9話目 垣村と西園
教室の片隅。いつものように両耳にイヤホンをつけて外界からの音を遮断する。周りの生徒たちが今日の日課や、近づいてきた小テストについての話をしている中で、ただ一人携帯の画面を睨みつける。そこには時間ごとのグラフが示されていて、100や200といった数字も刻まれている。それらを見つめて、垣村は誰にもわからないように小さくため息をついた。
それは多くの一般人が利用している小説投稿サイト。垣村もその利用者の一員であった。ランキングに載るような小説を書いているわけではないが、彼は一作家だ。無論、誰かに評価されたいなどの欲もある。だがしかし、現実はそうではない。ランキングに載っているものと自分の書いたものを比べては、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるのだ。評価を見てみればわかる。自分の作品は劣っているのだと。けれども……一体どこが劣っているのだろう。書き方、語彙、キャラクター。どれも劣ってはいないと自負していた。けれども、彼の作品は読まれない。
流行というものはいつだって存在する。近頃の女子高生は机を囲んで雑誌を読んだりはせず、訳の分からない踊りをSNSに投稿するのが流行りらしい。もちろんその小説投稿サイトにも流行というものはあった。それはタイトル。人間で言うところの、外見だ。そのタイトルを見れば中身もわかる。そんな長いタイトルが流行りで、しかし垣村はそれに逆らっていた。周りと同じ。それは、個性がないのでは。そう思ってしまったから。誰だってそうだ。自分だけは何かしらの特別でありたいという、自分の存在証明。それを得たかったのだ。
(……中身を読まず、外見で判断する。まるで人間みたいだ)
外見よりも中身で評価されたい。垣村はそう思う側だった。けれども、彼はカースト下位の生徒であり、彼をよく知らない生徒は外見で判断するだろう。根暗オタク、と。まったく馬鹿馬鹿しい話ではあるが、何も行動を起こさない自分にも非はある。だからといって、行動を起こせるわけではないのだが。明日も明後日も、垣村は両耳にイヤホンをつけて生活するのだろう。
「志音、おはよー」
右耳から圧迫感がなくなり、代わりに聞こえてきたのは西園の声だ。横を見れば、朝早くで鬱屈する時間帯だというのに彼はへらへらとした柔らかい笑みを浮かべている。それを見ていると、垣村はなんだか羨ましく思えて仕方なかった。西園は劣等感を感じたりしなさそうなタイプであったから。
「おはよう」
「進捗どうですかー?」
「編集者みたいなこと言うのやめて」
からからと笑いながら西園は垣村の机に腰かけた。彼は垣村が小説を書いているのを知っているし、他にもいろいろな事をやっているのも知っている。最初は明かす気はなかったものの、西園はそういったものを悪く言ったりはしないだろうとわかってから、垣村は特に隠すことなく話してしまった。時折こうして携帯を覗き込んでは「伸びないねー」なんて軽口を叩いてくる。垣村もそんなことはわかっているのだが、他の人から事実を突きつけられると、やはり少しはしょんぼりとしてしまうものだ。「ほっとけ」と西園の脇腹を軽く小突く。相変わらず、西園はへらへらとした笑みを崩すことはなかった。それを見ていると、つい昨日庄司と会ったことを思い出す。
「そういえば、昨日庄司さんに会ったよ」
「マジで?」
「半ば無理やり、居酒屋に連れて行かれたかな」
悪い思い出ではない。焼き鳥は美味しかったし、庄司はなんだかんだ言って面倒見が良さそうだった。性格上、子どもと波長が合わせやすいのだろう。昨晩の話を聞いた西園は「いいなー、羨ましい」と笑っていた。西園は本当に庄司のことを慕っているらしい。
「なぁなぁ、庄司さんどうだった?」
いつか聞いた質問だった。以前垣村はその質問に対して、曖昧な言葉を返すばかりであったが……今はちゃんと答えを伝えられる。
「……まぁ、良い人だね」
「だろ?」
まるで自分が褒められているみたいに西園は笑った。庄司は相談事に真剣に乗ってくれて、他愛のない話で少しは盛上がることができた。人見知りな垣村が話しやすいように向こうから話題を振ってくれたり、くだらないギャグを挟んできたり。悪い人ではない。そう、簡潔に答えるとするなら、良い人だという一言に尽きる。
「志音も庄司さん目指して生きてみようぜ」
「それはない」
それとこれとは別である。あの様な軽々しい雰囲気は自分には似合わない。あれは庄司だからこそ適しているのだ。けれども、憧れがないわけでもない。西園が庄司のようになりたいと言うのも、垣村はちょっとだけ理解できるような気がした。しっかりした大人ではないけれど、良い人だから。見た目の軽薄さとは裏腹に、中身はちゃんとしている。
(……あぁ、そっか)
