第12話 牧之瀬綿という後輩

 放課後、俺は演劇部に顔を出していた。

 朝監督に渡した脚本をコピーしたものをAチーム全員が黙々と読む。何だか品定めされているみたいで居心地が悪いな。俺は書いた側だからやることもねえし。


 ペラ、ペラと紙が捲られる音を聞くこと二十分。部員はあらかた読めたようで、各々で感想を言い合っているようだった。

 隅っこにいた男子二人も。


「これ結構良いよな……」

「うん。何より成宮に合ってる物語だと思う」


 印象は良さげで何よりだ。早奈に合ってるってのも……まあ意識しなかったとは言えない。俺の中で主役と言ったら基本早奈だからな。その点は贔屓と言われても否定出来ない。

 ざわついてきた部室。みんなが本格的に話し出したところで、監督が手を叩いてパン! と大きな音を立てる。部員は水を打ったようになった。


「僕は良いと思ったんだけど、みんなはこの脚本に異論ある?」


 監督の問いかけ。誰も口を挟む様子はないので、監督は続けた。


「うん。なら早速役を決めていこうか。被った場合はいつも通り僕と顧問の平先生、あと水瀬でオーディションをするからね。じゃあまずは主役から」


 役決めは基本的に挙手制だ。自分に自信の無いやつはチャンスすらもらえない、ある種ドライな決め方。だから基本的には。


「「はい」」


 手を挙げる二人の先輩。大体の役は後輩が気を遣って年功序列になる。


 もう一度言うが、基本的にはそうなのだ。つまりそうじゃないやつも存在して──


「はい!」


 元気良く返事をして挙手する早奈。瞬間先輩二人の顔が曇った。

 ……よく見たらあの二人、前の部活紹介のリハで嫌な顔をしていた先輩達じゃねえか。そういうことだったんだな。


「よし、じゃあ主役は三人で……「あの、私も良いですか?」……あ、うん。ごめん、早とちりしちゃって」

「ありがとうございます」


 監督へペコリと頭を下げる女子。小さな身体のそいつは確か。


「お、おい……あれ一年だよな?」

「ほら、入部初日に成宮に喧嘩売ったやつ」

「ああ、居たな」


 牧之瀬綿。確か早奈を倒すと宣言していたやつだったな。

 周りから奇異の視線で見られていることを一切気にしていないのか、牧之瀬綿はどこ吹く風といった様子でにこにこしていた。俺ならリバースしかかっているところだな。流石主役志望、ハートの強さが違う。


「じゃあ次は……」


 監督が主役志望の四人の名前をメモし終えたところで次の役決めに入る。

 ちら、とさっきのくだんの四人を覗き見る。先輩二人は早奈と牧之瀬綿を見て露骨に嫌そうな顔をし、早奈はいつも通り特に何も感じていない様子。牧之瀬綿も別段変わった様子はない。


 面接は来週だ。はたして誰が主役を勝ち取るのか。監督も平先生も、勿論俺も。全員贔屓はしないつもりで選ぶつもりだ。

 ……下馬評で早奈が頭何個も抜けているのは、やっぱり事実なんだろうけどな。




 やることもないので演劇部の練習を見ること二時間。役も決まりきっていないので基礎練後は各自自主練という形で進んでいる。

 俺は部室の隅であぐらをかきながら見ていたが、これなら帰っても良かったと後悔していた。


「残るのは役が決まってからにすりゃ良かったなぁ……」

「そうですか?」

「うわぁ!?」


 ささっと後退して声をかけてきた相手を確認する。敬語使ってたってことは一年か……?


