15話目 待ちぼうけ

 朝からそわそわとどこか落ち着かない垣村は、鏡の前で何度か服装を確認してから家を出た。とはいっても、ジーパンとシャツの上に適当に黒系の上着を羽織ったいつもの格好だが。昼食を家で食べてから駅に向かい、バスに乗って大きなショッピングモールへと向かう。入口のすぐ側には座れるような場所があり、そこが待ち合わせ場所だった。集合時間は二時。なんとか十分前には着くことができた。


 携帯を開けば、笹原とのトーク画面が映っている。夜中に通知が来て何かと思えば……それがまさか笹原からの遊びの誘いだとは、垣村はまったく思ってもいなかった。『笹原 唯香さんがあなたを友達に追加しました』と表示されたときは、何かのバグかと思ったほどだ。最後に彼女と別れた時は、随分と不機嫌だったはずなのに。


(……まさか、笹原さんが誘ってくるなんて。けど、よりによってここか)


 見渡す限りの人、人、人。家族連れ、カップル。それらが入っていく店は、垣村にはまったく馴染みのない服屋や靴屋。夏物の半袖で涼しそうな服がショーウィンドウに飾られている。中に入るのを躊躇うくらい、垣村にはこの場所が合っていないと感じていた。お金のない高校生が来る場所じゃない。


 とりあえずは日陰の椅子に座りながら、笹原が来るのを待つ。誘われたときはどうしたものかと思っていたが……女子から誘われるということ自体が初めてで、ほんの少し期待してしまったのも事実。最近何かと絡みが多かったのもあり、何かしら得られるものもあるだろうと遊ぶことを決意した。その後ショッピングモールに行くと聞いて、体のいい荷物持ちに選ばれたのだと若干は落胆したが、それはそれだ。垣村が女子と遊ぶのは事実。庄司にも言われたことだ。過ぎたことは変わらない。決定したことは覆らない。だから少しは喜んだっていいだろう。


 蝉の音が少々鬱陶しく感じる時期になり、暑さも増したが……それでも外に出ていいだろうと思う程度には楽しみにしている。夏休みに入って笹原との接点はゼロだ。夏期講習が終わって帰る時に、何故か庄司に捕まることは多々あるのだが。


(あの人、まさか待ち構えてるんじゃないよな)


 居酒屋に連行されては、笹原との関係を根掘り葉掘り聞いてくる。最近は喫茶店で会った園村の話をして、そのついでに自分の趣味についても話してみた。もちろん、庄司は垣村を笑うなんてことはせず、その場で曲を聞くという公開処刑に近い仕打ちをされたが。「良い音楽じゃない。オジさんには内容は合わないけれど」と言われたが、それでも十分に嬉しい感想だった。


(……笹原さん、遅いな)


 もう既に二時は回っている。どうやって来るのかを垣村は聞いていなかったが、現地集合だというならそれなりに家が近いのかもしれないと思っていた。それに、女性の支度は大変だという話も聞く。多少遅れるなんてこともあるだろう。トップカーストなら、例えば松本ならば「いやぁーごめん、遅れたわー」と頭を掻きながらやって来るに違いない。もうしばらく待ってみようか。


(……暑い。それに、周りの目がキツイな……)


 周りの人が垣村をどう見ているのかは知る由もないが、それでも垣村は周りの視線が気になって仕方がない。こんな根暗そうな男が一人でずっと同じ場所にいたら、変に思われることだろう。ボッチでここに来たのかな、とか。待ち合わせすっぽかされたのかな、とか。行き交う人たちがそんなことを思っている気がして、どうにも垣村は落ち着かなかった。イヤホンをさす気にもなれない。


 連絡を入れてみようか、とも思ったが……指は止まってしまう。催促するような話をしたら、楽しみにしているのだと思われてしまうかもしれない。ただの荷物持ちとして呼ばれているくせに、と。


 日陰にいても、気温が垣村の体力を尽く奪い去っていく。もう少し待ってみよう。あとちょっと待って、来なかったら連絡してみよう。まだ、あともう少し……。時間を気にしながら最近また手をつけ始めた作曲のことを考えていると……とうとう一時間過ぎてしまっていた。笹原からメッセージは送られてきていない。


(……バカバカしいな、これじゃ。勝手に舞い上がって、期待して、落胆して。アイツらはそういう連中だって知ってたはずなのに。これは罰ゲームか何かで、きっとその辺から見て笑っているんだろう)


 垣村が中学の頃、罰ゲームで告白したり、イタズラしたりなんてのはよくあったことだ。当然、やっていたのはトップカースト。やられていたのは垣村のようなカースト下位の生徒だ。幸いにも垣村は標的にならなかったが、大柄でおっとりとした生徒がやられて、次の日にはクラスどころか学年で話題にのぼっていた。これもきっと、その類なのだろう。最近は自分の立ち位置を誤解してしまうような出来事が多かった。だからきっと、こうもあっさり騙されてしまうのだろう。


