第18話 新たな拠点――アンファング
過誤者たちが住まう集落が、『アンファング』と名付けられたのは、アレックスたちが訓練を開始してから二〇日後のことであった。そこは、もとより名前がなく。名付けを求められたアレックスが、覇権を目指すはじまりの地という意味のそれを提案したのである。
転移門が完成してから集落の発展は加速度的に進んだ。イザベルを部隊長としたレベル五〇以上だけで選抜した増援部隊に野外警備を任せ、シーザーやブラックが率いる部隊を城壁や居住施設などの建築土木作業に専念させたのだ。
それでも、城を建設する余裕まではなく、アレックスたちは初日と同じように、課金アイテム『王族の天幕』の中で過ごしていた。
アレックスが新たな拠点の名前の評価を気にして感想を問うと、シルファがこたえた。
「アンファング、はじまりの地……素晴らしいですわね」
「だろ?」
アレックスは、ギルドや城の名前をドイツ語で統一していたことから、今回もそうした。単純な名付けではあったものの、評価は上々なようである。
「いやあ、最初はどうなるかと思ったが、よくやってくれた。シーザー、ブラック、そしてクロードよ」
声を掛けられた三人が恭しく頭を垂れてシーザーとブラックが褒められたことに顔を上気させたが、クロードだけは、さも当然だと言わんばかりにツンとしていた。
(クロードはいつも通りの仏頂面だな)
苦笑いから一転、思わずアレックスの口の端が緩んだ。目まぐるしく変わる環境の中、クロードの普段と変わらない様子がアレックスをホッとさせる。
(ああ、あの日もクロードはあんな顔をしていたっけか)
アレックスがつい最近の出来事を懐かしむようにしてクロードを見つめる。けれども、当の本人であるクロードは、何の感情も読み取れない表情をしているのだった。
◆◆◆◆ ◆◆◆◆
二〇日前。シルファ親衛隊が発足されてからアレックスがまず着手したのは、各陣容――エクトル隊とデブラ隊――の能力把握である。
野営地から少し離れた場所で一人、アレックスは騎士たちが来るのを待っていた。アレックスの眼前に広がるのは、前夜の戦闘の爪痕が残る平原。
「こりゃあひでーな」
驚きから声を漏らしてからすぐにアレックスは、どうしたものかと嘆息する。昨夜は暗くてよくわからなかったが、明るくなってはじめてシーザーが意図せず発生させたソニックブームの凄さを実感した。
死臭に森の魔獣たちが群がるという話から、アレックスの直轄旅団、一個大隊を緊急召喚して死骸の埋葬を行ったものの、広大な平原をひっかいたように深く抉れた黄土色の地面が露出していた。それが、森から道のように数キロも続いているのだ。驚きを通り過ぎて途方に暮れる感覚に近い。
だがしかし、転んでもただでは起きないのがアレックスという男だ。
大地が抉れた場所までやって来たアレックスは、見下ろして頷いた。
「よし、せっかくだから、これを利用して空堀にでもすっかな」
当初から過誤者たちが住んでいる集落を前線基地にする予定だった。だが、実際は、昨夜の戦闘でほとんど壊滅状態で新しく拠点を築いた方が効率が良い。溝になった場所に沿って城壁を作り、その中に必要な建物を建設するのはどうだろうかと、アレックスは拠点の構想を練る。
幸い、木材は腐るほどある。欲を言えば、城壁くらいは岩などを積んだ堅牢な物にしたいが、補給が限られた資源は節約すべきだろう。いまのところは、木製で我慢することにした。
一通り考えがまとまったアレックスは、編成画面を表示させる。
シルファ親衛隊は、ベヘアシャー帝国の従属部隊として編成画面に表示されるようになったのだ。親衛隊の隊長をクロードに指名し、シルファが承諾したからなのか不明だが、ステータスが表示されており、個々を管理する上では大いに役立つ。
(一国のエリートのレベルとしては頼りないが、こんなもんなんだろうな。ヴェルダ王国の精鋭部隊とかも弱っちかったらしいし)
