第15話 諦めと本気と、それから
今回の脚本は、突然余命宣告された女の物語だ。
高校からのなんでもない帰り道、黄昏時、逢魔時に現れる死神に残り二ヶ月しか生きることが出来ないと告げられる。死因は突然の心臓麻痺と、止めることが出来ない、かつそれまでは元気に生きていられるもの。希望があるのがかえって残酷に映る。
演劇部員達の前に一人立つ早奈。今度のオーディションは空き教室に移動せず、今居る部室で行う。
「じゃあ成宮と牧之瀬にはさっきオーディションでやってもらったところをやってもらうね。大丈夫?」
さっきやったところとは、死神に宣告を受けた直後の取り乱すシーン、自身の決められた命日までにやりたいことを取捨選択するシーン、そして最後の死神にありがとうを告げるシーンだ。
二人は監督の言葉にしっかりと頷き、それを見て監督は笑顔を浮かべた。
「うん、じゃあまずは成宮からやってもらおうかな」
「わかった」
早奈は横に並ぶ演劇部員の数歩前に立ち、ゆっくりと息を吸う。
「ふぅ」
目が変わる。いつものにこにこと明るい表情から一転、感情のない鋭い目付き。早奈は演技の時は一度フラットにしてから役を入れ込むのだ。普段とは違いすぎるため、いつ見ても慣れない。
早奈はまるで腕を糸に吊られたように持ち上げる。そして、何も無い虚空を掴むと。
「ねぇ……嘘でしょ? 二ヶ月後に死ぬ……?」
始まった早奈の演技に部員達は感嘆の声を漏らす。早奈の瞳は揺れていた。
「やだよ、だってまだ十七歳だよ……?」
そう呟くが、既に死神は消えている。ぞわりと突き抜ける悪寒から身を守るように、早奈は両手で身体を抱きしめた。
「嘘、うそ……、だってそんなの、そんなのおかしいじゃん! やりたいことだって、そんなのなくたって! 普通生きていられるって思うじゃん!」
……うん、やっぱり上手だな。いつも通り上手い。俺の思った通り、早奈の演技だ。
こういう解釈もあるもんなんだな。いつもながら感心させられる。そしてここが早奈と綿の違うところだ。綿は俺の思った通りの、早奈は俺とは違う視点の演技。どちらも甲乙つけがたい。
そんなことを考えながら早奈の演技を一通り見て、早奈の最後の演技が終わると、部員達から自然と拍手が降り注がれた。
「良いね。流石成宮だよ」
「えへへ、ありがと!」
さっきまでの鬼気迫る演技は既にどこ吹く風、いつもの朗らかな様子でお礼を言う。
さて、次は綿だ。早奈の演技を受けて、綿の演技がどう変化するのか。今から楽しみだ。
チラッと綿に目をやる。感情は読み取れなかったが、やっぱり、なんて言いたげな顔をしていた。
「じゃあ次は牧之瀬だけど、大丈夫?」
「はい」
早奈が部員達の列に戻ると同時に綿は前に出て、こちらに振り返る。
……ん? 何だ、あの目。諦め?
そんな俺の疑惑なんて知らないと言わんばかりに、手を前に突き出す。
「ねぇ……嘘でしょ? 二ヶ月後に死ぬ……?」
「「「おお……!」」」
一年生とは思えない完成度。想像以上の綿の演技に部員のみんなが驚く。
──俺と監督、平先生を除いて。
明らかにさっき見せたものとは違う、ただこなれただけの演技。本当の実力を知らないやつらからしたら、確かに上手に感じるだろう。感じるだろう、けど。
……ああクソ、本当はこんなことしたくねえけど!
