第5話 “好きだけど”

「おい……本当に大丈夫か? 緊張してないか? 手の平の人とかは食べすぎくらいが丁度良いんだぞ……?」

「もー何? 楓真ってば心配しすぎだよ?」


 舞台裏。今日はついに部活紹介本番の日だ。

 既に観客席は一年生で埋め尽くされ、ほぼ満員のため講堂はガヤガヤとしている。


「し、心配しすぎって言ってもな? 結構人多いぞ? 客席には一学年くらい入ってるかも」

「そりゃ一年生のための部活紹介だし」

「今日が本番だからな? リハーサルじゃないぞ?」

「わかってるって。……もー、仕方がないなぁ」


 早奈は軽く溜め息をつき、俺の目をまっすぐ見つめた。


「楓真、手出して」

「? おう」

「えいっ」


 ギュッ。俺の差し出した右手を両手で包む早奈。女子特有の柔らかい手の感触はいつまでも触っていたくなる。

 そして、早奈の手は全く震えていなかった。


「緊張してるように思える?」

「……いや。心配しそうになるぐらい自信満々だな」

「正解。だってあたし天才だから!」


 微塵も成功を疑っていない。それが当たり前と言わんばかりに。

 ……早奈が緊張していないのに、俺が緊張してどうするんだ。


「早奈、頑張れよ」

「任せて!」


 握っていた手を離し、そしてパンとハイタッチを交わす。乾いた音が舞台裏に響き渡った。

 これ以上俺が居ても意味はないな。そう考え、俺は観客席側に回るのだった。




 観客席は超満員で、一年生だけでなく二年生三年生も来ているようだ。明らかに人数が多い。

 俺は空いてる席を探す。より正確には、席取りをしてくれている場所を。


「おーいフウー! こっちこっちー!」


 探す手間も省けたな。俺の席を取ってくれている紅葉が椅子に座りながら手を振っていた。

 俺はそちらへ向かい、紅葉の隣の席へ腰を下ろす。


「良い席取ったな」

「だって久しぶりに早奈ちゃんの演技見るんだもん。近くで見なきゃ勿体ないよ」


 最前列ではないが、前から五列目と近くもあり舞台全体を見渡すことも出来るという当たりの席。流石によくわかっている。


「友達と見なくて良かったのか?」

「誘われたけどね。でもあたしは真剣に演劇を見たかったから」

「断り方は普通に俺と見るって言ったのか?」

「おかげでブラコン扱い……、誰がフウのことなんか。ねぇ?」

「おまっ、それは本人に言ったらダメなやつだろ!? てか俺から本当に同意を得られると思ったのか!?」


 失礼通り越して酷いやつだな! ここが講堂じゃなかったら喚き散らしているところだ。それで注目されてまた縮こまるんだな。嫌なところまで予想出来てしまった。


「あっ、照明暗くなった」


 少しすると、紅葉の言ったように講堂内が薄暗くなった。がやがやとした空気は徐々に沈静化していく。


「始まるぞ」

「うん」


 ブーッと演劇の開始を知らせるブザーがなり、緞帳どんちょうが上がる。いよいよ始まりだ。


 壇上には早奈が一人俯きながら佇んでいる。一歩、二歩と歩を進めたところで、顔をゆっくりと上げた。


「私は優香。地元では有名な会社の社長令嬢」


 ギリギリ講堂全体に届くか届かないかの音量。早奈の容姿や声質の良さも相まって、観客はみんな聞き逃すまいと口を閉じ演劇に集中する。


「周りからは期待されて、東京の賢い大学にも入って、いつかはうちの会社を継げってずっと言われてきた。だけど!」


 一際大きな早奈の声に、観客は釘付けになる。ただのモノローグですら引き込める早奈は流石としか言いようがない。


「私、本当はお花屋さんになりたいの! コスモスにアネモネ、ガーベラなんかに囲まれて生きてみたい!」


 一瞬キョトンとした観客だが、怒涛の花の羅列に講堂は漏れ出た笑いに包まれる。一瞬ザワついたが、これは意図したものだ。


 よし、掴みは上々だな。後はどれだけ飽きさせないかだ。


 この演劇の物語は、簡単に言うと遅い反抗期だ。いつも期待という名の重圧に押し潰されてきた、主人公によるたった一回の反抗。

 十分の中では伝えたいものを全部が全部届けられるとは思っていない。ただし自身の行動との葛藤、花屋という荒唐無稽な理想の諦め、ある日出会った花屋の店主との対話。

 これらを経て、早奈はクライマックスでついに親へ本音をぶつけるのだ。


「ねえ、聞いてお父さん。私ね、本当は会社を継ぐよりもやりたいことがあるの」

「何だと?」

「今まで言い出せなくてごめんなさい……。でも、でもね。やりたいことはちゃんと伝えなさいって、お花屋さんの店長さんも言ってたから」

「花屋の店長? 一体何を言って──」

「私! 本当はお花屋さんになりたいの!」


 冒頭のモノローグと同じセリフ。しかし今度のものは笑いなんて起きるはずもなく、みんながみんな食い入るように行く末を見守っていた。


「な、何を言い出すんだお前は! そんなことをしたら誰がこの会社を継いでくれるんだ!」

「それでも……」

「ダメだ! 一人っ子のお前にはこの会社を継ぐ以外に将来はない!」

「っ……!」


 横暴な物言い。しかし父はそれが正しいことなんだと、語弊を恐れずに言うならば盲信している。


「大体この会社は爺さんの代から続いていて……」

「もう良いよ! 黙って!!!」


 耳をつんざくような絶叫。誰かの喉がゴクリと鳴る。


「そんなに私のことが嫌いならさ! 初めから言えばいいじゃん!」

