7話目 興味と好奇心
月曜日が好きな人というのは、多分少ないんだろう。けれども笹原の心の内では、月曜日に対する憎さ半分、好奇心半分であった。その好奇心の正体は、間違いなく先日助けてくれた垣村への気持ちだ。
流石に言葉だけのお礼では足りない程のことをしてくれた。だから、彼が好きだと言った柿ピーを買って渡そうというのも、別に不思議なことじゃないはず。話しかける口実にもなる。そう思って、学校に行く途中でコンビニに寄り二種類の柿ピーを買っていく。どっちが好きなのかわからなかったし、もしかしたら両方好きかもしれない。
両方好きなら、嬉しさ二倍。なんて、バカみたいなことを考えてみる。放課後のことを考えて、少しばかり胸を踊らせるなんて……いつぶりだろう。
「唯ちゃん、おっはよー」
教室に着けば、毎度のように明るい声で紗綾が挨拶してくる。「おはよ、紗綾」と笹原も返事を返し、自分の席に座る。
「ねぇねぇ、昨日テレビでやってたドラマ見た?」
「あー、ううん。見るの忘れてた」
「えー!? 好きな俳優が出るから見るって言ってたのに!?」
「色々あって、忘れちゃっててさ」
カバンの中から荷物を出す。そんな単調な作業の間に、笹原の視線は自然と彼の机付近を盗み見るようになっていた。意識はしていない。本当に、ごく自然と見てしまっていた。あの雨の日から、随分と彼のことを無意識で目で追ってしまっている。
冴えない見た目のくせに、結構肝が据わってて。そのくせ、女の子と話す時は挙動不審になって。なんだろう、わりとかわいいのかもしれない。そんなことを考えている笹原の口元は、ひとりでに緩んでいた。
(話せるのは……放課後かぁ)
そんなことを、一日に何度も考えていた。授業中に時計を見て、いつもなら早く終わらないかなと退屈で仕方なかったけれど……今日に限っては、退屈というよりかは焦りに近かったのかもしれない。早く、早く、と急くような気分になって、どうにも落ち着かない。
休み時間の時に、トイレから帰ってきて教室に入る際には、シレッと見渡す感じで窓際の後ろの方を見る。相変わらず両耳にはイヤホンをつけていて、何を聞いているんだろう、と少し不思議に思ってみたりした。
そして……そういう日に限って、時間の流れは遅く感じてしまう。昼休みまでが本当に長くて、六限目が終わる頃には笹原の心臓が焦りすぎて疲弊してしまっているみたいだ。けれども、ようやく。ちょっとした期待のようなものに胸を踊らせながら、放課後はやってきた。
(さて、垣村の奴は……)
チラッと盗み見たら、垣村は西園と話している最中だった。西園が携帯を見せながら何かを自慢しているらしい。それを垣村は、ただ優しく笑いながら相槌を返している。
(あっ、笑ってる)
そういえば自分の前では笑っているところを見たことがない。あの夜は、彼は一度たりとも笑うどころか微笑みすらしなかった。なんだろう、西園に負けている気がして少し癪に障る。
「唯ちゃん、なにぼーっとしてるの?」
「あっ、紗綾。なんでもないよ。やっと学校終わったなーって思ってさ」
「学校が終わっても、うちらは部活あるんだよねー」
目の前で「帰宅部はいいなぁ」なんて紗綾は言う。けれど、何度か部活をしているところを見たけど……随分と楽しそうに部活をしていたと思う。部活をしているからこそ、帰宅部に対する羨望みたいなものがあるのかな。
「そういえばさ、この前の練習試合で
紗綾が携帯の画面を見せてくる。そこには、多分サッカー部の男の子が映っていた。髪の毛はワックスで固められていて、それほど筋肉質って訳でもない。ちょいワル系みたいな感じ。
件の彩香は松本と話しているけれど……よくまぁ見つけてすぐに写真なんて撮れるね。私にはちょっとできる気がしないな、と笹原は写真を見ながら思う。垣村は写真なんて撮らせてくれないだろうし。
(……いやいや、なんで垣村が出てくるし)
あっ、そういえば垣村は。完全に意識の外になっていて忘れてしまっていた。首をちょっと動かして、視界の隅に入れる形で垣村の机を見る。
