第32話 皇帝のアカウンタビリティ

 玉座の間は、静寂に包まれていた。


 アレックスの突然の宣言――『シルファを助けることにした』――に、誰しもが訳がわからないという困惑の色を浮かべていた。


 今回は、各旅団長であるNPC従者たちだけではない。昨日の作戦に従事した彼らの副官である将軍たちも、彼らの後ろに列を作るように並び、跪いていた。


 ただ、その静寂はそう長い間続くことはなかった。


「我が君よ、一つよいか?」


 跪いたまま顔を上げたイザベルが、白銀の双眸を顰め、値踏みするようにシルファのことを睨みつけていた。


 その視線から言いたいことを容易に想像できたアレックスは、


「うむ、申してみよ」


 と、これも予定調和だと言わんばかりの形式的な許可を与える。


「何故、そのシルファとやらは、隣に立っておるのだ? アニエスは……旅団長統括なのだから、まあよかろう。されど、その者から見下ろされるのは、我の矜持が許さん」


「矜持?」


「そうだ、我より弱き者にそうされるのは我慢ならんのだよ」


 それを体現するようにイザベルは、ついには立ち上がった。


 こ、これはまずいな……とアレックスは冷や汗をかき、微かに腰を浮かせた。


 イザベルが魔人族故の何かしらを発言することは覚悟していたが、ここまでハッキリと言ってくるとは、考えてもいなかった。


 今までの従者たちは、優劣を気にする素振りを見せたことがなく、そのことまでアレックスの予想が追い付かなかった。そもそも、シルファは他国の王族であり、そのことを知っているハズのイザベルのその態度は、ふつうに考えたらあり得ない。そして、アレックスが危惧したように、アニエスがイザベルの言葉に反応して一歩前に出た。


「イザベル! さすがにわっちとてその物言いは、見過ごせねえですよ! なんなんですその態度!」


 今から死合がはじまってしまうのでは? とアレックスがハラハラするほど、アニエスは語気を荒げてイザベルの言動を咎めはじめた。


 事前の打ち合わせで、アニエスにもおおよその展開をアレックスから説明をしていた。それでも、我慢ならなかったのだろう。


「待つのだ!」


 アレックスが右手を伸ばし、何とかそれを制止する。


「アレックス様!」


 当然、アニエスは抗議した。狐耳をピンと伸ばし、九尾が逆立つように膨れ上がっている。


「頼むから今は我慢してくれ」


 そして、チャットメッセージで、


『約束の願いを追加であと一つ聞いてやるから』


 と咄嗟とっさにアレックスがフォローを入れる。


「し、仕方がねえですね……」


 アレックスにそこまでされて頼まれたら、さすがのアニエスも引くしかなかったようだ。それでも、その九尾を床に着けながらも、それは不機嫌に揺れていた。それも当然だろう。イザベルのその言い様は、統括の役職がなければ、アニエスだとしても許さないと言っているも同然である。それよりも今は、シルファのことをどう説明したらイザベルが納得してくれるだろうかと、頭を悩ませながらチラリと渦中の人を盗み見る。


 シルファはアニエスと対照的で、なぜか余裕の笑みを浮かべていた。


 そのことに違和感を感じたアレックスだが、事前に考えていた内容に修正を加える必要に駆られ、それを捨て置いて必死に頭を回転させる。


 沈黙をつなぐ意味で、考えていたシナリオ通りに一先ずは説明を再開した。


「ふむ、確かにシルファではお前には勝てんだろうな」


「ならばっ――」

「だが――」


 同じことの繰り返しにならないように、アレックスが無理やりイザベルを遮る。


「だがな、イザベル。それは、ベヘアシャー帝国内だけで考えれば、お前が言うことは尤もなことだ。しかし、シルファはこの世界のイフィゲニア王国の王女であり、これから戴冠たいかんの儀を経て魔王になる人物だ」


 シルファは、他国のお偉いさんなんだよ。わかってるよな? なぁ! という意味でアレックスは態々説明した。


 しかし、だからどうした? とでも言うようにイザベルが眉をハの字にさせている。


 どうやら、いまいちピンと来ていないようだ。


 はぁー、と軽くため息を漏らし、アレックスは言い方を変えてみることにした。


「俺たちは、つい先日この世界に転移してきたばかりで、この世界のことをよく知らない」


「それは、我とて知っておるが……」


 それなら今は黙ってくれと言うように視線を送り、さらに付け加える。


「言うなれば、シルファはこの世界の先輩だ。俺たち後輩は、先輩から色々と教えを請わねばならん。力による優劣も大事だが、先人を尊ぶ気持ちも大事だと俺は思うのだが……俺の考は間違っているだろうか?」