「優香……?」


 ようやく娘の異変に気付いた父は、そこで初めて心配そうな声音で話しかける。だが既に爆発した。もう遅い。


「そりゃ今の今まで言ってこなかった私も悪いけどさ? でもそんなの不公平じゃん! 他の子達はもっと自由だよ!」

「優香、お前何を……」

「一つのワガママさえも聞いてもらえないんでしょ!? だったら私、こんな家になんか生まれたくなかった!!!」


 娘にとって初めての、心からの親への反抗。ずっと抑圧され続けてきた優香の思いの丈。


 ただし。だからこそ、その加減を優香は知らないのだ。


「優香……」


 父の悲しそうな表情。伝えることに精一杯だった優香はそこで初めて自分の言った言葉がどれほどのものだったのか理解した。


 こんな家になんか生まれたくなかった。


 それは当然、親への全否定になる。優香が花屋という夢をバッサリ切り捨てられた時と同じ、いやもしくはそれ以上の。


「……すまない」

「や、やめてよ」

「お前を幸せにするために考えていたはずが、いつからか目的と行動がすり変わっていた。こんなことじゃ親失格だ」

「お願い、やめて」

「父さんが嫌で、家を出たいのであればいつでも……」




「そんな言葉が聞きたかったんじゃないの!!!」




 泣きそうな声で、相手の懺悔を遮るように。


 瞬間、俺は早奈と別れた時のことを思い出す。一度去来した記憶は頭から離れず、そして──




「好きだよ。好きだけど……だからこそ、嘘はつきたくないの」




 今の場面では勿論家族愛。だけどどうしても、書いたのは俺だというのに、あの日がチラついて仕方がない。

 小さく震える手。俺は下唇を噛み、必死に拭おうとしたが。


「フウ、大丈夫だよ」


 紅葉が手を重ねてくる。小声で告げた言葉は、握られた手と同様に柔らかかった。


「……ああ」


 なんてことはない。今では普通に話せるし、付き合ってると勘違いもされてしまうほどだ。

 まあ、これは追い追い直していかなければならないところだろうけど。


 エピローグ。最終的に優香は出会った花屋の店主の元で働くようになる。そうなると気になるのは衝突した親との関係性。だが。


「優香、フラワースタンドを頼めるか。先方に贈りたいんだ」

「はーい! ただいま!」


 今の親子の様子を見れば、どうなったかなんて言わずもがなだろう。


 エンディングらしき音楽が流れると同時に、講堂は拍手の嵐に包まれる。ミスもなく、早奈もいつも以上に上手く出来ていた。大成功と言えるだろうな。

 握ってくれていた手を紅葉は離し、俺の腕をとんとんと叩く。紅葉の方を向くと、真面目な顔をして俺を見ていた。


「決めた。わたしはBチームに入る」

「今のはAチームだぞ」

「知ってる」

「Bチームの演劇はまだ見てないのに、決めていいのか?」


 ……なんて、愚問だな。紅葉の目を見れば分かる。完全に心を決めた様子だ。


「わたしが早奈ちゃんより凄い演技をして、フウを解放してあげる」

「……はは、そっか。じゃあ俺は期待して待ってるよ」

「わっ! 乱暴に頭撫でるな! 髪の毛崩れちゃうバカ!」

「今日は撫でられとけって、バカ」


 嫌がる紅葉の頭を撫で続けながら壇上へ目をやる。

 不意に早奈と目が合った気がした。お互いの視線がピンと張り詰めた一本の糸になる錯覚を覚える。

 ……教室で待ってろ、とか。そんなところかな。

 俺は静かに立ち上がり、講堂を後にしたのだった。




 教室で適当な席に座りながらグラウンドを眺める。さっきの演劇部同様今日は部活紹介の日なので、グラウンドでも運動部のやつらが部員獲得のため精を出しているようだった。

 窓の外から聞こえてくる喧騒の他に、廊下から誰かが走ってくる音が耳朶に響く。俺は静かにドアの方に目をやると、そこには案の定早奈が居た。


「紅葉ちゃんは!? どっちのチーム!?」

「B」

「うそでしょぉぉ!?」


 死ぬ程悲しそうな顔でガックリと膝をつく早奈。

 まあ去年の一月頃から一緒に演技が出来るって楽しみにしてたもんな。そうなるのもわからなくはない。


「でも理由はお前だぞ」

「……そ、それはもしかしてあたしと一緒にはやりたくないみたいな……」

「早奈より凄いってのを証明するためなんだとさ」

「……そっか! それならしょうがないや!」


 悲壮感漂うさっきの表情とは一転、早奈は顔を綻ばせた。

 俺が早奈と幼馴染みということは、当然紅葉と早奈も幼馴染みなわけだ。言わなくても通じ合うものがあるんだろう。


 そして、これは伝えなきゃな。


「早奈。今日の演技も良かったよ」

「ありがと! でもそんなこと知ってるよ。なんたって」

「「天才だから」」

「だろ?」

「あははっ! やっぱりお見通しだね!」


 花が咲くように笑う早奈につられて、俺も笑顔になる。コロコロと表情が変わるやつだな、ホント。


「次は八月の地区予選か」

「その前にほら、AチームとBチームの対決」

「ああ、そんなのもあったな」


 七月の終業式の前日を使って、講堂からライブでクラスに中継される。そこで全校生徒から投票をしてもらい、勝った方が大会に出られるのだ。


「頑張れよ」

「違うよ、楓真。お互い頑張ろうな、だよ」

「……お互い頑張ろうな」

「うん!」

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