20 悪巧み
薫が巣鴨村に向かってているころ……。
浅草で暗殺の仕事を終えた三人は、深川の悪御家人・小見山の屋敷を訪れていた。
もちろん、その姿を飴売り三吉らが、材木屋の作業場から見かけてはいるが、月の明るい夜とはいえ、あまり灯りもないような場所なので、賭場を訪れる客としか思っていなかった。
相変わらず小見山の賭場は、ひとの出入りが多いので、この見張り自体に無理があり、それは、しかたのないことであろう。
小見山の屋敷は、敷地内に長屋があり、以前は木場の人足に貸していた。
しかし御家人の屋敷は、そもそも本人の所有ではなく、幕府から拝領したものなので、昔は、又貸しを禁止されていた。
ところが、江戸も中期になってくると、御家人の生活も次第に逼迫してきたため、いまでは黙認ということで、八丁堀の役人ですら、医者などに、土地を又貸しをしているのが現状だった。
小見山は、さらにその上をゆき、家賃収入などでは満足せず、長屋の壁を取り払い、賭場に改築して荒稼ぎしていた。
その小見山屋敷の隣には、かつて材木商・播磨屋の作業小屋があったが、道をはさんで反対側に移転したため、小屋は、その土地ごと小見山が買い取り、それが蔵楠の道場になっている。
もちろん、なにかあった場合に、公儀からおとがめを受けぬよう、他人から名義を借りて買ったことは、言うまでもない。
通りからは、小見山の屋敷と道場は、別々に建っているように見えるが、屋敷と道場をへだてる塀には、扉がついており、屋敷からも道場に入れるようになっていた。
三人は、屋敷の門をくぐると道場に向かい、奥の居間で蔵楠を交えると、酒盛りをはじめた。
「そうか……見事、仕留めたか。これは俺からの寸志だ」
蔵楠は、杯の酒をあおると、石橋と田嶋のふたりに、無造作に十両の金をわたした。
「や、これはかたじけない」
悪びれずふたりが受けとる。
蔵楠も小見山も手下に対しては、たいへん気前がよい。
金離れの悪い親分に子分はついてこない。ということを、よく知っているのだ。
蔵楠は、賭場の用心棒だけではなく、小見山の悪事の相棒といってもよく、月々、三十両は軽く稼いでいる上に、さらに反対派から百両巻きあげていたので、少々の出費は気にしなかった。
「いくら夜のことで……しかも、ひと気のない場所とはいえ、今ごろは、大騒ぎになっているでしょうな」
石橋がそう言うと、蔵楠はニヤリと笑った。
「ふ、ふふ……おぬしらは、まだまつりごとというものが、わかっておらぬな……
おそらく、二、三日じゅうには、病死ということで“かた”がつくであろうよ。
だから、おぬしらの身に害が及ぶことはあるまい……」
蔵楠のこの読みは、見事に当たる。
襲撃のあと中間ふたりは、逃げた駕籠かきをつかまえ、死体を駕籠に乗せ、曲輪内の小笠原家の上屋敷は避けて、中屋敷に駆けこむと、上役に伺いをたてた。
その上役は、早速上屋敷に使いを走らせ、数日後、速やかに病死ということにして届けを出し、頃合いをみて、跡取りの長男に家督を継がせた。
小倉藩の江戸家老・内藤蔵之介は、ただでさえ、発狂者を二名も出しているのに、江戸においてさらなる厄介事を起こすことは、避けたかったからだ。
反対派の内藤は、おそらく薄々は、蔵楠の仕業と勘づいているにちがいない。
酒盛りは続く。酔った伊佐次が蔵楠に聞いた。
「あっしは、前からふしぎでしかたなかったんですが、妹のおすがは、中屋敷から、オサキを持ちだしたときに取り憑かれて、静かに狂いながら死にましたよね」
「うむ。身体じゅうの生気を吸いとられてしまったらしい……」
「そのオサキを野郎に取り憑かせると、どうして狂暴になるんでやしょうかね?」
「ふふ、伊佐次……おまえ、なかなか鋭いな。 ――なぜかわかるか?」
「いえ、さっぱりわかりやせん」
「じつはな、俺もふしぎに思い、おみつにそのことを聞いてみた……
それは……その狐が、雌だからだそうだ」
「へっ、じゃあ、なんですかい。狐の
伊佐次が目を丸くしながら感心した。
