第26話 部下の扱い方
城下町の様子を見に来たアレックスは、ジャンに聞いた騒動が起こっていそうな外郭の城門へ向かうことにした。そして今、アレックスは下を向きながら走っている。
ほんの少し前。付与魔法の存在を忘れていたアレックスが、ジャンをお姫様抱っこした転移初日を思い出した訳だが、べつにその行いに対する恥ずかしさを隠している訳ではない。
地上は人の往来が多く、入り組んだ道が多い。ふつうに歩いて向かったら二時間掛かるのだとか。いくらアレックスが皇帝であっても、時間短縮のためだけにそんな場所で身体強化魔法の効果を利用した爆速で駆け抜ける訳にもいくまい。住民にとって大迷惑もいいところだ。
となると、建物から建物へと飛び移るようにして進んだ方が、障害物もなく最短距離で目的地に辿り着くことが出来て効率が良いだろうと言う話になった。
「ほう、案外慣れるとこれもいいもんだな」
足を踏み外さないよう足元に注意しながら、アレックスが
屋根から屋根へと飛び移ると聞かされれば、当初はそんなことをできるのかとアレックスは不安にもなった。
ただそれも、ソフィアから、私の足の運びを真似ていただければ結構です、と自信満々に言われれば、アレックスがそれを断ることが出来ず、今に至る。
「だから大丈夫だと言ったではないですか!」
こんな場所でもアレックスに並走しようと近付いてきたソフィアは、得意げだった。
「おい、気を付けてくれ! ぶつかったらどうするんだよっ!」
慣れたとは言っても未だおっかなびっくりのアレックスが、集中を乱そうとするソフィアに叫ぶ。
「大丈夫ですよ、陛下。ぶつかっても落ちるだけですから」
「はっ、俺は落ちたくないんだよ」
「何故ですか? 落ちても足の骨が折れるくらいですよ。でも――」
「ば、バカかお前は!」
まさかのソフィアの発言に危なく足を踏み外しそうになるアレックス。それを支えるようにソフィアが身をさらに寄せて腕をアレックスに回し、体勢を立て直す補助をした。
「ほら、私がいれば安心ではないですか」
白銀のポニーテールを揺らしながらソフィアがにかっと笑い、アレックスは一瞬ドキッとしてしまった。
(な、なんだよ。こいつは、こんな表情もするのか……)
アレックスは、仕事ができる少しきつめなお姉さんというソフィアの見た目の印象から、彼女を秘書役に抜擢した。それなのに、そんな年頃の少女のような可愛いらしい笑顔を見せられたアレックスは、あまりのギャップにツボってしまい、何も言えなくなってしまう。
「ど、どうなさったのですか?」
急に黙りこくったアレックスの態度にソフィアが声を掛けた。それに応えないものだから、ソフィアは勘違いしたようだ。
「も、申し訳ございません。つ、つい頼られたのが嬉しくて……は、反省します!」
アレックスとしては、頼ったと言うより、効率を優先して仕方なく自信満々のソフィアに屋根の上の走り方を聞いただけにすぎない。どうやらそれを頼られたと勘違いしたソフィアが勝手に舞い上がり、テンションのシフトが変な場所に入ってしまっていたようである。
そのとき、そんな二人に割って入る存在がいた。
「お、おい! 今ぁ、肩が少し触れたぞ! 危ないじゃないか!」
このアレックスの叫びは、ソフィアに対する冗談めいたものではなく、本気で驚いていた。
「失礼、そろそろです」
あくまで形式的に謝るのみで、クロードのそれには全く感情が込められていなかった。
「あ、あとで覚えておけよ!」
完全に素に戻っているアレックスは、小物然としたセリフを吐くほど余裕がなかった。
――――――
アレックスたち四人は、程なくして外郭の南門に一番近い建物の屋根に到着した。
外壁周辺は、防衛戦の際に部隊展開するスペースとして五〇メートルほどを空き地にしている。それにも拘らず、城門周辺には人や馬車が身動きが取れないほど集まって騒然たる雰囲気に包まれていた。
「おーいどうなっているんだ。こっちは期限が決められてんだー」
だとか、
「昨日から何の説明もないじゃないか! 先ずは理由を教えろー」
だとか、
「どうやら兵士たちも知らないようだぞ。こりゃあ、待つしかないかもな」
などと、閉じ込めに近い状況に苛立っている者や、既に諦めている者たちの声がそこら中から聞こえてきた。
一先ず、屋根から慎重に飛び降りたアレックスたちが、歩いてその最後尾の方へと近付いていく。
「これは酷いな……」
アレックスが混乱の様子にため息を漏らすと、ジャンがアレックスの後ろから補足を入れてくれた。
「昨日の段階では、こんな状態ではございませんでした。おそらく、急な時間変動に様子を見ていたのかもしれません」
「ああ、なるほどな。それで、外に出れない理由がわからなければ、苛立つのも当然だな」
群衆の後方からその混乱の様子を認め、どうしたものかとアレックスが考え込むように腕組みをし、ううーんと唸る。
「ゲームなら気にもならないが、人格があると色々気を使わないといけないよな」
リバフロの世界では、平気でモンスターが拠点に攻め込んでくるため、その規模によっては勝手に城門を閉めていたりした。それでも、NPCの住民たちから文句が出ることなど全くなかった。
