エピローグ それぞれの思惑

 シルファとの朝食を終えたアレックスは、自室のソファーに腰掛けながらマップを眺めていた。


「はぁー、まったく……あいつらときたら、休暇の意味をわかってるのかねぇ~」


 アレックスが無遠慮に盛大なため息を吐くと、コーヒーのお代わりを注いでいたラヴィーナが、アレックスの一言に反応するようにチラリチラリと何度も視線を向ける。


 アレックスとシルファが共闘することを宣言した日。イザベルの監視下から解放されたラヴィーナは、シルファの従者であるが故に、アレックスの近くでシルファの世話をしていた。そうして近くで過ごすこと一週間が経過していたが、ラヴィーナは未だアレックスに畏怖の念を抱いているようで、彼の一挙手一投足にいちいち反応している。


 その一方、ラヴィーナの主であるシルファの反応は正反対だった。アレックスの発言よりも、べつのことが気になるのだろう。彼女の双眸がコーヒーが注がれる様を注視している。気を取られたラヴィーナがコーヒーを溢れさせないか、小さな手で拳をつくってヒヤヒヤしながらそれを見守っているのだった。


 ただそれも、寸でのところでラヴィーナが気付き、それは回避された。


 そんな二人の様子を交互に観察していたアレックスがほっこりしていると、ラヴィーナと立ち位置を変わるように、コーヒテーブルの前までジャンがやってきた。


「陛下、急にどうなさったのです? 今度は誰の行動を覗き見していらっしゃるのですか?」


 その手には、クッキーやチョコレートなどのお茶菓子で円を描くように並べられたお皿を持っており、それをテーブルに置くや否や、ワクワクと瞳を輝かせながらそんなことを尋ねた。


 ジャンはラヴィーナとは違い、この一週間でアレックスの側仕えが大分板についてきた。今ではこうして気になったことをどんどん質問し、アレックスの考えていることを知ろうとする。


 まるで、空白のページを埋めるように――


 だからと言って、さすがに馴れ馴れしすぎる感は否めない。ただそれも、アレックスとしては大歓迎であり、彼がジャンに気さくに話しかけるものだから、お互いの距離は確実に縮まっていた。


 それ故に、アレックスはいつものようにその言葉の意味をジャンに教えてやる。


「ん? ああ、実はな――」


 ◆◆◆◆ ◆◆◆◆


 シルファの支援をすると決め、玉座の間でそれを配下の者たちに伝えた日。


 イザベルの発言から一悶着あったものの、シルファの実力を伝えたことで、なんとか彼らの理解を得られた。それから、今後の方針を決める話へと移る。


 ヴェルダ王国ないしイフィゲニア王国の兵もシルファを追っている現状、帝都の守りを堅め、警戒レベルを引き上げることを優先した。シヴァ帝国もヴェルダ王国と行軍してくる可能性が高いらしいのだ。


 と言うよりも、エヴァ―ラスティングマナシーと呼ばれるアレックスたちが転移してきたこの深い森の中央を、ヴェルダ王国は聖域と信じており、滅多なことでは足を踏み入れないハズだった。


 八天魔王の中で現在も魔神の伝説を信じているのは、三か国しか存在していない。当然、シルファの祖国であるイフィゲニア王国もその内の一か国であり、ヴェルダ王国の他には、イフィゲニア王国の南に位置しているフォルトディア王国のみ。


 それにも拘らず、転移してきたときにヴェルダ王国の精鋭部隊が待ち伏せしていた理由は、シヴァ帝国からの圧力としか考えられないそうだ。


 シヴァ帝国もかつては魔神の恩恵を受けたらしいのだが、時の経過と共にどうやらそのことをすっかり忘れてしまったようである。


 閑話休題。


 一先ず、直轄旅団以外、未召喚だった各旅団の第一連隊を召喚し、常闇の樹海――エヴァ―ラスティングマナシーの別名――の開拓を進めるために第六旅団クノイチ第七旅団ハナの第二連隊も召喚して増強を図る。


 更には、第三旅団シーザーの第二連隊を追加で召喚し、偵察として常闇の樹海の向こう側まで偵察させることにした。


 シルファ曰く、転移門を設置するのに都合が良い集落があるのだとか。その集落は、数百人と規模が小さく、樹海の縁に隠れるようにひっそりと暮らしている。転移門の存在を隠すのに丁度良いかもしれない。


