第28話 真夜中の訪問者
思いがけない訪問者を前に、アレックスは開けた扉のノブを掴んだまま固まってしまった。扉を開けた先にシルファが一人で立っていたのだ。
肩先まで伸びたウェーヴが掛かった金髪が微かに湿っており、シャンプーの良い香りがそっとアレックスの鼻を打った。湯浴み後、そのままアレックスの私室を訪れたのだろう。
(何故、彼女がここに?)
シルファが急に訪れた理由に全く思い当たる節がなく、アレックスがその疑問と共に観察を開始する。
バスローブを羽織っているだけの無防備な姿で、お風呂上りなのは間違いなかった。ただ、微かにだが震えているのが見て取れた。バスローブの裾から垣間見えるその素足は内股気味で、小さい両の手はギュッと握られて拳を作っていた。
まあ、俺に負けたんだから怖がって当然だよな、とアレックスはシルファとの決闘を思い出す。シルファが放った攻撃魔法は、アレックスの最大魔力の半分に匹敵するほどのもので、それが彼女の全力だったことは想像に難くない。
(もしかして、詫びでも入れに来たのか?)
そんな風に予想し、シルファへ無遠慮な視線をアレックスが向けていると、伏し目がちだったシルファが顔を上げたことで視線が交わる。
途端、「あっ……」と、吐息を漏らすようにして再び俯いてしまう。
(そんなにかよ! べつに痛い思いをさせた訳じゃないんだからそんなに怖がらなくても……)
アレックスがガシガシと頭をかいて困惑しながらも、努めて平静を装う。
「シルファ、だったか? こんな真夜中に可愛い女の子が一人で男の部屋を訪ねるだなんて、感心しないな」
冗談めいてアレックスがそう言い放ったのだが、その返答は思いもよらぬものだった。
「わたくしとて子供ではありません。元より覚悟の前です!」
上目遣いでシルファに見つめられ、アレックスの意に反して喉が鳴った。
いやいや、勝手に覚悟してんじゃねえよ! と突っ込みをしたいが、いや、確かにここの所、仕事ばかりでご無沙汰だし、アニエスのせいで……などと、心の天秤が欲望に傾きつつあった。
「か、覚悟って……べつに襲うつもりはないんだがな」
何とか欲望に打ち勝てた。シルファを安心させるためにアレックスがそう言うと、
「あ、いえ、至高の御方よりお呼びが掛ったのですから……その……」
シルファが言い訳をするように説明し、恥ずかしいのか頬を染めた。
アレックスはそれを聞き、
「至高の御方? ああ、俺のことをそんな風に呼んでいたな……」
と思い出し、
「って、はぁ! 俺が呼んだ? シルファを? 俺が!」
と皇帝の仮面はどこへやら、完全に取り乱した。
アレックスが一人で慌て出すと、シルファが一際大きな青い瞳をよりまん丸とさせる。
そんなシルファを他所に、アレックスは数刻前の出来事へと意識を向ける。
◆◆◆◆ ◆◆◆◆
それは、アニエスと晩酌しながら楽しく話していたときだ。NPC傭兵のレベルアップを効率よく進めるにはどうしたら良いかの話で、
ピコンと着信通知音が頭の中で鳴った。
それは、イザベルからのメッセージで、「シルファが目覚めたこと」の報告だった。その知らせは、森の外側の情報を得るために重要なことでアレックスを喜ばせたのだ。それでもそのときは、
イザベルから会いに来るかどうかと問われ、アニエスと打ち合わせ中である旨のメッセージを返して断ったのだ。それならばと、アレックスの部屋に向かうと伝えてくるイザベル。転移門が完成していない現在、そこまで急ぐこともなく、明日で良いだろうと考えてていたアレックスは、再びチャットボックスに内容を思い描き返信したのだが――
◆◆◆◆ ◆◆◆◆
そんな遣り取りを思い出したアレックスが、慌ててチャットメッセージを出現させて履歴を漁る。
『あとで、シルファだけでいいから』
チャットメッセージの履歴には、そう記載されていた。
oh……と、それを見たアレックスは絶句した。
