第21話 死を知る少女、Aチーム
早奈と気持ちを確かめあったあの日からはや一ヶ月。早奈に勝つため、そして早奈も俺に勝つため俺たちは別のチームで練習を重ね、あっという間にやってきた本番。
とりあえず、不甲斐ない出来にはならないことだけは保証出来る。
「緊張してる?」
俺含めBチームは講堂の観客席に座っている。隣の紅葉が少しからかった様子でそう聞いてきたが、答えなんて勿論。
「緊張してるに決まってんだろ吐きそう……」
「ちょっとフウ、主役なのにそんな頼りなくてどうするの? 本番もガチガチだったら思いっきりビンタするからね」
「いや、役に入り込めさえすれば大丈夫だとは思うんだけどな……。ただ今は呼吸浅くて死にそう」
「えぇ……」
だから嫌だったんだよ、人前で演技するのは……。まあ始まればそれもなくなるんだろうが、この始まるまでが辛い。
Aチームは既に舞台の上で待機していた。今日のこの演劇は、講堂に設置されたテレビみたいな本格的なカメラによって教室の電子黒板中継される。観客は生徒全員。待機チームは講堂の観客席に座る。
まずはAチームから。舞台に見える早奈は両手の指の腹を合わせていた。早奈特有の癖。
「早奈も緊張してるんだな」
「え? あの早奈ちゃんが?」
「そういうこともあるんだろ」
なんせこの勝負の結果によって俺と付き合うか付き合わないかが決まる。
……そう言うと何だか俺がとてつもないナルシストに聞こえるが、そこには目を瞑ろう。お互い様で、こちらには紅葉と友愛もいる。勝負はわからない。
「じゃあそろそろ始めるよー! みんな準備は良いかい?」
監督がAチームに声をかける。Aチームのみんなは口々に準備OKの意を示した。
正直なところ、俺はAチームには脚本として長い間居たからな。自分が演技するBチームよりも思い入れがある。早奈と付き合うかという話にしても、ぜひとも成功させてほしいものだ。
一度緞帳が下がる。それから一分程すると、ブーっというブザー音と共にもう一度緞帳が上がった。
Aチームの演劇、スタートだな。
暗い舞台にパッと光が差す。照明の光は舞台の中央にいる早奈へと一直線に向かっている。
「ねぇ……あなたは誰……? 何者なの……?」
開口一番、早奈はナニカに震えながらそう訊ねる。無論そこには誰もいない。早奈にだけ見えるナニカ。身体を抱く仕草は自己防衛のためだろう。
「ねぇ……!」
語気が強くなる。早奈の言葉にナニカが答えたのは、それからすぐのことだった。
「死神というものを信じるか?」
マイクの声が行動に響き渡る。
死神。字面から考えてもわかる通り、死を司る神とされる存在だ。
「お前は六十日後に死ぬ。それを伝えに来た」
「……は? 何、どういうこと……? 死ぬって……」
「言葉通りだ。お前は突然の心臓麻痺によって死ぬ」
「心臓麻痺……? で、でも私、今こんなにピンピンしてるし!」
「六十日後も同じように変わらずピンピンしている。ただその日は前触れなく心臓が止まって死ぬだけだ」
「は……はぁ?」
意味がわからないと言わんばかりの早奈。いくら死神の存在が不可解とはいえ、いきなり自分の死を伝えられても、信じられるはずがない。それまでの未知への恐怖はすっかり疑念へと変わっていた。
「証拠が必要か」
「え? 証拠?」
「ならばこうしよう。六十日後、お前は死ぬのではなく俺に殺されるんだ。俺ならそういうことも出来る」
荒唐無稽なことを言い出す死神に、早奈はますます猜疑的になる。
「今からお前は息が出来なくなる」
「……さっきから何を、っ!?」
その後の言葉は紡がれない。喉を抑え、膝から崩れ落ち、突然止まった呼吸に根源的な恐怖を覚える。
「そういうことだ。六十日後、楽しみにしている」
「っ……な、にが……楽しみ……ぷはっ!?」
死神から解放された早奈は、暴れる心臓を押さえつけるように荒い呼吸を繰り返す。