「……あ、牧之瀬綿」

「長いです。綿で良いですよ」

「良い名前だよな、綿って」

「ありがとうございます。私も気に入ってるんです、名前」


 お手本のような笑顔。人当たりも良さそうだ。


「何かふわふわした感じで好きなんですよねー。ほら、綿毛とか可愛くありません?」


 ……だからこそ、初対面とのギャップが凄い。初めはいきなり早奈に喧嘩を売る周りの見えないタイプかと思ったら、案外そうでもなさそうだ。


「そうそう、水瀬先輩」

「ん? 何か脚本のことで質問?」

「いえいえ、そうではなく。今日一緒に帰ってもらえません?」

「え」

「……女子が男子を誘うのって、やっぱり変なこと考えちゃいます?」


 お、おお? これは俗に言うモテ期ってやつなのか? 女子には早奈で慣れたつもりだったけど結構緊張するなぁおい。それも綿みたいな可愛いやつからだと余計にしてしまうぞ?


「い、いや。俺は別に大丈夫だけど」

「じゃあ早速帰りましょ! もう各自解散なんです」


 あ、いつの間に。指示とか何も聞いてなかった……じゃなくて展開早いな! いやカバン隣にあるから帰れるけども!


「……綿は肉食系ってやつなのか?」

「ふふっ、何言ってるんですか。さあ帰りますよ」

「おっと」


 手を引かれて歩き出す。何か手繋いでるみたいで恥ずかしいな……。


「あ、楓真! 今日一緒に……」

「悪い早奈! 今日は無理だわ!」

「えー? 何で……え゛っ」


 およそ女子が出していいものじゃない声を上げる早奈。クッソ、気付かれずに出ていけてたら丁度良かったんだけど……まあ過ぎたことは仕方ない。

 早奈の呆然とした顔を後目に、俺は部室を出ていった。




 日が落ちるのも遅くなったもので、六時を回っているのにまだまだ明るい。これからどんどん暑くなるんだろうなという予感がヒシヒシと伝わってくる。


「ねえ水瀬先輩。成宮先輩はどうです?」

「どう? 何が?」

「その、私が初日に勝ちます宣言したこととかに対して、ライバル心とか」

「あー……。その時は嬉しそうにしてたけど、今は別に何も聞かないな」

「はあ!? 何もですか!?」

「っ!?」


 突然大きな声でキレる綿。鬼の形相で詰め寄ってくる。

 え、何これ怖い。何で急に怒んの? 怖い怖い。


「……失礼、取り乱しました」

「あ、うん……」

「そうですか。特に変わった様子はない……」

「……つかぬことをお伺いしますが」

「何ですか、その喋り方。普通で良いですよ?」


 誰のせいでビビったと……! 口には出さねえけど……!


「……お前、早奈のこと嫌いなのか?」

「まさか! 一番尊敬してる先輩ですよ!」

「ん? 一番尊敬してる?」


 なのに喧嘩を売ったのか? 理解が追いつかない。


「ちょっと自分語りしますけど、引かないでくださいね?」

「おお、安心してくれ。人の話を聞くのは好きなんだ」

「ふふ、適当なこと言っちゃって」


 くすりと零す綿。綿は小さく深呼吸をした。


「私、成宮先輩に今よりもっと輝いてもらうためにAチームに入ったんです。部活紹介の演技を見て、やっぱりそうしようって」

「やっぱりってことは、昔の早奈を知ってるのか?」

「昔って言うと子役時代ですよね。勿論知っていますよ」


 一時期はテレビの引っ張りだこだったから、綿が知っていてもおかしくはない。人気子役は伊達じゃないってことだな。


「ただし、私はもっと近いところで見ていました」

「近いって……」

「そのままの意味です」

「っ」


 綿の目には早奈への憧れと、そして少しの諦め。俺は喉まで出かかった質問を飲み込んだ。

 何となく今は口を挟めない。その一瞬の、綿の厭世的な雰囲気に俺は飲まれた。


「あの人を奮起させるには実力がいるんです。……もう一度、あの世界に戻ってもらうためには」


 あの世界。つまりは芸能界だろう。もしかしたら綿には早奈が芸能界を飽きたからやめたように見えているのかもしれないな。


 本当のことは言えるはずもないんだが。俺は綿の話に頷きもしないまま、無言で家路を歩いた。

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