第19話 早奈の不在

「今日は早奈休みか」


 朝礼が終わって一時間目までのロスタイム。いつまでも空席の早奈の席を見て、俺はそう呟いた。

 でもアイツが休むなんて滅多にないよな。何か悪いものでも食べたのか?


「成宮!」

「うおおっ!?」


 バン! とドアを勢い良く開けて教室へずかずかと入ってくる。誰だいきなり……心臓に悪い。

 見ると、そこには焦った顔の監督が肩でをしていた。朝礼が終わってすぐに走ってきたのだろうか。確か監督のクラスとは結構距離あったしなぁ。

 ……ん? 何か俺の方に歩いて来てる? 早奈がいないからか?


「水瀬。成宮は休みか?」

「お、おう。てかどうした、そんなに必死になって」

「必死にもなるさ! ……というか、水瀬は聞いていないのか?」

「何を」

「成宮が部活をやめるって連絡をしたことだよ。丁度さっきの朝礼の時間に僕個人に来たんだ」


 早奈が部活を辞める……。このタイミングでそれは、流石にそういうことなんだろうか。


「俺は聞いてない。何なら休んでる理由も知らないな」

「……そうか。ごめん、ちょっと落ち着くよ」


 そう言って監督は一度溜め息をつく。冷静さを取り戻せるのは監督の美点……と、こんなことを言ってる場合ではないな。


「監督。俺がBチームに入ったって話は聞いてるか?」

「水瀬がBチーム……?」

「何か流れで主役をな。Aチームには不義理だとは思うが……」

「いや、それは気にしなくても良いよ。水瀬は元々Aチームには入ってなかったしね」

「そう言ってくれるとありがたいが……、多分俺のせいだよな」


 流石にタイミングが良すぎる。昨日早奈に打ち明けた時も様子がおかしかったしな。


「……成宮の気持ちは、わかってるんだよね? 部外者の僕でも察することが出来るレベルだし」

「ん、まあ。でも俺と早奈は一度別れてるんだよ」

「なのにあれだけくっついてるのかい?」

「……」


 痛いところを突きやがる。実際は俺からは行ってないんだが……まあ止めない時点で同じだわな。


「成宮には君が必要なんだよ。……そりゃさ、水瀬がBチームを抜けたら成宮もはい戻るってわけにはいかないと思うんだけど、それでも成宮の行動は水瀬の目を引くためだと思うよ」

「必要ねぇ……」 

「もう一度付き合えば良いじゃないか。だって水瀬も好きなんだろ?」

「簡単に言ってくれる……」


 そりゃ俺だって付き合えるものなら付き合いたい。だけど、そう出来ない理由があるのだ。


 事務所の判断なんて、俺のわがままだけで破って良いものではない。まして早奈の将来に直接関わること。安易な判断はくだせない。


「別れたこと、それから今も付き合っていないのには事情がある。これは子役の話にも関わってることなんだよ」

「……そうか」


 ある程度予想していたのか、監督は特に反論することなく頷いた。


「わかった。でも何とかはしてよ。僕は“監督として”演劇を成功させる義務がある」

「一応聞くが、代役の綿はどうなんだ? 力不足か?」

「そんなことはないよ。オーディションで水瀬も悩んだ通り、牧之瀬は成宮に劣らないくらいの実力だ。ただほら、Aチームと言えば成宮だから」

「ん。まあ最悪の手段があるのは良いことだろ。出来る限り説得してみせるよ」

「頼んだ」


 最後に俺の肩に手をポンとつくと、監督は教室を出ていった。

 早奈を連れ戻す。とりあえず理由がなんであれ、話を聞かないことには始まらない。


 放課後にでも早奈の家に寄ってみるか。Bチームの練習は……、紅葉に休むって言っとくか。直接友愛に伝えて怒られるのも嫌だしな。




 友愛に見つかる前にそそくさと学校を抜け、若干駆け足気味に早奈の家へ走る。たどり着いた頃には額にじんわりと汗が滲んでいた。

 俺は慣れない手つきでインターホンを鳴らす。合鍵は手元にあるためそれで家に入っても良かったが、何となくそれを使うのは躊躇われた。


『はーい』


 スピーカーの向こうから聞こえてきたのは早奈の声ではない。早奈よりも少し低く、よく通りそうな声。

 成宮瞳子。早奈の母親のものだ。


『あ、楓真じゃない。来ると思ってたわ』

「どうも。早奈は?」

『インターホン越しじゃ話しづらいでしょ。鍵は開いてるからリビングまで入ってきな』

「相変わらず不用心だな……」

『良いの良いの。ほら、早く』


 プツッと通話を切られる。どうあっても自分のペースを譲らないところ。ベクトルは違えどうちの母親そっくりだ。女優ってのはみんなそんなやつばっかなのかね……。


 俺は言われた通り家へ入り、靴を揃えてから廊下の先のドアを開けた。そこが成宮家のリビングで、本格的な加湿器や大きな空調と、普通の家ではあまり見ないようなものが辺りに置かれている。


「久しぶりね、楓真。一ヵ月ぶりくらい?」

「それくらいかな。てか毎週日曜日に撮影入れんのやめろよ……何で毎週俺が早奈を起こしに来させられてるんだよ」

「何だかんだ言ってやってくれるからねー。というか私が撮影日を決めてるわけじゃないわよ? たまたまよ、たまたま」


 本当か? と俺がジト目で睨んでも瞳子さんはニコニコと視線を躱すだけ。女優相手にこれは無謀すぎたか……。


「ほら、そこの椅子座りな」


 座れと言った椅子はテーブルを挟んだ瞳子さんの正面。俺は言われるがまま腰を下ろした。


「ウチに来た理由は、早奈についてよね?」

「これ見よがしに休まれちゃあな。それに演劇部も辞めるって聞いた。来ない理由がない」

「そうねぇ……。私もあれだけ楽しそうにやってた演劇部を辞めるって聞いて驚いたけど、理由を聞いたら納得しちゃってさ」


 瞳子さんは悟った目で俺を見据える。そして、にやっと笑みを作り。


「あの子は芸能界に戻ろうとしてるみたいよ。今度は子役じゃなくて、ちゃんと女優として」

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