 つまり、その情報の真偽を確認する意味も含まれていた。


 あれこれ検討した結果、一週間ほど待って襲撃がなければ、シルファお勧めの集落へと向かうことにしたのだ。その構成は、アレックス、シルファ、シーザーとブラックに加え、シーザーの第三旅団から一個大隊か二個大隊規模の竜騎士を帯同させることにした。


 取り合えず、方針と目的地が決定し、アレックスが引見を終えようとしたとき。


「陛下、宜しいでしょうか」


 翡翠色の瞳を真っすぐアレックスへと向け、何やら真剣な表情のソフィアがいた。


 浮き上がらせた腰を再び下ろして座り直すも、アレックスは嫌な予感しかしなかった。


 ソフィアがシルファにも視線を向けていたことから、今朝のテンプレ未遂事件を言われるのかもしれないと鼓動が速まるのを感じた。


 だがしかし、場所が場所なだけあって勘弁してほしい。


「そ、それは、俺の部屋に戻ってからにしないか?」


 冷や汗が垂れるのを感じながらアレックスが、アニエスとイザベルの視線を気にしながらお茶を濁そうとした。


 が、


「いえ、これにはシーザー上将軍に関係がございますので、できればこの場で」


「ん? ああ、そうか、そうなのか? うむ、申してみよ」


 間抜けな返答をしてしまったが、今朝のことではないと察したアレックスが、慌てて威厳を込めた仰々しい頷きをもってソフィアを促した。


「はっ、できればその遠征に私たちも同行させていただけないでしょうか?」


「私たちも?」


「はい、クロード殿を含め、陛下の副官である私たち二人を護衛としてお連れください」


 ソフィアの後ろに並んでいるクロードとアレックスの目が合う。その表情は何が気に入らないのか無愛想もいいところで、俺を巻き込むんじゃねえ、と言っているように見えなくもない。


「クロードには、そんな気なさそうだが……」


 アレックスが見たままの印象で伝えると、振り返ったソフィアが苦笑と共にアレックスへと視線を戻した。


「いえ、転移門を設置する際は同行すると、お互い話し合って決めておりますので、クロード殿も行くつもりですよ。まあ、確かにそうは見えませんが……」


 おいおい、本当かよ、とアレックスは思ったが、微かにクロードが顎を引いた気がした。あくまで、そんな気がしただけで、実際はわからない。


 どうでもいいときはよくしゃべるクロードは、たまに全くと言っていいほどに言葉を発しない。それ故に、アレックスは未だ彼の性格を掴み切れていなかった。


「まあ、戦力が増える分には構わないが――」

「そ、それじゃあ!」


 アレックスの承諾の言葉に、嬉しそうに目を輝かせるソフィアであったが、


「そもそも、お前らはフライングドラゴンに騎乗したことあるのか?」


「あ、それは……ないです、はい……」


 と、アレックスの指摘にソフィアが肩を落とし、クロードはそっぽを向いた。


 Sランク傭兵であるため騎乗スキルを二人とも有しているが、飛行系ユニットに騎乗するためには、二人のスキルランクでは不可能なのだ。


「はぁー、まったく……」


 気持ちはありがたかったが、呆れる外なかった。


「そうだな、丁度いいからこの機会に自由行動をしてみたらどうだ?」


 アレックスは、今までのことを考慮し、褒美のつもりで代替案だいたいあんを出した。


「自由行動、ですか?」


「ああ、そうだ。ソフィアはずっと、前室……いや、秘書室に籠っているばかりだっただろ? それに、クロードもエントランスで案内役とか、あまりにも役不足な仕事だったではないか」


 レベル一〇〇のSランク傭兵である彼ら二人は、アレックスの軽い思い付きで能力に見合ったことをしてこなかった。それを遅まきながら気付いたアレックスが、再編成をする前に休暇を与えることにしたのだ。


「え、えーっと、それはどういった意味でしょうか?」


「本気でわからない顔をするなよ……」


 少し挙動不審になったソフィアに、アレックスが脱力して俯く。


「それでは、本当に自由に行動して宜しいのですね?」


 ロードから意味ありげに尋ねられ、アレックスが俯いた顔を上げる。


「うむ、そうだ。好きにしてよい。城内だけじゃなくて、城下町も色々と見てこい。昨日だけでは全て見回れなかったことだしな」


 やっとクロードが声を発してくれたことと、素直に受け入れてくれそうなことに、アレックスは嬉しくなった。


「それでは、好きな場所で好きなことをさせていただきます」


「うむ、休暇だと思って好きにするが良い」


 アレックスの快諾に、頭を垂れたクロードの口角が微かに上がったような気がする。それでも、余計なことを言ってソフィアが遠征に連れて行けと再び言い出さない内に、引見を終わらせることにした。