 苛立ちを感じるよりも、落胆の方が大きかった。それだけ、垣村は楽しみにしていた。一応笹原に連絡を入れてみたものの、返事どころか見られてすらいない様子。更にそこから十数分待ってみたが、笹原が現れる様子はない。自分は騙されたのだ。いつまでも幻想を夢見るな、と叱責して立ち上がろうとしたところで……見慣れた人物が視界に入ってきた。白と灰色のストライプのシャツに、黒色のチノパン。けれどよく見てみると、ズボンは若干よれている。だらしなさを感じさせるその風体は、庄司であることを明確にさせていた。庄司も垣村に気づいたのか、へらへらと柔らかい笑みを浮かべながら近づいてくる。


「やぁーカキッピー! こんなところで会うなんて奇遇だねぇ。買い物かい? オジさんでも中々手を出そうとは思わないよー、ここ」


「いや……まぁ……」


 煮え切らない返事をするときは、何か隠し事がある。庄司にはそれがわかっていた。垣村は対人経験が少な過ぎて、差が顕著に出る。垣村と過ごした時間はそれなりに多い。接し方も年の離れた孫や従兄弟といったところか。何か悩み事があるんだろうと察知し、庄司は彼の近くの椅子に腰を下ろした。


「ショッピングモールに男一人は中々キツイものがあるんじゃない? まぁ、オジさんくらいになると痛くも痒くもないんだけどねー」


「……庄司さんは、買い物ですか?」


「んー、ここのフードコートにあるラーメン屋が美味いんだなこれが。それ目当て。あとついでに帽子も買ってみた」


 カバンの中から袋を取り出すと、中に入っていた白と黒の縞模様のキャップを出して被った。シャツといい帽子といい、庄司はストライプが好きなのだろうか。自分には似合わないなと垣村は思いつつ彼を見てみるが……なんと言えばいいのか。絶望的に似合わないのに、しっくりくる。不思議だ。顔に合わないけど雰囲気に合うと言えばいいのか。伝えようにも伝えられない。垣村は「あぁ……まぁ、いいんじゃないですかね」と苦笑いを浮かべて返す。


「おっと、そう思う? いやー、店員さんもカキッピーと同じように笑いながらお似合いですよって言うもんだからさー。思わず買っちゃったよー」


 似合わないなら別のヤツを勧めろよ、笑顔じゃなくて苦笑いじゃないか、と垣村は顔も知らない店員に向けて苦言を漏らす。この人本当に大丈夫だろうか、色々と。自分の気持ちと拮抗するくらい庄司への心配が大きくなりかけていた。「まぁそんなことより……」と庄司は買ったばかりの帽子を手で弄りながら話を切り出してくる。


「カキッピーはどうしたの? まっさか一人でお買い物?」


「……待ち合わせ、していたんですけどね。連絡も来ないし、多分すっぽかされたんでしょう」


 言葉にするには辛く、苦い。さすがに垣村も無表情を保つことはできなかった。「あらら……そりゃまた……」と庄司も苦々しく顔を歪める。


「こんな純情ボーイを悲しませるなんて、いけない子だねー。待ち合わせからどれくらい経ってるの?」


「一時間半は過ぎてます」


「うん、ごめん。オジさんでも会社にそんな遅刻しない」


 遅刻はするのか。そう思うが、言葉にはならない。ツッコム気力もないようだ。この暑さの中待ちぼうけをくらってしまえばそうなってしまうのも無理はないことだろう。


 庄司も顔を歪ませていたものの、しばらくすればいつものへらへらとした軽い表情へと戻った。そしておもむろに立ち上がると、近くの自販機まで歩いていって缶珈琲を二つ手に持って帰ってくる。片方を垣村に渡して、自分の分を少し飲んでから話し始めた。


