第０８話 悲願は無情
時は少し遡り、アレックスがクロードの対応でここが現実世界だと悟ったとき。
シルファとラヴィーナは、爆裂音が鳴っていた場所に到着していた。決して空が見えることがないと言われている常闇の樹海が、不自然に真円を描くようにくり抜かれ、太陽の光が
「なんですの……これ？」
シルファが目の前の光景に目を見張った。アレックスの拠点――シュテルクス卜――が、鎮座していた。
高さ三〇メートルはあろう城壁が視界を圧倒していた。その不自然なほどに歪みが無く、一面真っ白なそれに、太陽の光が
彼女たちが追い求めていたモノを遥かに凌駕する存在に、二人は言葉を失っていたのである。
だがしかし、雰囲気を台無しにするかのような罵声が飛び交い、忙しくなく動き回る人影を認め、シルファの表情が歪む。
そこでハッとなったラヴィーナがシルファの手を引き、木の陰に身を潜めた。幹から顔だけを出した二人が、城壁東方旅団のＮＰＣ傭兵たちが慌ただしく行う戦闘後の処理の様子を窺う。
「シルファ様……これは……」
「人……族なの？」
「そのようですね。でも、あちらをご覧ください」
しゃがんでいたシルファが顔を上げると、ラヴィーナが顔の前で矢印を作っていた。その指先へと視線を動かし、シルファが息を吞んだ。
「え、嘘！ 人族だけではないのですね。おそらくあれは、獣人族、エルフ族にドワーフ族まで」
統一された鋼鉄の鎧に両肩と左胸にお揃いの、「盾」の紋章を付けた騎士のような恰好から、全員が同一の部隊であることを簡単に理解することができた。
それでも、シルファが知っている限りでは、中々信じ難い光景だった。
「ええ、そのようです。しかも、あれはドワーフですかね？ 聞いた話よりかなり巨体ですが、あの大男が指揮官のようです。これは、言い伝え通りならあり得ません」
一際大きな男だけがミスリル特有の輝きをさせた鎧に身を包み、深紅のマントをたなびかせていた。その大男のしわがれ声に反応するように他の騎士たちが動けば、嫌でも彼が指揮官だと知れた。
一瞬、人族にも見えたが、堀が深くピンと尖った耳をしていれば、ドワーフ族しかいない。同じく尖った耳を持つ種族もいるが、それは全員が容姿端麗といわれるエルフ族だ。
つまり、あんな凶悪な面構えを一目見たときから、ラヴィーナの中からその選択肢が排除されたようだ。
そんなあり得ない光景を目にしたことで本来の目的を忘れてしまいそうになる。
「ええ、わたくしもラヴィーナと同じ意見ですわ。でも――」
「はい、それは承知しております。現にそうなのですから、彼らが一緒に行動する何かがあるのでしょう」
ラヴィーナの言葉に同意するように頷くシルファであったが、その何かがわかるハズもなった。それに反応する答えを持ち合わせていないのだ。
「それにしても、参りましたね。せっかく魔神伝説の夢が叶ったと思ったのですが……」
「それは、わたくしも思いましたわ。でも、あの紋章は、間違いなくヴェルダ王国のものですわ」
騎士たちが魔人族の亡骸を一か所に集め、何やら漁っているようだった。
「ここまでヴェルダ兵が来ているとは思ってもいませんでしたが、シヴァ帝国の圧力でも掛かっていたのでしょう。となると、一先ず奴らの仲間ではない訳ですが……」
「そうね――」
彼女たちが敵国の紋章を認め、そう納得したときだった。
ローブを目深に被った魔法士装束の人物の足元に、突然、金色に輝く魔法陣が出現した。
「あ、あれは、金色の魔法陣……」
「き、金色？」
魔法陣には、色によって様々な効果がある。金色が何を意味するのか知らなかったシルファが、ラヴィーナの反応から顔を上げて尋ねた。
「はい、あれは魔人族でも特別優秀な者が行使可能な転移魔法陣です」
「あ、あれが、そうなのですわね」
「はい、もしかしたら、あのフードの下には角があるかもしれません」
「同族まで彼らと一緒にいるってことなのですか？」
何の気なしに呟いたシルファの問いに対し、ラヴィーナから返ってきた言葉は予想外の内容だった。
「全くプレッシャーを感じませんが、敢えて隠しているのでしょう。下手したら私ではあの魔人に勝てないかもしれません」
「えっ、そ、そんなに！」
「シッ、あまり大きな声をお出しにならにように」
「ご、ごめんなさい……」
「いえ、それよりも、新たな人物の登場ですよ」
額に汗をにじませたラヴィーナが召喚された人物の方を指差した。
金色の魔法陣がより輝きを増すと、そこに四人が新たに姿を現した。
「珍しい……ダークエルフまでいますよ。どうやら、あの抱えられた子供のような人族がこの中で一番上位のようですね」