「一旦中断だ!」
パンパン、と手を叩いて演技をやめさせる。何事かと部員全員の視線が俺へ集中した。
「水瀬……?」
監督も思わず俺の名前を呟く。
どうせ監督は綿の演技に何も言うつもりなかったんだろ? だったらもう俺しか言えるやつがいねえじゃねえか。
「綿、もう一度やり直せ」
「ほっほ。良いぞ水瀬」
「……何がおかしいんですか、平先生」
「いやいや、ワシのことは気にせずに」
愉快そうに笑う平先生。
……クッソ、改めて考えると恥ずかしいな。綿も面倒なことさせやがって。
「本気でやれよ、綿」
「……やだなぁ水瀬先輩、これがわたしの本気ですよ? 手を抜くわけないじゃないですか」
やっと言葉を返した綿だが、その内容はまたしても今を本当のものとする、平たく言えば嘘だった。
……それだよ、今のその演技力を出せって言ってんだけどな。
「これが歴としたわたしの実力です。ふふ、もしかして嫌味ですか?」
「……初めから諦めんなよ」
「はい?」
「早奈に頑張って欲しいとか、そんな言い訳はすんな」
「……」
無言で押し黙る。噤んだ口からは笑みが消え、代わりに綿の瞳が真っ直ぐに俺を見つめていた。
「本気でやって負けたら悔しいからな。そういうことなんじゃねえの?」
「……何ですかそれ、水瀬先輩買いかぶりです。仮にわたしが本気を出してないにしても、どっちにしろ負けますよ」
「それが初めから諦めてるって──」
「周りを見てください。皆さん先輩のこと変に思ってますよ」
言われて一瞥する。確かに俺を不審に思っている目でいっぱいだ。
ただ。
「今はそういうのは良いんだよ」
「っ!」
「一年生だから、相手が早奈だから。……俺がそんなんで贔屓すると思うか、って言っても付き合い短いからアレだな……」
顎に手を添え考える。何か良い理由はないものか。
……思いつかねえな。
「本気でやったらハーゲンダッツ奢ってやるよ」
「は?」
「あ、いや、気に食わねえんなら他のアイスでも……」
「……ホント、水瀬先輩は変な人ですね。多分ここの人全員が思ってますよ」
「うっ!?」
ド直球に貶してくる綿。周りの演劇部員からもまぁ……なんて同調する声が聞こえてくる。
コイツ、俺が下手に出てるからって俺の繊細な心を抉ってきやがって!
「……はぁ、もうわかりました。ちゃんとやります。それでも勝てるとは思いませんけど」
綿の発言におお、と声を上げたのは俺だけではなく他の殆どの演劇部員もだった。
何しろ今のは本当に本気を出していなかったと認める発言だ。そりゃ周りも沸き立つ。
「ただし、ちゃんとやりますから」
「おお、何でも言ってくれ」
「水瀬真紀と会わせてもらえますか?」
「え、何それ羨ましい! 俺も!」
「うるせえよ綿はともかく誰だお前!」
思わずツッコむ。意図せず漫才チックになったからか、みんなの笑い声によって張り詰めていた空気が一気に弛緩する。
「……ともかく、真剣にやるんなら会わせてやるから。だから頑張れ」
「絶対ですからね」
「絶対だ」
俺はそう言いながら頷くと、綿はやがて頷き。
「……では」
ゆっくりと息を吸い、静かに吐く。
す、と手を真っ直ぐ伸ばして、そして──
………………
…………
……
…
「やっぱり負けたじゃないですか、水瀬先輩」
「しゃーない。でも多数決では良いところまで行ってただろ? 四割くらいは綿に手を挙げてたし」
部活からの帰り道、俺は綿と二人で遊歩道を歩いていた。
オーディションの結果、主役は早奈が務めることになった。結局綿の実力は後一歩早奈に及ばず、早奈に万が一のことがあった場合の代役として落ち着いたのだ。
「まあでも、当初の目的は達成出来てたぞ」
「当初の目的……? ……あ!」
早奈の奮起。綿が言っていた、一番初めの理由。
綿の本気の演技を見た早奈は、それはもう輝いた顔をしていた。
“あたしも頑張らなきゃ……!”
口にはしていなかったが、早奈の目は確かにそう語っていた。
……嬉しそうだったな、早奈。何よりだよホント。
「綿も良かったな」
「……ふん。今回は乗せられてあげましたが、次はこうはいきませんよ」
ジト目で俺を睨む綿。次……つっても、直近でも文化祭くらいか? それはまた長い話だが。
「次は勝ちます。奮起させるなんて、そんな言い訳はしません」
「はは、良いじゃん。その意気だ、綿」
「わっ、頭撫でないでくださいセクハラですよ!」
わっしわっしと髪型を崩す勢いで頭を撫でる。たまに紅葉にやってやるやつだ。
「年齢が同じだからかな、何か妹とダブるんだよ。すまんすまん」
「……で、でも。たまになら……」
「お?」
これはデレか? 顔を赤らめてそっぽを向く綿。どう見てもデレだよな?
「なんて言うと思いましたかバーカ! 水瀬先輩のバカ! 普通に気持ち悪いだけですよ!」
「は、はぁ!? お前先輩に向かって……!」
「……騙されました? 今の演技」
「あっ、そういう……お前すげえな。早奈とか紅葉はリアルではあんまり演技しねえから新鮮だわ」
「ふふっ、これじゃ成宮先輩を抜かすのも時間の問題かもしれませんね?」
柔和な笑みを浮かべて、綿は俺の前に躍り出る。ふわりとスカートが浮き上がった。
「水瀬真紀と会わせてくれる約束、忘れないでくださいね!」
「勿論だ」
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