投降したゲイリー親衛隊改めエクトル隊は、レベルが三〇から四〇と低いながらも同一レベル帯で、レベル上げするための編成は、単純な人数割りで問題ないだろう。エクトル隊は約三〇〇人。森の中で行動するには大所帯であるため、小隊規模で一〇組に分けることにする。
エクトル隊の強化プランをあらかた検討し終えたアレックスは、デブラ隊の規模とステータスを知って思わず唸った。
(ううーん、こっちは正直めんどうだな……まあ、こっちのことはクロードに任せよう。ソフィアもいるし問題ないだろう)
めんどうな仕事は部下に振り――いや、自主性に任せ、決断だけすればいいだろうと、アレックスはサラリーマン的思考へと現実逃避をしつつ、アイテムボックスからタバコを取り出した。
いままでは、雰囲気だけの趣向品アイテムもこの世界では意味ある物へと変化している。
ソフトパッケージの包装を剥がして片方をトントンと軽く指で叩く。飛び出たタバコをそのまま口に咥えてポケットをまさぐる。が、ライターなんて物は持っていないし、そもそも必要ない。
アレックスは、ゲームの世界では全くと言っていいほど出番がなかった着火魔法のコマンドをなんとか思い出す。
「えーっと、なんだっけか……ああ、そうだ。イグニション」
指先に灯る赤い炎でタバコに火をつけた。鼻にくるツンとしたメンソールの刺激が懐かしい。満足がいくタバコ感に笑みをこぼし、ふかすようにもわりと煙を吐き出す。
「あーあ、一年続けた禁煙生活もこれで終わりか……これからもお世話になるぜ、相棒」
悔しそうな声音に反し、アレックスはタバコの火を見つめてにんまりと笑ったのだった。
訓練をはじめて一時間ほどが経過したところでアレックスが号令を掛けた。
「いったん休憩だ! エクトル隊は俺についてこい。デブラ隊はクロードの指示に従うように」
エクトル隊は、元から騎士であるため線が通るように整列し、行軍の足並みも揃っていた。対してデブラ隊は、訓練を受けたことがないのだろう。単純な整列でさえもたつき、常に無表情なクロードが深い皺を眉間に作ったほどで練度が低いどころの話ではなかった。さすがに、部隊とは呼べないだろう。
「これで当面の目標は決まったな、クロード」
「……」
「そんな難しい顔をするなって、頼りにしてるぜ。クロード、た、い、ちょー」
アレックスは、黙り込んでしまったクロードの背中をバシバシと叩いてエールを送り、思わず咳き込んでしまった彼に一枚の紙っぺらを手渡した。受け取った紙へと視線を落としたクロードがすぐに顔を上げたが、理解しているのかどうか判別が出来ない。いつものむっつり顔だったのだ。
「ああ、それは……いや、好きなようにやってみろ」
ヒントは与えた。事細かに口を出すのは信用していないようなもんだろう。アレックスは、背中越しにヒラヒラと手を振って、「それじゃあ、任せたぞ」と言い、シルファたちと共にクロードの下を離れて行った。
クロードが遠ざかるアレックスたちの姿を見つめていると、ソフィアが肩を寄せて彼の手元を覗き込んできた。
「クロード殿それは?」
「どうやら、デブラ殿たち個々のレベルが記されているようですね」
レベルが高い順に三〇人ほどのレベルと名前が明記されており、それ以外はレベル帯ごとの人数しか載っていなかった。おそらく、彼らを隊長として部隊編成をしろとの意味だとクロードは解釈した。あるいは、数字でしかない八〇〇人を名前が載っているレベル五〇まで鍛えろということだろうか。
クロードがそんなことを考えていると、ソフィアがいきなり耳元で大声を出した。
「なんと! 凄いですね」
クロードが思わず距離を取る。
「あー、ちょっと、よく見せてくださいよ」
一々うるさい人ですね、と思いながらもクロードはメンバー表を差し出した。
「どうぞ」
「え? クロード殿は、もうよいのですか?」
「はい、既に記憶しました……ですが、確認が終わったら返してくださいよ。それは私が陛下から賜ったものですので」