本来は、後日シルファの話が聞ければ良いという意味で送ったのだが、アニエスの相手をしていたため表現を間違えていた。何となくシルファの態度の意味を理解することが出来てしまい、肩を落としながらも再び皇帝の仮面を被る。
「申し訳ない。後日改めて話を聞くつもりだったのだが、イザベルが勘違いしたようだ」
俺は悪くないぞとイザベルの勘違いだと伝える。
「ただ、折角来てもらったこともある。無下にこのまま返すのも申し訳が立たぬな。どうだ? 少しだけでも話を」
そう言って招き入れるように半身になったアレックスがシルファへと提案した。
どうせ、すぐに帰るだろう、と考えて――
「お招きありがとうございます」
感謝の意を述べて恐縮しながらシルファが部屋の中へと足を踏み入れる。
「それでは、適当にそこのソファーにでも腰掛けてもらって構わぬぞ。それと、もしよかったら酒でもどうだ?」
先ほどまでアニエスと飲んでいたため、ソファーテーブルには晩酌セットがそのまま置かれていた。丁度良いと思ってアレックスはそう提案したが、シルファの見た目から言い直す。
「いや、まだ飲めない歳か。子供に酒を進めるなど俺も酔いが回っているな」
「いえ、わたくしはこう見えても成人しております。それに、お酒を飲むのに年齢は関係ないと思うのですが」
子供と言われたのが嫌だったのか、シルファは少しムキになった様子だった。
「ふむ、やはりファンタジー世界と言ったところか。ここはそういう設定なのだな」
アレックスの言葉の意味を理解できないのか、シルファが小首を傾げる。
「ああ、悪い、こちらの話だ。それで、やけに若く見えるが、いったい幾つになる?」
女性に年齢を聞くのもどうかと思ったが、認識修正のためにアレックスは疑問をそのままぶつけた。嫌ならべつに言わなくても構わんがと補足して。
「わたくしは、今年で一六になります」
そんなことはありませんと、自信満々にシルファが答えて無い胸を張る。
まだ子供じゃんか! と思ったが、それを言うべきではないだろうと思い直し、代わりに無難な言葉を選んだ。
「ふむ、なるほどな」
何がなるほどな、なのだろうか。アレックスも自分の引き出しの少なさに嫌気がさす。気持ちを切り替えるためにひとしきり頷いてから、アレックスがソファーに座って隣を叩く。
中々シルファが座らないものだから、これは、「まあ、座れよ」と言うことだ。それを理解したシルファが未だ小刻みに震える足取りで近付き、アレックスの隣に腰を下ろした。
「では、こちらからで悪いのだが、至高の御方とはどういう意味なのだ?」
数あるお酒の瓶の中から赤ワインを選んだアレックスが、それをシルファの前に置いたロックグラスに注ぐ。
本当であればワイングラスにするべきだろうが、それを数メートル先のバーカウンターの奥にある棚まで取りに行くのは、一度座ってしまうと億劫だった。そんな普段と変わらないアレックスとは対照的に、そう問われたシルファがハッとしたように佇まいを正した。
「先ずは、わたくしの身の上から説明しなければなりませんが、宜しいでしょうか」
「うむ、構わないぞ」
「ありがとうございます。それは約一年ほど前に遡ります――」
ウイスキーで満たしたグラスをゆっくりと傾けつつもアレックスは、シルファの話を熱心に聞いた。
その内容は、昨夜イザベル経由で聞いたラヴィーナの話とほぼ合致するが、微妙に意味合いが異なっていた。やはり、人伝に聞くのと直接聞くのとでは違いが出る。というか、それ以上の話だった。
ただ単に裏切られて逃げてきただけかと思っていたら、相応しい者が聖域の中央に至ると、
そんなバカなという思いもあったが、その伝承の内容を詳しく聞けば聞くほど、シルファたちの不自然な行動と発言の理由を理解することが出来たアレックスであった。
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