第3話 昔の早奈と今の早奈

「フウ、起きて。朝だよ」


 シャーっとカーテンが開けられ閉じたまぶたに光が差す。薄目を開け……、しかしやっぱり目を閉じる。


 あ、ダメだこれ。今日眠いやつだ。寝よう。


「おやすみ……」

「フウったら! そんなんじゃわたしまで遅刻しちゃう! ほら、早く!」

「うぅ……、わかったから揺らすのやめろぉい……」


 俺の身体をゆさゆさとしてくる柔らかい手。

 あー、起きたくねぇ……。


「ん、うあぁ……」


 ベッドから起き上がり、伸びをする。身体中からバキバキと音が鳴った。


「うわ、フウどんだけ身体なまってるの。音鳴りすぎでしょ」

「大人になると色々あるんだよ」

「別にわたしとフウは一つしか変わらないじゃん! もう、さっさと起きる!」

「おわっ!?」


 布団をバッと剥ぎ取られる。何かこいつ母さんより母さんしてるよな、ホント……。


「下のリビングで待ってるからね!」


 バタン! と閉められる俺の部屋のドア。

 ……今ならもう一度寝てもバレないぞ。なんて悪魔が囁くが、俺は自身の両頬をパチンと叩いた。

 まあ、待たせるのは可哀想だからな。




「ふぁ……」

「わ、大きなあくび。昨日何かしてたの?」

「演劇の脚本をちょっとな……。一時間弱の物語って意外と長尺でさ」


 顔を洗って身体をシャッキリと目覚めさせた後、リビングで食パンをもさもさと食べ進める。

 訊いてきたのは 俺の妹である水瀬紅葉もみじ。歳は一つ下で、同じ高校に通っている。

 紅葉の髪は胸のところまでで切り揃えられたストレートの黒髪をしており、女子にしてはそこそこ高い身長だが反面胸は小さい。スレンダーという言葉がとてもよく似合う。


「そう言えば母さんは?」

「撮影」

「へえー、こんな朝っぱらから大変だなぁ……」

「仕方ないよ。水瀬真紀・・・・だもん」

「まあなぁ……」


 水瀬真紀とは、日本中に轟く名女優の名前であり──俺達の母親でもある。

 早奈のお母さん(こちらも名女優だ)とは高校生の頃からライバルであり親友でもあり、そして俺達が幼馴染みになったのだ。


「そう言えば母さん達もうちの演劇部に入ってたらしいな。AとBで分かれていて、それでライバルだったそうだが」

「知ってる。わたしも演劇部に入るつもりなんだもん、少しは聞いてるよ」


 お、やっぱり演劇部に入るのか。紅葉も早奈と同様、親に憧れてるからなぁ。納得出来る選択だ。


「紅葉はAチームかBチーム、どっちに入るつもりなんだ? やっぱり早奈が居るAチームの方が安心?」

「そこは部活紹介の時の演劇を見てから決めるつもり。早奈ちゃんが居る方がわたしも気が楽ではあるんだけどね」

「早奈、紅葉のこと大好きだもんな」

「うん」


 食パンの最後の一切れを口に放り込み、時計を確認する。時刻は七時四十分。家から高校までは十五分程なので、まだまだ余裕がある。


「俺は五十分くらいに家出るつもりだけど、紅葉は?」

「わたしも五十分」

「一緒に行くか?」

「……フウと一緒は恥ずかしいけど、道間違えたら嫌だから」


 そっぽを向きながらぼそりと答える紅葉。

 道を間違えるほど通学路に入り組んだところはない、なんて言うのは野暮だな。一緒に行ってもらえるうちは行って、反抗期が来たらそっと優しく見守ってやろう。


「……何? フウってば変な目でわたしを見ないでよ」

「ふふ」

「え、何!? ホント気持ち悪いよ!? 変な笑い方しないで!?」

「待て待て紅葉。やり出したのは確かに俺だけどあんまり言われると泣いちゃうぞ。俺は繊細なんだ」

「だって気持ち悪かったし……」


 心底嫌がっている様子で俺を見て……あっ! あいつ今何気に距離とりやがった!


