第2話 早奈の所属する演劇部とは

 合計五百人は入りそうな程の大きな講堂。対して今そこに居る人間の数は二十人程で、その大部分も演者や裏方であり、座席に座っている人はさらに少ない。

 俺はそのうちの一人で、今まさに行われている演劇の通し練習を眺めていた。


 主役の早奈が壇上を舞う。その行動一つ一つが観客を惹きつけるようだ。


「家族はみんな本当の私をわかってくれない! どうせ娘のことなんて傀儡くぐつにしか思っていないのよ!」


 見えない観客へ訴えかけるような叫び。日常ではおよそ言うことのなさそうなセリフでさえも、早奈はあたかも自分の言葉のように紡ぐ。


「私には本当にしたいことがあるのに!」


 早奈は澄んだ声をしており、この大きな講堂でも満遍なく響き渡る。これも早奈の生まれ持った才能の一つだ。


 本来は一時間弱ある演劇だが、今回は新入生に見せるものなので本来のそれとは時間が異なる。興味のない人が飽きない程度に楽しめるくらいで、正味十分といったところだろうか。


 そのまま見続けること丁度十分。ラストシーンが終わり、方々からお疲れとの言葉がかけられる。俺は小さく拍手をした。


「ねえ楓真ー!」


 壇上から手をぶんぶんと振りながら声を張り上げる早奈。あんまデカい声で俺を呼ぶな、注目される。


「あたしの演技、どうだったー?」

「……」

「ねーえー?」

「ああもう良かったよ! 細かいところはこっち来たら言ってやるから!」

「はーい!」


 早奈には心臓に毛が生えてるんだろうな。それも剛毛。生まれた頃からずっと一緒に育ってきたってのにここだけは正反対だ。

 隣に一人の男子生徒がやってくる。少し離れたところで俺と同じように客席から演劇を見ていたやつだ。


「水瀬、どうだった? うちの演劇は」

「おお、良かったと思うよ。監督」

「そう言ってもらえると光栄だなぁ」


 百八十センチは超えそうな身長で横にもデカい力士タイプ、しかしその威圧感とは対照的にとても優しそうな顔の人物だ。俺や早奈と同じ二年生で、こいつは監督を務めている。ちなみにクラスが違うから本名は知らない。