(……いなくなってるし)
いつの間にいなくなったのか、机にはもう誰もいなかった。なんてことだ、これではお礼を渡すどころか話すことさえできない。せっかく放課後まで待ったのに、また明日待つというのは中々に堪える。
「じゃあ、私たち部活行くね。バイバイ、唯ちゃん」
「あっ……うん。バイバイ」
楽しそうに笑いながら、紗綾は彩香を引き連れて部活へと向かっていく。あの楽しそうな笑いが、笹原にほんのちょっとだけ、怒りの気持ちを湧かせた。せっかく待ったのに、こんな仕打ちになるなんて。
でも……仕方がない、か。また明日も学校に来れば会えるんだから。話す機会は……なんて、前も考えていた気がする。傘は結局、自分から話しかけて返せなかったじゃないか。これじゃあ、お礼を渡すのもまた時間がかかってしまう。
(あぁ……垣村が、もっと格好よかったらな。もしくは、もっと積極的だったら)
そしたら、カースト下位になんていないし、話しかけやすい。けれども、それは垣村なのだろうか。あの垣村だからこそ、話してみたいと思っているんじゃないか。
けど、好き好んでカースト下位になんていたくもないはず。髪型を変えてみたり、あのイヤホンもやめさせればそれなりにクラスカーストは上がるんじゃないかな。あとは、挙動不審をなくすとか。
(……気がつけば垣村のことばかりだ)
好き? いや、ない。断じて。これはちょっとした物珍しさとか、そんなものだ。第一、付き合うなら格好いい人がいい。確かに助けてくれた垣村は、その時はそれなりに格好よかったけれど……。
そんなことを考えながら荷物を纏めて、笹原は教室から出ていく。その足取りは少し重く、緩やかであった。坂を下っていって、今朝も通ったコンビニの横を素通りし、女子たちが楽しそうに話しているカフェをちらっと見てから駅にまでやってくる。
(そういえば、アイツ下りなんだっけ)
以前垣村が言っていたことを思い出した。電車は一時間に一本しかないと。もしかしたら、まだ残っているのかな。そんなことを考えながら、いつも使う上りのホームに降りていく。普段よりもゆっくりと歩いてきたせいか、生徒はあまり見かけない。
(向こう側の……どっかにいるのかな)
向かい側のホームを見ながら、隅から隅まで移動するつもりだった。けれども、階段の下にある椅子のところまで歩いてきたら……イヤホンをつけた、ある意味最近見慣れたその姿が目に入ってきた。垣村が、何故か上りのホームにいる。不思議だったけれど、これはこれで運が良かった。
周りに知ってる人はいなさそうだ。それを確認し終えると、笹原は彼の近くまで近寄っていく。そして少し小さな声で、彼の名前を呼んだ。
「垣村」
けれども彼は気がつかない。仕方がない、今度はもう少し大きな声で。
「垣村っ」
二度目にも反応がない。彼は真っ暗な携帯の画面を見つめたままで、笹原に気がつく素振りすら見せない。そんな態度に笹原は、ほんのちょっとだけムカッときて、すぐ隣まで歩いていくと彼の右耳から強引にイヤホンを奪い去った。
「垣村っ!」
「ぉっ!?」
驚き目を見開いた彼の声に、思わず笑ってしまいそうになる。なんだ、今の声。おかしな発音だった。けれど、笑ってしまったら変に思われるだろう。それにちょっと怒っているんだから……と、笹原は眉をひそめて彼のことを見下ろした。
彼は話しかけられると思っていなかったらしい。友達が少ないからなのかな。少し失礼かもしれないけれど。
垣村は塾に通うために上りのホームにいたみたい。塾か……高校受験以来、塾に通っていない。大学受験が近くなったら、きっと行くことになるんだろう。彼は月曜日と木曜日、そして土曜日の週三回、この次の時間の電車で上っていくらしい。なるほど、少なくとも週二回はこの時間に来ればここで話すことができそうだ。
そうそう、忘れてはいけない。お礼の柿ピーを渡さなくちゃ。カバンの中から取り出して彼に渡す。そしたら垣村は……本当にキョトンとした顔で笹原のことを見上げてきた。そんな反応をされると少し言い出しづらい。