ミスリルの鎧姿の大男が赤髪の男の前で跪いたことで、抱きかかえられている人物のことを最上位と認識した。
「そのようですわね。あの赤い髪の男は従者といったところかしら？」
「そうですね……いや、降ろしましたね」
「ん？ どういうことかしら？」
赤髪の男に降ろしてもらった少年とも少女ともとれる人族が、申し訳なさそうにお辞儀している姿をシルファが見て、小首を傾げた。
「うーん、そればっかりはわかり兼ねます。もう少し近付いてみましょう。ここでは何を話しているのか聞こえません」
「ええ、そうですわね」
「インヴィジブル！」
ラヴィーナの透明化魔法で姿を消した二人が、忍び足で木々の切れ間から出て近付いていく。が、突然の力の波動を受けてシルファとラヴィーナの二人が膝をついた。
『シルファ様！』
『だ、大丈夫ですわ……そ、それにしても、物凄い殺気……』
『ええ、我々のことがばれたのかと思いましたが違うようです。しかし……何のために？』
突然のプレッシャーに訳がわからず、シルファとラヴィーナの二人が真剣に悩むが、答えを出せない。距離があり、何を話しているのか聞こえないのだ。
白銀の髪を後ろで一つに結ったダークエルフが、ドワーフと思わしき大男に詰め寄っていることしか判断できない。
ただそのせいで、必要以上に接近するのは危険だと判断し、話声が聞こえるか聞こえないかギリギリの距離――一〇メートルほどの位置から聞き耳を立てることにした。
『彼らは一体何を話しているのでしょう……』
『私にもさっぱりです……』
赤い髪をした碧眼の男がどうやら人族の皇帝だというところまでは彼女たちも理解できた。それにも拘わらず、彼の配下たちに対する対応があまりにもフランクで、人族のことをあまり知らない彼女たちであっても、混乱したほど信じ難かった。
その他にも、「
そして、ついにそのときが来た。
大将や陛下と呼ばれていた男が、両腕を前に出して紫色に輝く召喚魔法陣が展開させたのだ。それを確認した二人は、どうやら神の子とやらの一人が召喚されるのを固唾を呑んで待ち受けた。
新たに召喚された女性を見やり、二人とも息を呑む。
『ぐっ、こ、これはっ、サキュバス？ い、いや、翼が違います。見たこともない種です……』
特徴的な羊の角を認めそう判断しかけたラヴィーナが、即座に否定した。シルファも同様のことを思ったため、そのことには触れず、他のことに言及した。
『そ、それよりも、なんですの？ この禍々しいオーラは……』
身に受けるプレッシャーに震えながらシルファが数歩後退った。
『知らない……あんなの知らない……聞いたことない……』
口調を整える余裕もなかった。
そして――
「――しかし、
魔人族の女性が発した言葉を聞いたシルファとラヴィーナの二人は、氷漬けになったように硬直した。
どこからどう見ても人族にしか見えない男のことを、上位魔人としか思えない女性が、「我が君」と呼んだことで、先の不可解な発言の数々が繋がって線となった。
話を聞いている限りでは、その人族が神の子供を創ったと二人には聞こえたが、言葉の綾でそう言ったまでと思っていた。
もし、それが言葉通りの意味だったとすると、その召喚によって現れた魔人族は神の子であり、その彼女を創った人族のような男が神ということになる。
この伝説の聖地に於いて神と呼ばれる存在。そして、魔人族を創れる存在は、ただ一柱しかいない。
そのことを未だに信じている魔人族の国は、三か国しか残されていないが、その名を知らない魔人族はいない。
その名前は、決して呼ぶことが許されず、「至高の御方」と呼ばれ、特別に認められた魔人だけが、「我が君」と呼ぶことが許されてる。
そして、「我が君」と呼ぶことを許されたならば、どんな願いも思いのままという伝説が残されているのだった。
『し、シルファ様……』
『な、なにかしら……』
『やりましたね』
『え、ええ……』
歓喜のあまり、シルファは自然と涙を流し、上手く言葉に出来なかった。
が、どう認められるかが問題だった。
今すぐにでも挑戦したい衝動に駆られたシルファだったが、今の体調では無謀もいいところである。万全な状態であっても、辛うじて可能性があるかもしれないといった程度なのだから。それでも、無情にも時は待ってはくれなかった。
「……なあ、そこの二人よ」
言下、イザベルと呼ばれた魔人族から殺気が放たれ、シルファとラヴィーナはその場に膝から崩れ落ち、インヴィジブルの効果が解けてしまった。
こうして、二人の姿が晒されることになったのだった。
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