ゲームの仕様上、拠点への出入りが一切できない状態で放置をすると、勝手に住民の数が減るなどという現象が起きることがあった。それは、とてもわかりやすいシステムであり、〇か一〇〇。間を取って不満の声を上げることなどなかった。
システムメッセージで、『住民の不満が高まっています』のように通知が来れば対処のしようもあるが、そんな機能はなかった。
「まあ、これが現実ってものかね……」
アレックスが諸々の考察をし、ソフィアたちに聞こえないほどの小声で独り言つ。
しかし、エルフ族の聴覚強化スキルによるものか、何の気なしのアレックスの言葉をソフィアに拾われる。
「アレックス様、いかがいたしますか?」
「いかがする、とは? 一兵卒じゃないんだ。何かあるならAかBかで言え」
ソフィアの漠然とした質問に、アレックスがつい厳しく返してしまった。皇帝らしく振舞うことの難しさに悩んだアレックスが出した答えは、会社でいう上司と部下の関係。その結果がこれである。
「も、申し訳ございません」
ソフィアが膝を折って俯き、皇帝の不況を買ったと恐れたように身を縮こまらせた。
(……なんだよ。厚かましかったり素直になったり、どっちかにしろよ)
強気なソフィアが相手だっただけに、つい強めの口調で言ってしまったのだが、その反応は思いもよらぬものだったことにアレックスは戸惑うばかりである。
ただ、それが起点となり、変化を生んだ。
ソフィアの跪いた姿を見た住人たちが、順々にアレックスに対して跪いていく。どうやら、仕立ての良い上下ダークスーツを着たソフィアは、それなりに注目されていたようだ。
「は?」
そんな間の抜けた声を漏らしたアレックスは、訳もわからず立ち尽くす。
城門前に集まっていた人たちの行動が、波のように広がって行き、城門付近で騒いでいた者たちもその変化に気付き慌てて膝を折った。
「お、おいどういうことだよっ」
アレックスがクロードに小声で耳打ちしてことの真相を尋ねる。
「ふむ、どうやらソフィアさんが良い仕事をしたようですね。アレックス様、そのローブを脱いでいただいた方がよろしいかと」
「だから何をっ。てか、俺の顔は知られてなかったんじゃないのかよ」
勝手に納得して頷くクロード。彼の言葉の意味を理解できないアレックスが捲し立てる。それでも、クロードの表情はピクリとも動かない。非常に面倒くさそうな顔のままで
「アレックス様……陛下はお忘れになったのですか? ベヘアシャー帝国は、力が全て……」
ここまでは理解できますか? と言いたそうに右の眉を一ミリほどだけ上げて言葉を切るクロード。その人を小ばかにするような表情にアレックスは、どうにか怒りを堪え、「ああ」と頷く。
当然、クロードはアレックスを苛立たせるためにそんな表情をした訳ではないだろう。アレックスだってそれを理解している。
「強き者のみが貴族となり、権力を得る。弱き者は、その権力者に従い、膝を折る」
「そ、その心は?」
「詰まる所、膝を折られる対象は、それだけで貴族の証であり、伝説級のスーツを着ているソフィアさんが跪いているアレックス様は、皇帝陛下であることを知られずとも、上級貴族にでも見えるのでしょう」
クロードがさも当然のように帝国のことを語ったが、アレックスとしてはそんな決め事を作った記憶はさっぱりなかった。
それ故に、戸惑う。
「そ、そういうものなのか?」
「まあ、隠密ローブを着ておられても、陛下の
そう返したクロードは、ドヤ顔とまでは言わないが、口角が少し上がっているようにも見える。
「ほーう、それは俺を褒めているのか?」
「ご想像にお任せいたします。それよりも、さあ」
「さあって俺はどうすればいいんだよ」
「それは、陛下がお考えになることかと拝察」
まるでソフィアに対する意趣返しかとアレックスは思ったが、クロードにそんな思いは微塵もないだろう。ただ、ムッツリ顔でそんなことを言われれば、そう思わずにはいられない。
「仕方ないか……」
諦めたように呟いてからアレックスが、未だ頭を垂れているソフィアへ労いの声を掛ける。
「ソフィアよ。見事だった。お前はこれを見越していたのだな」
その声にガバっと顔を上げたソフィアにアレックスは微笑んだ。
「あ、いえ――」
「いつまでそうしている。城門のところまで行くぞ」
ソフィアの返答を待たずに身を翻したアレックスは、隠密のローブを脱いで城門へと向かう。
アレックスは、意図してソフィアがそうしたとは思っていない。明らかに偶然だった。それでも、アレックスの言葉に傷ついたような表情をしたソフィアの様子を、アレックスは見逃さなかった。
仕事であればソフィアに対して言った言葉が、大抵の場面で効果的でよく活用していた。課長とその部下との関係ならそれでも良かったのかもしれない。
ただし、今の彼はベヘアシャー帝国皇帝――アレックス・シュテルクスト・ベヘアシャーなのだ。
詰まる所、絶対的支配者の言葉は、彼には到底想像もつかない効果をもたらす。
「社長って、いつもこんな思いをしてるんかね?」
アレックスがそんなくだらないことを呟きながら、自然と割れる人混みを真っすぐに突き進むのであった。
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