理解不能の無呼吸。説明のつかない現象。早奈はそれだけで、嫌でも実感させられた。
「私は、本当に死ぬんだ」
早奈はまるで腕を糸に吊られたように持ち上げる。そして、何も無い虚空を掴むと。
「ねぇ……嘘でしょ? 二ヶ月後に死ぬ……?」
早奈の瞳は揺れる。その問いかけには誰も答えない。そもそも誰かに発したものでもない。
「やだよ、だってまだ十七歳だよ……?」
そう呟くが、既に死神は消えている。ぞわりと突き抜ける悪寒から身を守るように、早奈は両手で身体を抱きしめた。
「嘘、うそ……、だってそんなの、そんなのおかしいじゃん! やりたいことだって、そんなのなくたって! 普通生きていられるって思うじゃん!」
早奈の慟哭は辺り一帯に響く。まるで本当に自分が死の宣告を受けたような、真に迫った演技。
六十日後に突然死ぬ。言い換えると、六十日後までは普段と変わらない元気な状態。
希望があることが、かえって残酷さを演出する。
「意味わかんないよ……」
小声だが確実に聞こえる早奈の弱音。声が消えると同時に早奈を照らしていた照明がパッと消える。
次に照明が照らした舞台は、学校の教室の様子だった。
「ねぇ、アンタそんなに落ち込んでどうしたの?」
そう早奈に質問したのは主人公役に選ばれなかった先輩の一人。早奈や綿には劣るだけで、勝負を挑めるだけの技量はあの人も持っているのだ。
「え? いや、ちょっと考え事をね」
「考え事?」
先輩は首を傾げてオウム返しする。何か重大な問題でも抱えているのだろうかと訝しむ。
「もし二ヶ月後に死ぬとしたら、今何をする?」
「はい? 何かの心理テスト?」
「良いから」
突拍子もない謎の質問に、先輩は再度首を傾げる。やがて思いついたのか、ハッと何かに気付いたように目を丸くする。
「やりたいことを全部するかな」
「やりたいことを、全部?」
「うん。どうせ死ぬんだったら最後は後悔がないようにしたいじゃん? あたしならそうする」
「後悔……、そっか」
早奈が気付かなかった簡単なこと。誰しもいきなり死を意識させられたら正常な判断は出来なくなるだろう。早奈はなるほどと軽く頷いた。
「ありがとね」
「何、アンタ死ぬの?」
「どうだろ。でも死にたくはないよ」
「そんなの当たり前じゃん。変なの」
興味を無くした先輩はそう言って下手に捌ける。早奈はその姿を見送り、そして一度伸びをした。
「よし! 帰ったらやりたいことリスト作ろっと!」
早奈は両手でガッツポーズをとる。無理やりテンションを上げている様が手に取るようにわかった。
……余談だが、こういった伸びやガッツポーズとかの細かい仕草は監督の指示によるものだ。俺はあくまで脚本。小さなところのリアリティは基本的に監督が作り上げる。
暗転する。今度は背景がない舞台。早奈はそのど真ん中に立ち、上を向いて考え事をしていた。
「やりたいこと……いや、やったことないことかな?」
声音は明るい。早奈は続ける。
「海外旅行はしたことないでしょ、男子と付き合ったこともないでしょ、それにケーキをホールで食べたこともない」
一つ言っては指を折る。その調子でテストで一位や芸能人に会いたいなど、どんどん続け、早奈の羅列が止まったのは十五個を超えた辺りだった。
「……ただ、残りは二ヶ月。現実的じゃないものは、うん」
言葉を濁す早奈。口を一度キツく結び、そして、納得するために。
「諦めなきゃ」
それは当たり前の選択で、当たり前の事実。
口にした早奈は、そこで初めて明確にタイムリミットを意識する。
「……ダメダメ! 暗くなっちゃダメ!」
パンパン、と自分の顔を叩く。それは目を覚ます行為というよりは、その痛みで気を逸らすと言った方がしっくり来た。
トントンと俺の左肩が叩かれる。隣に座る紅葉は何か言いたげな目で俺を見ていた。
「どうした?」
「早奈ちゃん凄いね。こんな人と本当に牧之瀬さんは渡り合ったの?」