「どうやら、そうらしい……と、なると……犬甘をいかに攻めたらよいか……」
蔵楠の声が、最後は考えるように小さくなった。
「その家老の犬甘というやつは、そんなに手強いのでござるか?」
石橋が口をはさんだ。
「うむ。俺がまだ国にいたころ、一度狙ったが、やつの飼っている山犬に邪魔され、危うくこちらが殺られるところだった」
「山犬……それは狼のことでやすか?」
伊佐次が聞く。狼は、地方によって山犬や山親父など、いろいろな呼び方をされていた。
「ちがう……やつの山犬は、元々は唐国で育てられた、狼と犬の混じり物よ。
獲物を狩るためだけに作られた、一種の化け物……」
と、そこまで言った蔵楠は、再び急に黙りこむと、何か考えるように沈黙した。
そのとき、今まで話に加わっていない田嶋は、杯を傾けながら、手持ちぶさたに、片岡から奪いとった財布をいじっていたが、
「むっ? なんだこれは……」
と、財布のなかから折りたたんだ文のようなものを取りだした。
「どうした田嶋。まだ金目のものが残っていたのか?」
石橋が、いぶかしげな視線を送ると、しばらく文を読んでいた田嶋は、上ずった声で、
「く、蔵楠殿!」
蔵楠に向きなおった。
「なんだ田嶋、いきなり大声などだして、どうした?」
田嶋は、迷惑そうに顔をしかめた蔵楠に、財布から取りだした手紙のようなものを押しつけ、
「まずは、お読みください」
「ふむ……」
さも面倒そうな素振りで、蔵楠は手紙を読みだした。
すると、次第に引きこまれたらしく、真剣な表情で何度も読み返し、この男にしては、珍しく興奮したような表情を浮かべた。
「――なんと! 犬甘がすでに江戸に向かっているだと!」
「そりゃあ本当ですかい」
伊佐次にも興奮がうつっている。
「うむ。この手紙によると、密かに江戸に入り、殿に諫言して、反対派の一掃をはかるつもりらしい……」
「思わぬことになってきやしたね……」
手紙によると……。
犬甘は、江戸に出たさいの宿泊施設がある、根津の中屋敷には立ち寄らず、密やかに大久保の下屋敷に身を潜め、機会をうかがい、藩主に直談判して、反対派の動きを封じるつもりらしい。
「田嶋、石橋、でかしたぞ! その財布、価千金だ」
「なあに、簡単な仕事でしたよ……俺たちより、あの日、彼奴が、あの料理屋で商談することを突き止めた、伊佐次の手柄でしょう」
「へへっ、あんまり、おだてねえようにしておくんなさい」
伊佐次が頭を掻いた。
蔵楠が妾宅を根津に設けたのは、近くにある中屋敷を見張るためであった。
中屋敷は、隠居した先代の藩主が暮らしているため、大久保の下屋敷とちがい、あまり風紀が乱れておらず、もちろん賭場などは開かれていない。
しかし、渡り中間などに、博打をするなというのは無理な話で、伊佐次は中屋敷の中間が、必ず根津界隈の賭場に顔をだすと踏んで、中間頭の熊蔵の顔を覚えて、根津にある三ヶ所の賭場を、毎日順に回っていた。
そして、根津界隈の賭場に網を張り、十日ほどたったころ、上野山内に近い寺院が密集して並んでいる一角にある、妙真寺で開かれている賭場で、ついに中屋敷の中間頭の熊蔵を見つけた。
中間頭の熊蔵は、負けがこむと熱くなる悪癖があった。
ある晩熊蔵は、伊佐次の見ている目の前で、有り金をすべてすってしまい、代貸しに借金を断られ、ふてくされて帰ろうとしていた。
これを見逃す伊佐次ではない。
以前から軽口をきいて仲良くなっておいたので、さも同情したような素振りで熊蔵に近づき、三両の金を貸してやった。
そして、その後もいろいろ恩を売って、徐々に密告者に仕立てあげていたのだ。
「へへっ、中屋敷の中間頭は、すっかり手なずけていますからね。犬甘がどう動くのか、また探りを入れておきやす」
「うむ。たのんだぞ。金を惜しむな……金なぞ反対派から、いくらでもむしりとれるからな」
そう言いながら、蔵楠は伊佐次にも十両をわたした。
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