第09話 ゲイリーの憂鬱
アレックスが覚悟を決めて森に踏み入ったころ。微かに発光した白い体毛を風に揺らす神獣の虎が、暗闇の中から視界に飛び込んでくる木々の合間を縫うようにして突き進む。前進を阻もうと茂る
少し離れ、燃えるようなたてがみと尻尾を揺らす漆黒の馬体に跨った数騎の騎兵たちが、置いて行かれまいと鞭を打ち、真新しい道を駆け抜ける。フレイムホースが嘶き、白虎との距離を縮めようと首を落とす。
「クソっ、クソクソクソクソぉおお!」
行き場のない怒りに叫んだゲイリーは、焦点の合わない双眸をギョロギョロとさせ、口元を歪める。
『そこまで悔しがるなら、救い出すべく攻撃を続ければよかったではないか』
頭の中に響く声でハッとなったゲイリーが、苦虫を嚙み潰したようにさらに口を酷く変形させる。神獣。
「うるさいっ、白麗! 主を失って俺が拾ってやったと言うのに、余計なことにまで口を出すな!」
今回の目的から尤もな理由を白麗が言ったにも拘らず、まるで見当違いな言葉がゲイリーから返ってきた。百麗の見立てでは、襲撃者の力はかなり強者の部類であると評価した。一撃の破壊力や機動力に優れた編成であり、彼女が部隊の壊滅を危惧した程だ。
今、彼女たちが無事なのは、あの襲撃者に迷いがあったからだ。百麗は、彼らの挙動からそれを感じ取っていた。
迷いは、隙を生み。戦場では、最も邪魔な感情である。
百麗は、今のゲイリーに何を言っても無駄だろうと諦め、フンっと軽く鼻息を立てて黙したのだった。
――――――
ゲイリーは、何もかもが思い通りにいかず、怒り心頭だった。それでも、話を逸らすために、べつの話題を口にする。と言うよりも、そのことにも頭にきている。
「なぜっ、ウィンドネア大将軍は、あんな
「殿下、おそらく、あれは別人かと思われます」
全く想定外の裏切りに憤慨するゲイリーの叫びに、壮年の騎士が反応した。百麗が急に速度を緩めたからか、護衛の騎士たちが四方を固めるように追い付いてきた。
「ハロルド将軍は、何か知っているのか?」
声がした右後方へ首を巡らせ、ゲイリーが胡乱な目をぶつける。
闇夜でもはっきりと見える白く真っ直ぐに渦を巻いた角が、ヘルムの金色に縁取られた隙間から顔を出している。ゲイリーの角ほど立派ではないが、彼もまた、王家に連なる者なのだ。
ゲイリーの視線にチラッと一瞬だけ目を逸らしたハロルドが、馬の速度を上げて並走する。
「はい、私は以前、ウィンドネア殿に会ったことがございます」
「ほーう、それで? 全くの別人だったと言う訳か」
ハロルドの言葉に、「なるほど」というようにゲイリーは大きく頷いた。それに合わせてハロルドも頷き、肯定する。
ゲイリーはそう頷きながらも、あんな規格外の攻撃を放つ魔人が、他にそう易々と存在されてたまるかという思いから、納得はしていない。あの惨状を思い出し、ゲイリーが身震いする。全くもって腹立たしい。
「それにしても、あんな遠くからよく別人と判別できたな。装備からか?」
「別人と申しますか、ウィンドネア殿は……女性です」
「……そ、そうだったのか」
ウィンドネアに会ったことがないゲイリーは、聞こえてくる武勇伝の数々から勝手に男だと思っていた。ハロルドが伝えた事実に苦笑を浮かべ、ゲイリーはこれまでのことを思い返す。
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イフィゲニア王国の魔王であるアマデオが討たれたあと、ゲイリーはやっとのことでイフィゲニア王国を取りまとめ、実質その頂点の座を確保した。それに奔走している間、同時に王位継承権を持つシルファの情報も集めていた。
第二王子であるゲイリーが国をまとめられた理由は、シルファを探し出して新国王に即位させ、シヴァ帝国との停戦調停を行うという表向きの名目を前面に押し出したからだった。まさか、べつの思惑がゲイリーにあることなど、親衛隊は知らない。知っているのは、元からゲイリー直属の配下たちだけである。
いずれにせよ、その情報によると、シルファとその配下たちは過誤者たちが身を寄せ合うように暮らす集落に立ち寄ってから、聖地がある森の中へと逃げ込んだとのことだった。その情報で確信を得たゲイリーは、地盤固めが完了するや否や、王都を出立した。