 アレックスが玉座から立ち上がると、それを合図に跪いていた配下たちが一斉に頭を垂れる。


(今のところは順調だな)


 配下たちの様子に満足したアレックスは、ひとしきり頷くのだった。


 ◆◆◆◆ ◆◆◆◆


「――っと、まあ、そんな感じで休暇を与えたのに、はじめの数日はシーザーたちと一緒になって探索の手伝いをしていたらしい。ただ、それ以降は、クノイチとハナの部隊に随伴し、モンスター狩りに精を出しているようなんだよな」


「もしかしたら、最近戦闘の機会が無かったからではないでしょうか?」


 ジャンの尤もな指摘にアレックスが、あーなるほどな、と納得した。


「確かに、クロードがあんな面で城下町をうろついていたら不審者と間違われるかもしれんからな」


 自分で言ってそれがツボに入ってしまい、アレックスは一人で豪快に声を上げて笑った。が、他の三人は、何がそんなに面白いのかわからないらしい。ただ合わせるように乾いた笑いをするのだった。



 話が落ち着いたころ、アレックスが身支度を開始する。


「よし、それじゃあ、そろそろ出発するか!」


 ヴェルダ王国の襲撃どころか、物見の尖兵せんぺいすら姿を見せなかった。もしかしたら、シヴァ帝国とヴェルダ王国は、こちらよりもイフィゲニア王国の王都へ集中しているのかもしれない。予定通り今日は、常闇の樹海の外へ転移門を設置するためにシュテルクストを出立する日だった。


 アレックスの後に続き、シルファ、ラヴィーナとジャンが内郭の城門前に到着すると、遠征部隊が待機していた。既に準備を終えた竜騎兵一個大隊。その前にドラゴン化し、青く輝く鱗で全身を包んだ体長二〇メートルほどのシーザーと、フライングドラゴンに騎乗したブラックが待っていた。


『其れでは、拙者の背中に騎乗して奉り候』


 くぐもったシーザーの声が耳元で響く。仕組みがよくわからないが、ドラゴン形態の場合、ある程度の範囲内であれば、離れた位置でも耳元にその声が聞こえる。


 事前にドラゴン化したシーザーに会わせていたのだが、シルファとラヴィーナは未だにその感覚に慣れないようで、ビクッとしていた。


「よし、ジャンは俺の前だな。俺の後ろにシルファ、ラヴィーナと続いてくれ」


 シーザーの尻尾の先から伝って背に上り、今回のために作成した四人用の鞍に先程の順番で跨っていく。


「よし、みんなベルトを締めたな?」


 安全確認を済ませたアレックスが号令を掛ける。


「オーケー、では、魔大陸への進出第一歩だ。盛大に頼むぞ、シーザー!」


 それを合図にシーザーが、一気に首をもたげて上空に向かって吠えた。巨大な肉食恐竜を思わせる耳を劈くほどの咆哮が、これでもかと大気を震わせる。


 シーザーに合わせて三〇一騎のフライングドラゴンたちも吠えた。その大合唱はあまりにも凄まじく、破壊のエネルギーとなり、内郭に亀裂が走ったのは、ご愛嬌。


「うひゃー、この腹に響く感じはたまんねーなっ!」


 新しい冒険の予感に子供のようにはしゃぎ、この世界でも最強を目指す、アレックス。


 再びアレックスと冒険ができることにワクワクが止まらない――はじめのNPC傭兵――ジャン。


 アレックスの協力を取りつけ、イフィゲニア王国から帝国へとかつての栄光を取り戻すことを夢見る、シルファ。


 幼き頃からシルファと研鑽し、今までの屈辱を晴らすために魂を燃やす、ラヴィーナ。


 それぞれの思惑を乗せてシーザーは、雲一つない大空へと舞い上がった。


 こうして、アレックス・シュテルクスト・ベヘアシャーとその御供たちの伝説がここに幕を開ける。

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