「今ちょっと逃げたのに俺が気付かないとでも思ったのか紅葉め!!!」

「うわぁ!? こっち来ないでよ気持ち悪い!」


 そして始まる室内鬼ごっこ。ドタドタと追いかけ逃げる姿はまるで某ネコとネズミのよう。


 結局、何だかんだやっていたせいもあり家を出たのは八時を回った後だった。




『ねぇ楓真! あたしの練習に付き合ってくれない?』


 視界が軽くぼやけて霞んでいる。これは夢だ。夢を夢と自覚する、明晰夢。

 俺の目には早奈・・と俺・・が映っている。今よりもどちらも背が低い。これは確か中学二年生の頃の記憶だな。

 夢の中のは早奈の申し出に頷き、そこから早奈の空気が一変する。役に入ったのだろう。


『“私、おじさんのことは全部知ってると思ってた。優しいところも、厳しいところも”』

『んんっ……、“悪いところ、は知らなかったんだろう。人は知りたくないものは見えなくなるんだよ”』


 早奈の堂に入った演技は勿論のことながら、俺のそれも中々様になっている。

 こうして見ると、俺も結構演技上手いんだよな。伊達に早奈や母さん、紅葉に練習相手を頼まれるレベルではない。


『“でもね、おじさん。私嬉しいんだよ? だってまだまだおじさんのことを好きになることが出来るんだから”』

『“はは、これは参ったな。知ることは好きになることと同じかい。まるでかつての私みたいだ”』

『“……いつかは、お父さんって呼ばせてね”』

『“いつかが来ると良いね。私もその時を待っているよ”』

『はいオッケー! やっぱり楓真も上手いねー!』


 さっきまで涙を溜めていた早奈はコロッと態度を変え、自然にの腕へ抱きついてくる。も満更ではない様子で、困ったように頭をポリポリとかいていた。


『……なぁ、早奈』

『何?』

『今後はさ、早奈も子役としてじゃなくて女優としてガンガンやっていくんだよな?』

『だねー。早くお母さんと同じ舞台に立ってみたいな』

『……てことはさ、当然ラブシーンも……』

『あ……』


 は言いづらそうに、そして恐る恐る訊いた様子だった。対する早奈も、現実的なことを考えて二の句が継げなくなっているようだ。

 今の言葉、当たり前だが言った覚えがあるな。言うかどうかが頭の中をグルグルと駆け巡り、恐らく言うべきではなかっただろうが、俺は我慢出来ずに訊いてしまっていた。


『……ごめん早奈。変なこと言ったな。さ、練習しようぜ! じゃないとまた鬼監督にNG食らうぞ?』

『あ、うん。そうだね、NGは死んでも出させない』

『おお、その意気だ』


 無理やり話を変えるに、わかりやすく乗っかる早奈。ぎこちない雰囲気はそのままに、練習が再開される。


 が、そんな空気感でさっきまでのような上手な演技が出来るはずもなく。


 俺達は、そこから徐々に……──




「──おい、水瀬! もう放課後だぞ!」

「……あ?」


 のそりと身体を起こし、辺りを見渡す。

 俺以外には起こしてくれた宗太郎以外に居らず、教室は閑散としていた。


「あれ、俺いつから寝てたんだっけ……」

「五時間目の半ば辺りからはずっと寝てたと思うぞ。そういや楓真朝から眠そうだったな。何、昨日ハッスルし過ぎた系?」

「ちげえよ脚本書いてたんだよ万年猿野郎が」


 教室の時計を見ると、既に時刻は午後五時を指していた。終礼から既に一時間、五時間目の半ば辺りからだとすると三時間以上寝てたことになるんだな。


 ……ん?


「宗太郎、お前何でこんな時間になるまで俺を起こさなかったんだ?」

「何でって、そりゃあオレも寝てたからに決まってんじゃん」

「昨日ハッスルし過ぎた系か?」

「……ぽっ」

「口でぽっとか言うなよ気持ち悪いな!」


 てかハッスルしてた事実も気持ち悪いわ! 何想像させるんだこいつ!


「楓真はこれからどうすんの? 帰るだけ?」

「別にどこか寄っても良いけど」

「いや、オレには日課の図書室訪問があるから。今日は一時間も遅刻しちゃってあの子も退屈してるだろうし」

「お前そんなことしてたのか……」


 こいつの図書委員系眼鏡女子好きはもう筋金入りだな。一周回って尊敬すら覚える。


「……なら俺も演劇部でも覗いてくるかね。今日は確か部室での練習だったか」

「ああ、演劇部のあのめちゃくちゃ広い部室な。しかも二つも。有名だよなー」

「んじゃ俺行くわ。じゃあな、宗太郎」

「おうよ」


 カバンを持って教室を後にする。まさかこんな時間まで寝てるとはな。すっかり遅くなってしまった。




 演劇部Aチームの部室。俺はドアを数センチ程開けて中を覗く。

 中の演劇部員達は各々がシーンを切り取っていくつかに分かれて練習していた。中でも早奈は主役のため、あちこちに引っ張りだこにされている。


「成宮ー! 次はこっちを頼むー!」

「はいはーい! 今行くねー!」


 そうして行われる早奈の演技。観客からの見え方も意識した、演技において一番心に届くもの。


 間違いなく、あの頃よりも。俺と付き合っていた頃よりも上手になっていた。


「別れて正解だったな」


 覗いていたドアを閉め、俺は言い聞かせるように呟く。誰になんて、言わなくてもわかるだろう。

 チクリ。俺は不意に感じたそれを気にしないように努めたのだった。

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