「牧之瀬……ああ、綿な。少なくともオーディションの時はな」
そう言うが、舞台に目を移すと──そうも言えなくなる。
今日の早奈はいつも以上に気合いが入っている。出来も凄まじいもので、脚本としての俯瞰的な視点を外せばすぐに物語へ引き込まれる。そういう作りにしたつもりだが、それだけではないことは脚本である俺が一番理解出来た。
「……これはプレッシャーかかるなぁ」
「だね。でもわたしも負けるつもりはないからね。フウもしっかりしてよ」
「そりゃ勿論だ。それに手抜ける程器用じゃねえよ」
「ふふ、知ってる」
そう考えると手を
閑話休題。そんなことを話している間にも演劇は進む。
最終的に絞ったやりたいことは七つ。叶える過程で行く先々の色んな人と出会い、時にはその人達の問題にも首を突っ込んだりもする。
そうして演劇は終盤に向かう。実際にかかった日数は五十七日。中途半端に残った三日、早奈は友達や親、様々な人に改めて“ありがとう”を伝えていった。
彼らは自分もありがとうを伝えたり照れくさがったりと様々だ。だけど皆一様に、彼らの表情は笑顔ばかり。
最終日。早奈は公園のベンチに座りながら、実に二ヶ月ぶりの虚空へと話しかける。
「居るんでしょ? 死神」
そこに居ると確信した呼び掛けは、一寸の迷いもない。
「居る」
返事はぶっきらぼうだが、確かに答える。冷たい声色は悲しくなるくらい、初めに聞いた時のものと変わっていない。
「……ね。今日死ぬっていうのは、やっぱり変わらない?」
「変わらない。今から十二分と三秒後に死ぬ。ギリギリだったな」
「え、そんなに早いんだ。じゃあ今呼び出して正解だったね」
「そうだな」
不自然な程淡々と言葉を紡ぐ早奈に、いつも通り自然に淡々と答える死神。
そのアンバランスさが、客の目を引き付けていく。
「……私ね。この二ヶ月間、やりたいこといっぱいやったんだ」
「そうか」
「ちょっと、話打ち切らないでよ? まあそれでね、それもタイムリミットに間に合っちゃって。残りはみんなにありがとうを伝えていったの」
「それはさぞ難儀だっただろうな」
「ふふ、今度は話を続けてくれた」
「……知らん」
舞台には依然として早奈しかいないが、観客には確かに死神の照れた顔が浮かんだことだろう。早奈は愉快そうに笑って続ける。
「死神! ありがとね! 今日死ぬって教えてくれて!」
「……は?」
「もー、二回も言わせないでよ。ありがとって言ったの!」
「……いや、わからんな。何故俺がお前にそんなことを言われるのだ。恨まれこそすれ、間違っても礼など」
「死神が居なかったら、私後悔でいっぱいだったよ。死ぬならこうしとけば良かったなぁ、みんなにもっとありがとうって言っておけば良かったなぁって」
長いセリフ。最後の言葉尻は、少しだけ揺れていた。
「ありがとう」
「……同情を誘ってるつもりか知らんが、何をしても死期は変わらんぞ」
「そんなこと思ってないよ。ただ本当に、ありがとうって思ってるだけ」
早奈はベンチから立ち上がる。そして大きな溜め息をつきながら、小さく舞台を一周した。
「……あーあ! 楽しかったなぁ! 今度は長生き出来るように今から祈っておこ!」
「そうか」
「初めは嫌がらせにしか思ってなかったし、正直大っ嫌いだった。だけどね、死神」
次に続く言葉は、恐らく誰もが予想出来ている。
だからこそ、一つだけ捻った。
「大っ嫌いから、嫌いくらいになるくらいは感謝してるよ! ありがとう!」
「……ふん」
緞帳が降り、舞台が隠される。それは紛れもない終わりの合図で、少しすると講堂内の照明が灯る。急に明るくなったので目が痛い。
……さて、次は俺達の番だ。失敗はしないように頑張らないとな。
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