 咄嗟に考えたことを一息に言い切ったアレックスは、イザベルの様子を気をもみながら窺う。


 シルファが王族であろうと、イザベルにとっては関係なさそうな態度をとっているため、こういう言い方しか思いつかなかった。無理やり命令して言うことを聞かせても良かったが、アレックスはそれを良しとしなかった。疑問を抱かせたまま事を進めては、必ずそこからほころびが生じ、取り返しのつかない事態へと発展してしまう。


 それは、アレックスの望むところではない。


 ここは見知らぬ土地で補給が期待できない。となると、限られた戦力で生き抜く外なく、一致団結することを優先させなければならないとアレックスは考えていた。


 それに、イザベルが気付いているかどうかは不明だが、先に創造されたアニエスや他の従者たちのことを敬ってもらいたかった。


 アニエスはその意図に気付いたのか、しきりに頷いている。心なしか尻尾の揺れ具合も穏やかになっていた。


 イザベルは、むむっと唸ってから、


「承知した。今回は、我が君の考えを尊重しよう」


 と答え、観念したように再び片膝を突いた。


 ふぅー、と静かに大きく息を吐いたアレックスは、一難去ったことに安堵する。


 玉座に深く座り直したアレックスは、本題へと移るために辺りを見渡して他の者たちの様子を確認するように睥睨した。


 すると、物言いたげな視線を複数認め、


「っと、言う訳だ。俺に対して文句が他になければ話を進めるが?」


 と胃が痛くなる思いをしながら、無理やり話を続行する。


 対象をアレックスとしてという言葉を使うあたりアレックスは上手く言えた。きっと、提案や意見と言っていたら、その視線を向けてきた従者が口を挟んだことだろう。この場にいる者でイザベル以外で、アレックスに文句を言うような不敬な輩はいなかった。


 それになぁ、と言った調子でアレックスは、シルファに対する認識を改めてもらうために、秘策を投じる。


 つまりは、ここからが本番であり、疑問を払拭させられるだけの理由があったのだ。


「俺とシルファが決闘を行ったことは、全員が聞き及んでいることだろう」


 アレックスのその言葉に全員が一様に頷く。一方、シルファは恥ずかしそうに俯いた。きっと、手も足も出なかったことを思い出してのことだろう。


 その実、そうではないことをアレックス本人が一番よく知っている。それ故に、シルファをはずかしめるつもりはなく、その真逆であった。


「シルファが放ったインペリアルフレイムは、俺の最大魔力の九〇パーセント以上をも消費させたのだ。どうだ? これでも彼女が弱いと言い切れるか?」


 左手をシルファに向けてそうアレックスが言い放った瞬間、空気が変わった。


 イザベルほどではないにしろ、他の旅団長たちも少なからずシルファに対し、思うところがあったのだろう。それでも、アレックスのその一言で彼らのシルファを見る目が明らかに変わった。その後ろに並んでいる将軍たちは、目をこれでもかと見開いて驚いている。


 それほどにその事実は、彼らの予想の範疇はんちゅうをはるかに超えていたようだ。


 イザベルに関して言うと、「そんなバカな!」とでも言いたそうなほど、あんぐりと口を開け、その美しい顔が台無しになっていた。


 おお、驚いてる驚いてる、とアレックスはしたり顔をする。


 アレックスの魔力をそれほど削れるのは、第三旅団長であるシーザーのドラゴンブレスくらいだろう。


 ともなれば、シルファの実力は、NPC従者の中で随一の実力を誇る彼に匹敵すると言っても過言ではない。実際は、シルファの魔法にはある秘密があるのだが、今、この場で、それは些末事だろう。


 実際、先程アレックスが言ったように、シルファではイザベルに勝てる可能性は、総合的に考えるとほとんどない。と言うか、微塵もない。毛の先ほどもない。


 今は、それだけの高威力の攻撃魔法を行使できることだけを理解してもらえれば十分なのだ。


 こうして、アレックスの主だった配下たちは、シルファの実力を知ることとなった。これで、彼女が侮られることもなくなるだろう。


「つまりは、この世界のことを熟知しているし、それほどの力を持ったシルファとの共闘は、俺たちにとっても渡りに船だ」


 そこでシルファへと視線を向けると、彼女は任せてくださいと力強く頷いてから、微笑んだ。


「しかも、俺たちに喧嘩を吹っかけてきたヴェルダ王国は、シルファの敵だ。敵の敵は味方と言う言葉がある通り、助けるという言葉を使用したが、これは共同戦線と同じだと思ってくれて構わない」


 そう言ってアレックスが、冒頭の言葉の意味をここで明らかにした。


 既にアレックスへ物言いたげな視線を向けてくる者は、誰一人としていなかった。


 うむ、とその様子にアレックスは満足げな笑みを広げるのだった。

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