「何か気になったところはある?」

「いや、特にないよ」


 みんな生き生きと演技を楽しんでおり、それがこちらまで伝わってくる。これなら新入生の心も掴めそうだ。


「成宮はどうだった?」

「うーん……。基本的には良いんだけど、ちょこちょこ俺の思ってたのとズレがあるんだよな」

「流石脚本家、あの天才成宮にもツッコめるなんて凄いや」

「脚本家なんて仰々しい名前で呼ばないでくれ。調子乗ってるとか思われたらどうするんだ」

「それは考えすぎだよ……」


 とは言うが監督よ、もし誰かに聞かれていたらどうするんだ? 怖いだろ。怖い。

 そして脚本家と言われたように、俺は今の演劇の脚本を書いている。発端はつい先月のことで、今まで脚本を書いていた先輩が卒業してしまったからだ。


「今思えば早奈って俺にかなり無茶ぶりしてきたよな。いきなり脚本書けとかわけわかんねえだろ」

「そうだね、それは僕も思うよ」

「だよな!? 俺はそろそろ早奈に説教してやっても良いと思うんだ」

「でもそれは、成宮が水瀬を信頼していたからこそじゃないかな。現に書けてるし」

「……まあ、昔から物語を考えるのは好きだからさ」


 俺の言い訳のような言葉に、監督はふわりと笑う。感じの良い笑顔だ。

 視界の奥で壇上から客席に繋がる階段を早足で降りる早奈が見える。案の定早奈は俺の元へ駆けてきた。


「ねえ楓真! どうだった?」

「さっき言ったじゃねえか」

「それでも聞きたいの!」

「良かったと思うよ。見ていて引き込まれた」

「ありがと! でもそれは楓真の脚本のおかげでもあると思うけどね。ね、監督!」

「うん。水瀬の脚本は素晴らしいよ」


 早奈に同調して監督もそう言ってくれる。

 あんまり褒められるのは慣れていないからやめてほしい。嬉しいから別に止めはしないけどさ。十分に収まるように頑張って考えたもんなぁ……。


「で、楓真。肝心の細かい部分は?」

「ん。まず家族に怒ってたシーンあるだろ? あそこはあんまり怒ってほしくない」

「悲しむってこと?」

「勿論怒るのは必須なんだけどな。その辺の塩梅はほら、わかるだろ? なんせ幼馴染みだ」

「大丈夫! ちゃんとわかったよ!」


 そう宣言した早奈の顔は自信に満ち溢れていた。これなら大丈夫そうだな。


「監督、これなら勝てそうか・・・・・?」

「相手はBチームのことだよね? でも別に新入生獲得は勝ち負けじゃないよ」

「変な学校だよねー。演劇部はAチームとBチームに分けて競わせるなんて。上手な人も分散しちゃうじゃん」

「あれだろ? 切磋琢磨して実力を磨く。お前らの顧問のたいら先生が言ってた気がする」

「……平先生ってもうおじいちゃんだよ?」


 だから言ってることはわからないってか。平先生がそれ聞いたら泣くぞ。まあ明言しなかったのがせめてもの救いか。


「確かに平先生はボケが来てるからね」

「監督は言うのかよ!」

「え? 何が?」

「……良いよ、何でもない」


 どいつもこいつも人の気持ちをわかっていない……。俺が裏でそんなこと言われてるって知ったら熱出して寝込むぞ? 繊細な心は繊細な身体に宿る。これ鉄則。


「……監督。この後の予定は?」

「後はミーティングかな。水瀬も参加する?」

「俺はしなくて良いよ。そもそも演劇部じゃないし」

「楓真も入れば良いじゃーん」

「面倒臭い」

「本音は?」

「面倒臭い」

「あれ、意外。楓真のことだから恥ずかしいとか言うかと思ってた」


 より正確に言うと『演劇部に入ったら最後早奈に演者を強要されそうだから“面倒臭い”』だ。

 別に演技自体は苦じゃないけど、人前が嫌。ここは譲れない。それこそ妹が人質に取られたとか以外はな。


「まあそういうことだから、俺は帰るわ」

「うん、今日はありがとね」


 俺はその場を後にし、監督の言葉に身体は向けないで手を振った。

 そう言えば母さん家に居るのかな。居なかったら飯どうするかねぇ……。




 オレンジの夕焼けが彩る遊歩道。四月の心地良い暖かさと相まって何だかぽかぽかしてくる。俺は噛み締めるようにゆっくりと歩いていた。

 だが、そんな空気をぶち壊すように後ろから走ってくる音が。誰かなんて振り返らなくてもわかる。


「楓真ー! 一緒に帰ろー!」

「っておわっ!? 抱きつくな早奈!」


 後ろから背中に飛びついて来たのは、やはり早奈だった。柔らかい感触が全体的に伝わってくる。


「落ち着け、早奈。誰かに見られたらどうするんだよ」


 俺の胸の前に回していた早奈の手を解くと、渋々俺から離れた。不満げなオーラが漂っているようだ。


「なあ早奈、あんまり言いたくないんだけどな……」

「じゃあ言わなくて良いよ。あたしも聞かない」

「……俺とお前は今は付き合ってないだろ? 早奈は俺の元カノで、俺は早奈の元カレだ」

「……聞きたくないって言ったのに」


 聞きたくないは言ってなかっただろ。そんな野暮なツッコミはしないけど。


 俺が別れを切り出した理由。それには二つの側面がある。

 一つは俺と付き合いだしたことによって子役だった早奈の演技に支障が出た。小学生から中学二年生まで天才子役としてバリバリ活動していたが、ある時早奈の演技から“子どもらしさ”が消え失せた。


 恐らく早奈はこれが別れた理由だと思っているだろう。だがこれは“素の早奈が成長しただけ”であって、むしろ演技の幅が広がったという、本来とても良いことだ。


「子役はやめたもん……」

「早奈はもう一度芸能界そこに戻るんだよな?」

「それは勿論そうだよ。いつか“成宮瞳子”と共演するんだ」

「親子共演か。それは熱いな」

「うん」


 別れを切り出した本当の理由。それはマスコミに写真を撮られたからだ。しかし子役とはいえたかが中学生の恋愛。そんなことではスキャンダルになるはずのない話だ。


 早奈がアイドルのように売り出されていたければ。


 いち早く写真の件を嗅ぎつけた早奈の事務所は、金を積んで揉み消した。そして俺はこの一連の流れを女優である早奈のお母さんから聞き、別れることを決めたのだ。


「……でも早奈は子役、やめたんだよなぁ……」

「? まあ表向きは勉強に専念するためって言ったよ」

「早奈はバカだけどな」

「何さー! 楓真だってそんなに頭良くないでしょ!」


 早奈は心外とばかりにぷりぷり怒る。俺は右から左へ聞き流した。


 ……早奈が子役をやめたんなら、別れる必要もなかったんだろうけどな。


 時折去来するその考えは、いつまでも宙ぶらりんのまま。付き合ったとしても、今後の視野に入っている女優業に影響がないとは言い切れない。なんせ早奈は元天才子役として既に有名人だから。

 俺は軽く溜め息をつきながら、静かに帰り道の歩を進めた。

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