「にがーい経験しちゃったもんだねぇ。相手に何があったかは知らないけどさ」


「……トップカーストって、そんなもんでしょう」


「カースト以前に人間性の話な気がするけどねぇ……まぁ、おかげでわかったことがあるからいいじゃない」


「女子に誘われて舞い上がって勝手に落胆する阿呆がここにいることですか」


「いやいや、違うったら」


 棘を感じさせる垣村の言葉に特に苛立ちも何も感じていない庄司は、ただいつものように笑いながら右手でぎこちなく垣村の頭を撫でつけた。


「カキッピーはちゃんと約束を守れて、時間を過ぎても待ち続ける優しくてお人好しな男の子だってこと」


「……お人好しって、あまりよくないですよ」


「何事も捉え方は前向きに。それが生きるのに役立つスキルだよー。今回の失敗は、君の人間性を確かめさせるものだったのさ」


 だからめげることはない。そう言ってくる庄司に対して、垣村は何も言えない。缶珈琲を開けて、喉の奥へと流し込んでいく。苦い。苦渋を舐めるとはこの事か。


 ただ……それでも、隣にいる庄司の優しさが多少なりとも垣村の心をなだめたのは事実だ。垣村は強い男の子ではない。本質的に弱く、周りから怯えるような子だ。傷ついていたところに差し出された優しさは、垣村の心を揺さぶる。気がつけば、泣きそうになっていた。必死に堪えるその姿を、庄司はただじっと見つめている。何か元気づけられるものはないかと視線を逸らしたところで、歩き回る人混みの中を慌ただしく走り回る人物を見つけた。


「……おやおや? もしかして、アレがそうじゃない?」


「……えっ?」


 何をそんなバカなことを、と言いかける。庄司の指差す方を、仕方なく垣村は見てみた。そして目に入ってくるのは……この炎天下の中、必死に走っている女の子の姿だ。白を基調とした半袖のシャツに、七分丈のジーンズ。明るい黒髪が走っているせいで大きく揺れている。


「……笹原、さん」


 いや、まさか。本当に遅れただけだというのか。どうしたものかと庄司さんに意見を貰おうとしたら、振り向いたそこに彼の姿はない。いつの間に、なんて思っていたらもうすぐそこにまで笹原は来ていた。垣村を見つけたらしく、どこかホッとしたような顔で近づいてくる。息を切らし、肩が上下に動く。垂れ流される汗は、彼女が本気で探していたのだと実感させられた。


 すぐ目の前まで走ってくると、膝に手をついて息を整えようとする。そしてまだ完全に整っていないのに、頑張って顔を上げて垣村を見上げてきた。


「ご、ごめん、垣村っ。遅れ、ちゃって……」


「あっ……いや、平気、だけど」


「松本たちに、会って……なんとか一人で来ようとして、バスも過ぎちゃってて……携帯も、充電が……」


「わかった。いいから、休もう」


 カバンから黒いタオルを取り出して、彼女に渡した。拒むほどの余裕もないらしく、何度もはぁはぁと苦しそうに呼吸をしながら、先程まで庄司が座っていた椅子に座り込んだ。そのまま体を前に力なく倒して、ぐでっとしたまま動かなくなる。首に巻いたタオルで何度も顔の汗を拭きながら「ごめん、ごめん……」と呟いていた。そんな態度を取られると、垣村も何も言えなくなってしまう。


 それに、松本たちに会ったと言っていた。一人で来ようとしてとも言っていたし、からかわれるのが嫌だったのだろう。自分といたら炎上間違いなしなのは目に見えて明らかだ。それでも、なんとか必死に約束を守ろうとしたのだろう。口元をタオルで隠し、項垂れたままの笹原はくぐもった声で話そうとしてくる。


「一時間以上も、待たせちゃって……もう、帰っちゃったかと思ってた」


「……あとちょっと遅かったら、帰ってたと思う」


「ごめんっ……やっぱり、怒ってるよね……?」


 顔を少し動かして、上目遣いで見つめてくる。汗で濡れ、瞳は潤み、赤く染った頬や額はどうしても垣村の情欲を掻き立てる。視線を逸らして、遠くを見つめながら彼は答えた。


「怒ってた……けど、なんかもう、どうでもよくなった。笹原さんが、必死だったから」


 必死に走って、汗をかいて、それで謝って。そんなことをされてしまったら、怒るに怒れない。甘いヤツだと言われるかもしれないけれど、何も言えないんだ。嫌という程暑いこの中を、走って探しに来た。その事実は、変わらないことだから。そう思って、垣村はそっと微笑んだ。


「……ありがと、垣村」


 視界の隅にいる彼女が笑っている。汗だくな彼女が可笑しくて、つい笑ってしまいそうになる。目を細めたら、さっきまで流れ出しそうだった涙がついに溢れてしまった。隠すように拭うも、笹原は目敏くそれを指摘してくる。


「なんで、泣いてんの」


「汗だよ。あっついから」


 先程まで酷く打ちのめされていたというのに、気がつけば汗だくの彼女によってまた気が持ち直されている。約束を守るのに必死になった彼女を、もう責めることはできなかった。むしろ自分のためにここまで必死になってくれたことを、嬉しいとすら感じる。だから、目頭が熱くなってしまうのも、仕方のないことなんだ。


 垣村と笹原の中に残留し続ける熱は、彼らの身と心を焦がし続けていく。夏の暑さは厄介だ。けれど、この暑さを夏の魔法だと言う人がいるように……厄介だけれど、悪くはないのかもしれない。息を切らしていても、大量の汗をかいていても、疲れたように笑う彼女の姿が魅力的に見えたのだから。

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