園村ではあるが、それでも女子だ。ちょっとしたオタク特有の話をしても会話が途切れることはないが、難易度が高いことには変わらない。


 どう返事をするべきなのか、数分悩む。そんな彼の頭の中で繰り返されるのは、庄司の言っていた言葉。関わりあわなきゃいけない動物、それが人間だと。変わりたい時に変わればいい。別に現状不満を抱えて爆発しそうというわけではないが……それでも、何か変わることができたのなら。少しでも、人と関わってみよう。垣村は彼女に、いいですよと文字を打ち込んでいく。無様に指が震え、心臓は走っている時のように暴れだしていた。


 こんな自分を誘ってくれた。そんな彼女のためにも、ちょっとだけ頑張ってみよう。返事をした垣村の顔は薄らと赤く、けれども瞳だけは揺れ動くことなく彼女へのメッセージを見つめていた。

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