結局は、関わらない限り他人について知りようもない。だからこそ想像するしかない。外見で判断してしまうのも、仕方のないことなのかもしれない。少しだけ現実を痛感しつつも、垣村は西園と一緒に時間になるまで庄司についての話で盛り上がった。きっとその辺で中身のない話をするトップカーストよりも、有意義な時間だっただろう。珍しくお互い、笑いが絶えない話題だったのだ。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
帰りのホームルームが終わって、教室内の生徒たちは自分のカバンを持ち、友人たちと語らいながら教室から出ていく。部活、委員会。それらの活動から縁のない垣村と西園は基本的に一緒に下校している。とはいっても、駅まで一緒に帰るだけだが。さすがにニケツで帰れば怒られてしまうので、学校の前にある長い長い坂を自転車を押す西園と共に下っていく。陽はまだまだ高い。斜めから刺すようにして放射される日光のせいで溶けてしまいそうだ。ワイシャツの背中側は汗のせいで少しだけ引っ付いているような感覚がある。「夏って嫌だねー」という西園の言葉に対して、「耳にタコができるほど聞いたよ」と呆れるように返事を返した。
「たまーにさ、この坂をノンストップで駆け下りたくならない?」
「こけるだろうけど、やってみたくはある」
「だよねー。自転車でやったら事故りそうだからやらないけど」
こうして友人と呼べる人と一緒に坂を下って下校している自分を、ちょっと俯瞰するように考えてみる。それは何の変哲もないことだけど、なんとなく特別感がある。まるで自分が青春を謳歌する普通の学生のように思えた。いや、自分は学生だけれども、普通ではない。普通というのはきっと、今頃部活に励むトップカーストのような人たちだろう。けれども、今この瞬間だけはまるで主人公にでもなったみたいな、そんな感覚があった。西園も垣村と同じように考えているのか、眩しい空を細目で見ながら話を続けてくる。
「こーやって何気なーく帰るのって、なんか高校生っぽいよなー。駅前でクレープでも食う?」
「それはどちらかと言えば、JKっぽいよね」
「JKって言い方は普通な気がするけど、男子高校生のことをDKって言わないよねー」
「ゴリラかよ」
「猿とゴリラの違いって何?」
「……さぁ?」
なんとなくいつもよりもハイテンションで彼らは帰路を歩いていく。坂を下りきって少し歩くと、小さな公園が見えてきた。公園と言っても、ブランコや滑り台、シーソーくらいしかない本当に小さなものだ。端の方では小学生たちが元気に走り回って遊んでいる。半袖短パンで動き回る彼らを見ていると、自分にもあんな時期があったなと感慨深い思いに駆られた。初対面との会話が苦手になったのは、中学生からだったか。小学生の頃は、あんなふうに遊んでいたはずなのに。時の流れは残酷だな、と垣村は小さくため息をついた。そして、ふと横を見て見たら……隣を歩いているはずの西園の姿がない。振り返ればすぐそこで西園は自転車と共に立ち止まっていた。公園の中を見つめたまま、動かない。
「西園、どうかしたの?」
「んー、いや……アレ」
西園の指さす方向には倒れているゴミ箱があった。蓋もない、鉄で作られた簡素なものだが……それが風で倒されたという訳ではないだろう。中に入っていたはずのゴミは無残にも近くに転がったままだ。遠くまで飛んでいったり、動いたような形跡はない。ごく最近倒れたのだろう、と垣村は予想していた。それを西園は、いつものへらへらした笑みを浮かべることなく見つめている。
「……はぁ」
今度は西園にも聞こえるようなため息をついて、彼は西園の隣にまで歩み寄っていく。
「……かたすか?」
面倒だけれども、仕方がない。そんな意を込めた言葉だったが、西園は一瞬だけハッと表情を固めたあと、いつものように笑いながら「やるかー」と言って自転車を停めてから、垣村と一緒に散乱するゴミの元へと向かう。プラスチックの弁当箱、カップ麺、お菓子のゴミ。あまり手で触りたくはないが、手袋のようなものを持っているわけでもない。幸いにも、すぐ近くには公園に設置された水道がある。手を洗うには困らないだろう。それでも、他人が口をつけたものを触るというのは個人的に遠慮したいものなのだけれど。
「まったく、誰がやったんだか」
「だよねー。こんな重いゴミ箱、風じゃ倒れないし」
「おおかた、うちの生徒じゃない? 倒れてから時間経ってないよ、コレ」
「おっ、名推理ですか?」
「見りゃわかるよ。それより、手を動かして欲しいな。俺だけにかたさせるつもり?」
「いやいや、ちゃんとやるってー」
それなりに多くのゴミが散らばっていたのだが、二人してパッパと集めてしまえば事の他早く終わるものだった。日照りがキツイ、この暑い中ゴミ拾いをしていた二人の額には汗が滲み出ている。垣村の頬をツーッと垂れていった汗が地面に斑点を作っていく。暑い。とにかく暑い。ゴミを拾いきった垣村はすぐに水道で手を洗い始めた。そしてついでとばかりに、頭から水を被る。ひんやりとした水が熱を奪いさり、不思議と幸福だという感情が湧き上がってくる。この感情は、ゴミ拾いを経験しなければ感じることもなかったのだろうと思うと、少し得をした気分になる。