先ずは、シルファが数日滞在したとされるその集落を目指し、より詳細な情報を得るつもりだった。ただそれも、有益な情報が得られないどころか、シルファの姿を見ていないなどと、そこの過誤者たちがゲイリーに知らぬ存ぜぬを通したのだ。
ゲイリーは、それを嘘だとすぐに見抜いた。ゲイリーはヴェルダ王国の兵士を前もってエヴァーラスティングマナシーに伏せさせており、その部隊から戦闘開始の報告を通信魔法で受けていたのだ。その相手は、所属不明とのことだったが、角がないことからその素性は明らかだった。それはつまり、過誤者たちがシルファを援助した証だ。それからヴェルダ兵からの通信が途絶え、シルファたちに負けたのだろうこともゲイリーは理解した。
魔神伝説をそれなりに信じているゲイリーではあるものの、聖域に行ったからといって、そんな簡単に至高の御方が降臨するとは思っていない。聖域付近には聖魔獣が生息しているため危険ではあるが、それを抜ければ魔獣は当然のこと聖魔獣も足を踏み入れない聖域へと至る。そんな立地条件からシルファたちが、ただ単純にそこに潜んで混乱をやり過ごすつもりなのだろうと、ゲイリーは予想した。いくら魔人族でもそこが厳しい環境であることには変わりない。必ず食料などの援助をするために、その集落から人員が割かれているはずだと踏んでいた。
それならばと、ゲイリーは力技に出たのだ。むしろ、何も得られないのならば、過誤者風情が王家に逆らうなど言語道断! と言って、その集落に攻め込んだのだ。
が、もう少しで陥落というところで、味方であるハズのドラゴンに奇襲されて大混乱に陥った。何とか態勢を立て直してからゲイリーは、その責任を問うことにした。
それがこともあろうか、それに答えたのはそのドラゴンではなく、プレートアーマーに身を包んだ赤髪の男だった。華美に装飾が施され漆黒の鎧で、異様な雰囲気を纏っていた。その男はかの魔神である至高の御方と
そのことに臍を嚙んだゲイリーは、すぐに口元を緩めることになる。身を翻して上昇するブルードラゴンの背の上に、シルファとラヴィーナらしき姿があるのを見逃さなかった。シルファの性格を知っているゲイリーはほくそ笑み、その集落の民を人質にするべく再び森に入った。
一方が森に隠れれば必然的に戦場は地上となる。相手の有利な条件で戦ってやるつもりなどない。シルファたちの陣営で厄介な魔人は、ブルードラゴンの一人だけと判断した。上空からのブレスを警戒しなければならなかったが、これまでの行動から集落まで辿り着けば、その攻撃は無いことまで想定済み。
事はゲイリーの予想通りに進み、上空からフライングドラゴンたちが舞い降り、次々と兵士たちがその背から飛び降りてきた。指揮官らしき男も含めて他がみな過誤者だったことから、負けることなどあり得ないと余裕の態度で待ち受けることにした。
が、完全に予想外の出来事が起こったのだ。
集落でその軍勢を迎え撃とうとしたところ、双剣を携えた優男風の戦士を前にして、誰も歯が立たなかったのである。さらに、見慣れない青を基調にした鎧兜の男が遅れて現れたのだった。
その男は、竜種族に見られる頭から後方に突き出すような、流線型を帯びた二本の角を有していた。その全身から主張するような青一色の男を見て、ゲイリーはそれがあの凶悪な暴風の攻撃魔法を行使したブルードラゴンだと察した。風魔竜将軍ウィンドネアの名は、八天魔王にも匹敵すると謳われるほどの武勇伝の数々から、大陸中に轟いていた。ゲイリーは、次々と刈り取られる味方の状況に不利を悟り、少数だけでその場から離れることにした。
戦略的撤退だと、ゲイリーは叫んだ――決して、逃げ出した訳ではない。
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「明らかに、アイツは男だったな……」
回想を終えて呟いたゲイリーに対し、ハロルドが心配そうな声音で呟く。
「無事、シルファ殿下をお救いできればよいのですが……」
ハロルドの呟きには、心の底からシルファの身を案じている様子が窺えた。それでも、ゲイリーは、それが聞こえなかったとでも言うように、百麗の腹を両足で蹴って無理やり速度を上げさせる。
ゲイリーは、新たな不安材料を抱えたまま、遁走する外なかったのである。
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