個人のレベル情報は、かなり秘匿性が高いハズ。そう思ったクロードは、アレックスの自分に対する評価が予想以上に高いのではないかと、内心ウキウキしていた。アレックスから、『頼りにしてるぜ』と言われたのだから間違いないだろう。実際、あまりの嬉しさから顔が綻んだりもした。
(不敬だとは思いながらも、陛下を真似して満面の笑みでこたえましたが、伝わっただろうか……)
アレックスが去る間際に浮かべた苦笑いが気になる。けれども、やることは決まっているのだ。
「クロード殿ばかり羨ましいです。私も陛下に頼っていいただきたいのに……」
「ならば、協力をお願いします。自信満々に陛下におこたえしましたが、正直かなり厳しいと思いますので――」
「はいっ?」
ソフィアに話の腰を折られてクロードが渋面を作り、押し黙る。
「いや、だから、いつ返事をしたのですか?」
「いつって、こう。陛下の言葉に満面の笑みを浮かべてみたのですが」
「どこがです! 全然ですよ、クロード殿! 死んだ魚のような目をしておいてどこが満面の笑みなんですか!」
クロードがそのときの表情をソフィアに実演して見せたのだが、酷評されてしまったのだ。その指摘でアレックスが苦笑していた理由を知ったクロードは、目を瞑り天を仰いだのだった。
「さあ、訓練をはじめますよ……」
◆◆◆◆ ◆◆◆◆
通知音が鳴り、アレックスは意識をいまに戻された。野外警戒中のイザベルからチャットメッセージが飛んできたのである。
「おいおい、マジかよ」
「どうなさったのですか、アレックス」
「いや、一番可能性が低いと思っていた最悪の未来を引いてしまったようだ」
シルファの不安気な問いにアレックスが不敵な笑みで返す。が、途端にシルファが脱力したように深く息を吐いてから、「なんですか。驚いて損をした気分です」と拗ねたように頬を膨らませた。
「いやいや、驚くだろ、ふつうは。またあのゲイリーが攻めて来たかもしれないんだから」
「いえ、わたくしとしては呆れてしまいましたよ。あの程度の力でアレックスに挑もうなどと片腹痛いですわ」
どうやら、シルファは相当ゲイリーを嫌っているようだ。しかも、まったく相手にしていない。
「まあ、そうなんだが、騎士が二千ほどいるらしいし、まだ遠くて紋章まで確認できないが、赤を基調にしているからイフィゲニア王国の旗であるのは間違いないだろう。それに、何と言ってもエクトルたちがやり辛いだろうし」
アレックスは、片方の眉を吊り上げてエクトルに問うた。
「恐れながらもアレックス様、ゲイリー殿下が攻めてきたということは、我々を謀ったことを自ら証明しているようなものです」
そうなのである。実は、ゲイリーがシルファの存在を気付いていない可能性を考慮し、彼女がここにいることをエクトルの部下に伝令を頼んだのである。
つまり、迎えに来ただけならば、二千もの騎士は必要ないのだ。
「むしろ、俄然やる気が湧いてきました。私たちが主と呼ぶのは、至高の御方であるアレックス様、シルファ殿下、そしてクロード様ですから」
主が三人もいるのかよ、とさすがのアレックスも余計な突っ込みを入れることはしない。彼らからしたら仕方のないことだ。いくらレベルが六〇まで上がったとはいえ、レベル一〇〇を超えたクロードより全然弱い。
あちらを立てればこちらが立たずといっためんどくさいことにならないように、一先ず自分より強い奴には歯向かうなと言い含めているのである。特にイザベルを筆頭に魔人族NPC傭兵は総じて過激な思想をしているのだ。下手したらエクトルなど道行く羽虫の如く踏みつぶされてしまうかもしれない。
それはさておき、エクトルの覚悟が聞けた。それだけで十分だ。
「さあ、お出迎えしてやろうじゃねえか!」
「「「はっ!」」」
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