「あっぢぃよー。志音、俺も水浴びさしてー」
「はいはい」
十分堪能した垣村は水浴びをやめて、カバンの中からタオルを取り出して風呂上がりのように頭をガシガシと荒く拭いていく。西園も垣村と同じように頭から水を被って「あぁー」っと気の抜けた声を出していた。気持ちはわかる。心地良さそうな友人の姿を後ろから眺めながら、垣村はひっそりと笑っていた。
やがて西園も水浴びをやめて、タオルで頭を拭きとっていく。日差しは暑いままだが、時折吹く風が半乾きの頭を優しく撫でつけていくのが涼しくて気分がいい。特に帰る気にもなれなかったので、休憩がてらに垣村は近くにあったベンチに座り込んだ。頭上にはいい感じに木が生えていて、日陰になっている。日向と日陰では、随分と温度差が違う。やはり日陰は心地よい。
「志音、コーラとサイダーどっちがいい?」
西園の声が聞こえて、見てみれば彼は両手に先程言った二つのペットボトルの飲料を持っていた。「金ならいいよー」と西園は言うので、お礼を言ってからサイダーを手に取る。そして二人でベンチに座って、呷るようにして炭酸飲料を喉の奥へと流し込んでいった。シュワシュワとした感覚が喉元を通り過ぎ、爽快感が体を駆け抜ける。同じタイミングで口を離して、「ぷはっ」と言葉を漏らした。
「いやー、こういう時の炭酸っていいよなー」
「わかる。めっちゃ美味い」
互いにひとしきり笑いあった後で、少しの間沈黙が二人の間に生まれる。疲れていた垣村はベンチに背中を預けて、青空に浮かぶ雲の数を数え始めていた。そんな時だ。
「ありがとね、志音」
隣からお礼の言葉が聞こえてきた。それも、いつもよりかなり真剣な声で。間延びしない彼の声を聞いたのはいつぶりだろう。いや、初めてか。あまりにも珍しかったものだから、垣村は少しの間固まってしまっていた。それを見た西園はいつもの笑いに戻って、話を続けてくる。
「いやさ……例えば松本とか。あぁいったメンバーと一緒にいたら、俺はきっと見て見ぬふりをしたと思うんだよねー。多分ゴミ箱を指さしても、倒れてるねーで終わっちゃうんだよ」
「……そう?」
「そうだよ。でもさ、志音ってこういったこと面倒だけど一緒にやってくれるじゃん? 俺のやろうとすること、笑わないでいてくれるってのはありがたいんだよねー」
「……まぁ、俺が小説書いてても西園は笑わなかったからね」
「だってすげーって思ってるし。誰にでもできることじゃないじゃん?」
「そんなことはないよ」
今のご時世、誰だって携帯で簡単に小説は書ける。わざわざ紙にペンを走らせる必要がない。その気になれば誰にでもできるお手軽なことなんだ。だから別に、何もすごいことじゃない。そう垣村は伝えたが、西園は「そうじゃないんだよー」と否定した。
「誰にだって書けるかもしれない。でも、志音のレベルまで到達するのに時間はかかるじゃん。最初からあんな文を書けたわけじゃないって前に言ってたし。そこまで継続するのは、誰にでもってレベルじゃないと思うんだよねー」
「……そうかな?」
「そうなんだよ。誰にでもできることをやるのは、別に悪いわけじゃないし。むしろ良いことなんだよね。誰にでもできることをするから、誰にもできないことができるようになる。志音みたいにねー」
そこまで褒められると、少々照れくさくなってしまう。頬を指で掻きながら、垣村はそっと視線を逸らした。夏の日差しから守るように、木陰がひっそりと自分たちを包み込んでいる。
「自分がやりたいことをやれないのは嫌だなー。けど、志音が一緒にいれば、やりたいことをやれる。こんな泥臭いことでもねー」
「俺は、都合のいい女か何か?」
「都合がいいってのはちょっと言い方がなー。こういうのを、友人っていうんじゃないかなー」
「女を否定する場面じゃない?」
垣村の言葉に、あははーっと笑って誤魔化した。西園ならば自分と一緒じゃなくてもやるんじゃないのか、と垣村は思ったが……西園は「一人でやるのは恥ずかしい。俺はそこまで強くないよー」と卑下していた。自分と一緒なら。その言葉が耳の奥で何度も反芻する。そして、友人という単語も。なんだか嬉しくて、垣村は口端が上がりそうになるのを必死に堪えていた。
視界には日向と日陰の境界線が見えている。自分たちは日陰にいる。涼しくて、心地よい。憎たらしいほど晴れ渡る空を見上げながら、垣村は言葉を零した。
「日陰も、悪くない」
「だねー」
二人の小さな笑い声は、遊んでいる子供たちの声でかき消されていった。
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