「その、好きだって言ったじゃん、それ。一応この前のお礼のつもり」
なんで、こっちが恥ずかしがっているんだろう。思わず視線を逸らしてしまった。その逸らした先には、カップルらしき学生がいて、思わずハッとなる。前に襲いかかってきた男子生徒に、垣村は何もされなかっただろうか。
聞いてみたら、何もなかったらしい。その事実にホッと胸をなでおろした。これで嫌がらせとかされていたら、どうすればよかったのか。初手の印象も悪かったし、これ以上変に嫌われるようなことをしたくはない。
まぁなんにしても、何もないのならよかった。電車が来るまで時間もあるし、椅子に座って話でもしてみようか。そう思ったけれど……これ、隣に座るべきかな。一個あけて座るのは、ちょっと距離を感じるというか、嫌がってるって思われそう。ここは、隣に座ってみよう。
ほんのちょっと意を決して、彼の隣に座る。チラッと彼の顔を見てみるけれど、済ました顔で向かい側のホームを見ていた。これじゃ、自分だけが変に意識しているみたいじゃないか。ちょっと恥ずかしくて、笹原はカバンを抱えたまま同じように向かい側のホームを見つめ始める。
「……さ、笹原さんはいつもこの時間なの?」
初めてまともに話した時のように、垣村は若干どもりながら話しかけてきた。そんな彼の反応に思わず笑いそうになる。今日はいつもより遅く駅に来たけれど、その理由は垣村のことを待っていたからだ。気がついたら先に帰られていたけれど。でも、そんなこと言えるわけもなく、たまたまだよと返事を返した。
その後の会話も、垣村はちょっと距離を測りかねているというか、ビビっているというか。そんな小心者の彼を見ていると、思わず虐めたくなってしまう。ちょっとしたイタズラをしてみたら、ジト目で睨まれてしまった。
いつもイヤホンをつけている彼。一体何を聞いているのか、尋ねてみた。それと、どんな感じの曲が好きなのかも。案外ロックとか聞くのかな、なんて思っていたら……。
「心に響くような曲……かな」
一瞬何を言ったのか理解できなかったけど、すぐにその意味を理解して、流石に笑うのを堪えきれなかった。予想外も予想外。普通の男子からは聞けるはずもない台詞が飛び出してきた。言った本人は恥ずかしそうにそっぽを向いているし。
あぁ、なるほど。だから面白いんだ。普通の男子と話していても、普通の答えしか返ってこないから。けれど垣村は違う。普通とはちょっと違っているから、その答えも笹原の想像の斜め下か、上を行く。だから、話してみたいって感じたのかもしれない。
ほらまた、彼は隣に女子がいるのに携帯を弄り始める。普通じゃありえない、女の子を放っておくなんて。けれども、なんだろう。不思議とそれを悪いとは感じなかった。隣にいても何もしないという、そんな微妙な距離感にどこか安らぎすら感じている。気を張る必要がないから、なのかな。
そのうち電車がやってきて、笹原と垣村は同じ車両に乗り込む。垣村が言うように、この時間は生徒がほとんどいない。電車の中はガラガラだった。彼は「気遣う必要がないから、楽でいいよ」だなんて言って、一番端の椅子に座るけれど……私には気遣ってくれてもいいんじゃないか、と笹原は内心ムッとする。端の椅子には、誰だって座りたいだろう。だからささやかな仕返しの意味も込めて、笹原は彼の隣に腰を下ろした。ちょっとだけ体を近づけてみたりしたけれど、やっぱり彼は動じない。
「隣座ってると、変な噂たてられるかもよ」
……人に気遣わないくせに、こういうところは気が回るのか。まぁ、人もいないし平気だろう。笹原はそう答えて、電車の揺れに身を任せ始めた。
隣に座る彼は、何をするでもなくカバンを抱えたまま、じっとどこかを見つめている。結局、この日も彼は笹原に向けて笑うことはなかった。
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